アプリとボイスの台頭 / mixiが静かになった?

2009年 科技 mixi
アプリとボイスの台頭 / mixiが静かになった?

最近、周辺のmixi利用率が減ってきたように感じる。

具体的には、マイミクの日記更新ペースが下がり、足あとやコメントも減った。つまり、沈黙ユーザーが増えている。なぜだろう?

mixiアプリの影響?

理由の1つには、mixiアプリがある。みんなmixiアプリ(ゲーム)に時間と心を奪われ、日記を更新できなくなっている。とりわけ育てる系ゲームは、時間がいくらあっても足りないし、心を奪われたまま日記を書くのは難しい。
日記がなければ、そこを訪れるユーザーも減る。ログイン時の期待は別の方向に向けられる。こうしてmixiは、互いの近況を語り合うところではなく、ゲームセンターと化すのだろうか?

ゲームを「表現の場」と捉える人は少ない。多くの人は受動的に参加しており、出てきたものに一喜一憂しながら、新しいゲームに乗り継いでいく。暇つぶしには最適だが、暇つぶしは簡単にポイ捨てされる。

ゲームや、ゲームを楽しんでいる人を批判するつもりはない。ただmixiは、mixiアプリ(ゲーム)を充実させたことで、自分の価値を軽くしてしまったような気がする。もちろん、mixiアプリがなければ、いつまでも有意義な「表現の場」だったとは思わない。競合サービスはたくさんあるのだから、進化しなければ生き残れない。

mixiボイスの影響?

それと、mixiボイス(旧エコー)の影響もあるかもしれない。日常でなにかを発見したり、思うところがあっても、ボイスにつぶやけば、手軽に表現欲求は満たされてしまう。リプライ(共感や意見を伝えること)もできちゃう。
便利なボイスの登場によって、日記は、手間を感じさせるものになってしまった。

私はケータイでmixiにアクセスしないので、よくわからないが、日記よりボイスの方がケータイで読むのに適しているらしい。mixiはケータイ利用者が多いから、ボイスに流れるのも無理はない。
そうした傾向が悪いわけではないが、PCのみで利用する私には、なんだか物足りない。

mixiのコンテンツは、人間そのものだ。表現(日記、ボイス)と反応(コメント、リプライ)の連鎖によって成り立っている。表現がなければ反応はなく、反応がなければ表現も弱まる。mixiは、IT技術によってこの連鎖をうまく盛り上げた。しかし現状のmixiに、2004~2006年ごろの「熱」は感じられない。mixiアプリやボイスのせいではなく、単純に飽きられているのか?

誕生から6年が経過したmixi。今後はどう成長していくんだろうね。