[報道・教養] ガイアの夜明け「揺れる介護保険 ~相次いだ不正・・・コムスンの今~」 / 理性で考える介護

2007年 政治・経済 報道・教養 社会
[報道・教養] ガイアの夜明け「揺れる介護保険 ~相次いだ不正・・・コムスンの今~」 / 理性で考える介護

『姥捨て山』の説話をご存じだろうか?

姥捨て山(うばすてやま)

むかしむかし、わがままな殿様がいました。殿様は年寄りが大嫌いだったので、「六十を過ぎた年寄りは山に捨てるべし」と、おふれを出しました。
しかしある男は、どうしても老いた母を捨てることができず、こっそり家に連れ帰ってしまう。納屋に隠された老母は、素晴らしい知恵によって殿様が出した難題を解決。この功績に感心された殿様は、おふれを撤回したそうです。
『大和物語』

これって、老人に新たな市場価値を見いだしたわけだよね?
「まだ使い途がある。捨てるのはもったいない」という意味だよね?
では、素晴らしい知恵もなく、なんの役にも立たない、それどころか養うために多くの手間がかかるような老人は、捨てられても仕方がないのだろうか?

「感情」としてはわかっている。
いのちの価値は平等で、市場価値のある/なしで取捨選択されるべきではない。「自分もお世話になるから」とか「自分はお世話にならない」といった利己的な考えではなく、互助の精神が求められている。
しかし私の「理性」は納得できていない。

理性で考える介護1

これから日本は超高齢化社会に突入する。付帯するさまざまな問題を経験・解決していくことで日本は、これから同じ問題を抱える各国に手本を示すことができる。すなわち効率的かつ十分な介護システムの構築は、ビジネス的な価値があるとも言える。

理性で考える介護2

そもそも介護は家庭の問題であって、自治体がサポートすることではない。しかし自治体のサポートがなければ、生活が破綻したり、孤独死する老人が増えてしまう(社会の不安定化)。あるいは優秀な人材が親族の介護に手をとられ、より生産的な活動に従事できなくなる(人材の喪失)。
介護システムの構築は、適材適所を目指すことであり、より大きな視点では生産力の向上に寄与する。

そうかもしれない、そうでないかもしれない。

で、どうなの?

『ガイアの夜明け』で、介護の現状を見た。
それは、目を逸らしたくなるほど厳しい世界だった。要介護者の増加、人材不足、重労働・長時間勤務、低賃金、補助金のカット、杓子定規な行政指導、不正の横行......。それでも介護を必要とする人はいるわけだから、施設や職員が置かれた立場はあまりにも苦しい。

介護が「臭いものには蓋をする」という目で見られているかぎり、彼らの努力が報われることはない。つまり、介護が社会にとって有益であることを証明する必要がある。それも感情ではなく、理性(市場価値)に訴えなければならない。

1本の橋を架けるより、1,000人を介護する方が儲かるんです!

そう断言できるだけのロジックを、私はまだ見つけていない。

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