自由の代償

2007年 生活 社会
自由の代償

24時間営業のネットカフェに寝泊まりする若者たちの特集を見た。

さまざまな理由で住まいを失った若者たちが、日雇い派遣で日銭を稼ぎ、飯を食い、ネットカフェの椅子で眠り、次の仕事を求めさまよっていた。
もちろん収入は少ないし、安定も保証もないし、健康に悪いし、継続してもいいことはない。
ワーキングプアとホームレスの中間形態といえるだろう。

(体力があるうちはいいが、この先どうするんだろう?)

といった疑問もあるが、それ以上に思うことがある。

(彼らはなぜ団結しないのだろう?)

ネットカフェで寝泊まりする若者は、数千人いるらしい。
そのうち10人でも集まれば、粗末でも家を借りられるはずだ。家があれば家財道具を共有したり、郵便物を受け取ることができる。病気になったとき、仕事にあぶれたとき、遠くに出かけるとき、家が仲間がないと不自由きわまりない。

ネットカフェにいて、言葉も話せる。五体満足で、ちゃんと知能もあるのだから、似た境遇にある仲間を探すのはそう難しくないはずだ。
そこまで考えて、ふと気づく。

(彼らは団結できないからこそ、あぶれてしまったのか……)

仲間がいないのではなく、仲間と支え合えないのだ。他者を信じて安定を得るより、孤立している方が安心するのかもしれない

私は共産主義者ではないが、マルクスの言葉には真理があると思う。

「万国のプロレタリアよ、団結せよ!」

どこにも属さない個人なんて、射撃の的みたいなもんだ。
個人として自由を謳歌するのはいいが、その代償として弱くなることを肝に銘じなければならない。
それは彼らだけじゃない、私たちにも言えることだ。

そこまで考えて、ふと思う。

(あの境遇になったら、私は他者と団結できるだろうか?)