[報道・教養] 美の巨人たち 岡本太郎「明日の神話」 / 感動したものに頭を下げちゃ駄目だ

2009年 娯楽 報道・教養 芸術
[報道・教養] 美の巨人たち 岡本太郎「明日の神話」 / 感動したものに頭を下げちゃ駄目だ

「美の巨人たち」で、岡本太郎の『明日の神話』が紹介されていた。

『明日の神話』は、汐留の日本テレビ前で一般公開されていたときに見たことがある。今は、渋谷駅の連絡通路に恒久設置されているのか。
「美の巨人たち」で紹介される作品は見知らぬものばかりだったが、ちょっとでも知ってる作品が取り上げられると関心の度合いがちがうね。
番組の中で、気になる言葉が出てきた。

彼(ピカソ)は完璧である。
しかしその偉大さにもかかわらず、我々は彼を乗り越えなければならない。
感動したのはこっちだから、その自分をまた乗り越えなくちゃいけない。
強烈に感動したものに対立して、対決して、
自分を活かしていくことが、本当の芸術なんだ。
感動したものに頭を下げちゃ駄目だ。
今後わたしの描く作品は、
すべてピカソの作品の一卵性双生児以外のものではありえない。
パリに留学するも、自意識の高さから絵を描けなくなっていた若き日の岡本太郎は、偶然画廊で見たピカソの静物画に強い衝撃を受ける。そして圧倒的なピカソの作品に傾倒しつつも、「ピカソを超える」ことを決意し、抽象芸術に道を求めた。
『明日の神話』は、ピカソの『ゲルニカ』に対抗した作品だった。

思うに、「感動」とは降伏に近しい感情ではあるまいか。その作品に心を奪われているのだから、崇拝するのも当然だろう。しかし岡本太郎は、崇拝しつつも、超越しようとした。その精神力に驚嘆する。
そうした岡本太郎の肖像を踏まえて作品を見ると、受ける印象もだいぶ変わってくる。

ぼくは、人に好かれる楽しい絵を描こうとは思わない。
それよりも、猛烈に叫びたい。絵の中で。
全生命が瞬間に開き切ること。それが爆発だ。
私は、岡本太郎という人間に感動してしまった。
それが意味することを、今は考えたくない。

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