死の受容プロセスに学ぶ
2007年 社会 医療 死生観 考え事死の運命を突きつけられたとき、人はどのように反応するだろう?
「検診の結果、ガンが発見されました。
すでに全身に転移しており、完治する見込みはありません。
ですから今後の治療は、延命と緩和がテーマになります。
治療しなければ1年、治療しても数年......長くとも3年のいのちです。」
病院でそう言われて、「わかった」と言える人はいないだろう。では、どのようにして事実(死)を受け入れるのだろうか? キューブラー・ロスという精神科医は、これを5つの段階にまとめている。
死の受容プロセス(キューブラー・ロスモデル)
- 1.否認 (自分がガンであるはずがない)
たぶん検査に見落としがあったんだ。あるいは、この医者は嘘をついている。よその病院に行けば、正しく検査してくれるだろう。これは間違いだから、治療する必要はない。
- 2.怒り (なぜ自分が死ななければならないのか?)
ほかに死ぬべき人間はいっぱいいる! 医者の態度が気に入らない。他人事のように言いやがって! なぜ早期発見できなかったんだ? 健康診断が義務だったら、こんなことにはならなかったッ!
- 3.取引 (死なずに済むなら、なんでもする!)
もし病気が治るなら、残りの人生を神(仏、悪魔、隣人)に捧げてもいい。だから助けてくれ。現代医学が駄目なら、それを越えた世界にヒントがあるはずだ。時間を戻すにはどうしたらいい?
- 4.抑うつ (もう、どうでもいい...)
なにをしても無駄だ。どうせ死ぬんだ。私の気持ちを誰もわかってくれない。勝手にしてくれ。
- 5.受容(私は死ぬ)
いま、できることをやろう。
おおむね、このような反応を示すらしい。もちろん個人差はあるし、「怒り」や「抑うつ」段階のまま(時間切れで)死ぬ人もいるだろう。死生観は人それぞれだが、残された時間を喧嘩したり、絶望したまま過ごすのはもったいない。(私にできるかどうかは別として)早く事実を受け入れ、身辺整理したり、親しい人に別れを告げた方がいい。
今日の日記は「死」について考えるものではない。ショックを受けたとき、どう立ち直るかがテーマだ。
たとえば受験に落ちたとき、交通事故で半身不随になったとき、知人が大切にしている壺を割ってしまったときも、上記と同じような反応を示す。そして事実の受け入れ(受容)に時間をかけすぎると、挽回のチャンスを失ったり、状況をさらに悪化させることになる。
- 受験に落ちたことを親のせいにしているあいだは、勉強も進路変更もできない。
- 事故の傷をオカルトで癒そうとすれば、リハビリが遅れる。
- 自暴自棄になっている人は、周囲の変化に気づかない。
立ち直るまでの時間は、単純にロスなのだ。
本人にとっては一大事でも、周囲にとっては意味がない。泣こうがわめこうが、事実は変わらないのだから。
「死の受容プロセス」は、立ち直るための"道しるべ"になるかもしれない。
つまり1から4の傾向があるなら、まだ立ち直れていないことがわかる。立ち直る時間は短縮できない。それは個人の資質であり、長短を競うものではない。
私も先日、ショックなことがあって、1~4をウロウロしていた。誰かのせいにしたり、仮定法過去を唱えたり。まだウロウロしてるかもしれないが、今はそれがわかる。
立ち直るためには、まず「立ち直れていない自分」を認めなければならないようだ。
「失ったものをかぞえるな、残ったものを数えよ」
身体障害者オリンピック創始者 グッドマン