どうせ死ぬならガンがいい
2007年 生活 健康 医療 死生観 考え事「どうせ死ぬならガンがいい」とは、東大病院の助教授のことば。
ガン治療の本に書いてあった。
著者は東大病院で緩和ケアを行っている。ガン治療の最前線にいて、その限界も知っているのに、自分が死ぬときはガンがいいと言う。なぜだろう?
ガン治療は1回勝負で、敗者復活はない。
つまり再発したら、もう絶対に助からないのだ。まぁ、人間の死亡率は100%だから、ガンが悪化する前に交通事故などで死ぬかもしれないが、そうした要因がなければ必ずガンで死ぬってことだ。
再発したガンは、かなり正確に死亡時期を予測できるらしい。
私の父も肝臓ガンだったが、悪化するほど医者の予測は細かくなっていった。「あと1年」「あと数ヶ月」「あと数週間」「あと数日」「今日か明日」と告知され、そのとおりになった。短期的には誤差もあったが、バイタルゲージの低下は医者の予測幅を超えることはなかった。
人間はいつか死ぬ。
だから、いつ、どのように死ぬかが問われる。
風呂場で転んで死んだら、身の回りの整理(恥ずかしい画像の消去とか)もできない。
ほかの病気だと(完治するかもしれないので)、覚悟を決められない。
しかしガンなら、いつごろ悪化して、どのような最期を迎えるか予測できる。
残された時間がわかれば、あれこれ手配して、愛する人に別れを告げ、自分の人生を振り返ることもできる。死を受け入れるには時間がかかる。執行猶予がほしい。
だから著者は、どうせ死ぬならガンがいい、と言っているわけだ。
……なるほど、そうかもしれない。
本を読みながら、そう思った。