断じて行えば鬼神もこれを避く...わけがない
2009年 哲学 考え事「断じて行えば鬼神もこれを避く」という言葉が好きだ。
「強い気持ちでやれば、必ず成功する!」
という意味だが、額面どおりに受け取る人はヤバイ。
もとは秦の宦官・趙高(ちょうこう)の言である。
趙高は、始皇帝の病死に際して遺言状を書き換え、新皇帝を傀儡にして政敵を謀殺、恐怖政治をひいて中国全土に混乱をもたらした、中国史上もっとも極悪な宦官である(阿呆や馬鹿の故事も彼にちなむ)。
その趙高が、いつわりの皇位継承をためらう胡亥を説得したセリフが、「断じて行えば鬼神もこれを避く」である。つまり、
「強い気持ちでやれば、悪いことをしても大丈夫!」
という意味だが、皇帝となった胡亥は趙高に殺されてしまう。ぜんぜん大丈夫じゃない。
時代はくだって昭和。
カリスマジャーナリストの徳富蘇峰は、日米開戦をためらう東條英機を説得するため、「断じて行えば鬼神もこれを避く」と書いて送った。つまり、
「日本国民の高い精神をもって戦えば、圧倒的物量を誇る米英にも勝てる!」
という意味だが、結果は周知の通り。日本は敗北し、東條英機は絞首刑とされた。
「断じて行えば鬼神もこれを避く」
現実は──いや、鬼神はそんなに甘くない。駄目なものは駄目だ。
そして、このセリフを言われた方が破滅していることも見逃せない。取引先が精神論を持ち出してきたら、それは破滅の兆候(取引先ではなく、自分の)と考えていいだろう。
とはいえ、人間は確率の奴隷ではない。
窮地で精神論を唱えられると、嘘だとわかっていても酔いたくなる。都合の悪いことには目をつむり、息絶えるまで突進する。それもまた、幸せの在り方だ。
「断じて行えば鬼神もこれを避く」
いろんな教訓を含んでいるので、私は好きな言葉に挙げている。