イスの脚を切れ

2007年 政治・経済 仕事
イスの脚を切れ

「イスの脚を切ってくれ」と、クライアントに注文されたらどうする?

──仕事の話ね。
クライアントの要望に応えることが仕事なんだけど、その作業を実行することによってクライアントが不利益を被ることが明らかな場合、すんなり引き受けちゃっていいんだろうか?

自分が座っているイスの脚を切ってくれ、とクライアントは言う。
切れば、クライアントは転ぶだろう。ケガをするかもしれない。なので私は説明する。
イスの脚を切ったら、転んでしまいますよ
 なぜ脚を切りたいんです? 机が高いからですか? なら机の方を下げましょう。自分の足が床に届かないので不快なのですか? だったら足置きを用意しましょう。
 どうしても切るなら、せめて席を立ってください。座ったままイスの脚を切るのは危険ですよ」

しかし私の説明は、けんかを売っているように聞こえるらしい。
「どうして切るのか、どうやって切るのか、ガチガチに決めないと作業できないのか?」
「切ったら転ぶと決まったわけじゃないだろ」
「先のことをアレコレ考えても仕方がない。まずは切るんだ!」

そこまで言うなら、やむなし。
ギーコギーコ、イスの脚を切る。ドターンッとクライアントはすっ転ぶ。したたかに腰を打ち付けたクライアントは、激しく怒り出した。
「どうして切ったんだッ!」
「切れと言ったけど、切ってよいとは言ってない」
「ちゃんと回避策を提案してくれよ」

私は肩をすくめる。やれやれ。

想定される可能性を説明することは、技術者である私の使命であり、アドバンテージと思っていた。ところが、そもそもクライアントは未来の話など興味がないことがわかってきた。

クライアントの多くは、仕事の意味や目的を理解していない。
その仕事によって会社がダメージを被ろうとも、引き継いだ後輩が苦労しようとも、あるいは自分自身が残業するハメになろうとも、まったく気にしない。気にするほど、頭を使っていないのだ。

こうなると、「ハイハイ、切りますよ」といって実行する作業者の方が重宝される。アレコレ説明するだけ敬遠されて、免責にもならないなら、説明する意味はない。私も思考のスイッチを切って、言われるままに実行しよう。

「あのさ、缶詰を買ってきてよ」
「え? 缶切りは持ってるんですか?」
「あるよ」
「それは栓抜きです」
「いいから、買ってきてよ!」

……うーん。