ちゃんとした勉強をしていない

2009年 科技
ちゃんとした勉強をしていない

文章にしても、デザインにしても、企画にしても、私はちゃんとした勉強をしていない。

すべて独学、ぶっつけ本番で習得した。
「習得した」は言い過ぎだな。その場を乗り切っただけ。師匠となってくれた人はいるけど、アレコレ教わるより、私が勝手にマネした部分が大きい。見て盗んだと言えば聞こえがいいが、要するに私は人にものを教わるのが苦手なのかもしれない。

とにかく無我夢中だった。
「できません」は禁句であり、なんであっても「やってみます」と答え、期日までに「なんとかする」の繰り返し。これは無理だとわかっても、「できません」と言わず、「○×の方がいいですね」とすり替える。
受注したときはウソでも、納品するまでにホントにするわけだ。
やっつけ仕事の連続に、精神は疲弊していった。

20代の頃は、ちゃんとした勉強をしたいと強く思っていた。
ちゃんとした勉強をしていない自分に、コンプレックスを抱いていた。自分には致命的な欠陥があって、いつか馬脚を現すだろうと恐れていた。

ところが30歳を過ぎたあたりから、勉強していないことを恥じなくなった。
ちゃんとした勉強をした人と知り合って、「あんがい大したことないな」と失望したせいかもしれない。本当の能力なんて、誰にもわからない。だったら、なんとかするスキルの方が有用だと信じるようになった。

そして今は、ふたたび、ちゃんとした勉強したいと思っている。
行き詰まりを突破する底力は、ちゃんとした勉強をしてないと弱いと思う。

しかし「ちゃんとした勉強」って、どんなものだろう?

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