デフレ狂想曲

2010年 政治・経済 社会
デフレ狂想曲

いやはや、デフレだねぇ。

デフレを脱却したいなら、みんなでいっせいにお金を使えばいいのだが、明るい未来を予測しづらい現状では、財布のヒモは固くなるばかり。お金をパッと使うことは、もはやストレス解消にならない。ちょっとずつでも貯金して、支出を減らして、暮らしをコンパクトにしていく方が安心する
モノを買うとき、「これがいいや」ではなく、「これでいいや」と思うと、デフレの針が進むらしい。わが身を振り返ると、思い当たることも多い。若いころに比べ、贅沢へのアコガレは減っている。

神さまは言いました。「産めよ、殖えよ、地に満ちよ」と……。
無限の成長は、人類に課せられた使命なのだ。昨日より今日、今日より明日。だんだん給料が増えて、暮らしが豊かになっていくことを前提にしなければ、やっていけない。なぜなら、コンパクト化を求めると、究極的には自殺することになるから。自殺してしまえば、よけいな出費に悩まされることもない。
そういえば、2009年も自殺者が3万人を越えてしまった。これで12年連続だ。数字が上下しないのは、一過性のブームでないことを物語っている。いま日本を覆っている閉塞感は、なんとなく思う以上に大きくて、それに気づいた人から飲み込まれているのだろう。今日は平気(楽観的)だった人も、明日もそうとはかぎらない。闇はなるべく見たくない。

「無限の成長なんて、ありえない」
「右肩上がりの成長期は終わった」
「コンパクトな暮らしも悪くない」

といったデフレ容認論にも賛同するが、それでも生きていくためには希望が必要だ。なんのポリシーもなく、ひたすら安さだけを追求するわけにはいかない。デフレで多くのモノをあきらめ、コンパクトな暮らしも気に入っているけど、「贅沢する分野」を残しておかないと。

こんなことを考えてしまうのだから、そーとーデフレなんだな。