一般層という神さまをお招きする

2010年 政治・経済 アニメ オタク文化 ゲーム
一般層という神さまをお招きする

押井守はゲームマニアで、『Avalon』のようなゲーム映画を撮るかたわら、ゲーム文化の考察本も書いている。その中に興味深い一説があった。

ゲームがないと困るんだって人間は、たぶん日本中で数千人しかいない。でもメーカー側は、何百万人とか何千万人を目指したんだよね。そこで、ゲームと関係ない人間も引っ張り込んだんだよ、僕から言わせると。ゲームと関係ない人間っていうのは、遊びやすくて、派手で、って望むでしょう。でも、ゲームと関係ある人間は、たちが悪いくらいに、ゲームでさえあればいいんだよ。手も足もでないところからやって、工夫してどうやって進めるのかっていうのが喜びなんだ。
押井守 『注文の多い傭兵たち』

なるほど、そうかもしれない。
メーカーはもっと儲けるため、マニアでない一般層を取り込もうとする。一定数が興味をもつと、一般層は一気になだれ込み、市場は急成長。人材と資源が投入され、技術はどんどん進化するが、その一方で、ゲームの内容は均質化していく。少数のマニアより、大多数の一般層に受け入れられるよう、尖った作品は減っていく。

たとえば、『バイオハザード(1996)』はエポックメイキングだった。その後、あまたの派生作品が生まれたが、基本的なスタイルは今も変わっていない。先日、『バイオハザード ダークサイド・クロニクルズ(2010)』をプレイしたが、あまりのぬるさに愕然とした。

こうしてジャンルは衰退していくが、最後はやっぱり熱心なゲーマーが残る。以前ほど技術革新はなく、発売本数も減るだろうが、マニアは同じタイトルを何年も楽しめるので、そんなに困らないかもしれない

これはゲームにかぎった現象じゃない。模型、アニメ、デジカメ、携帯、パソコン......オタク文化もそうだ。大量販売するために、一般層を取り込んで市場が急成長。にわかユーザーが席巻して、古参マニアは難色を示す。やがて潮が引くと、好きで好きでたまらないマニアだけが残る。自我のない一般層は、マニアの世界を渡り歩いているだけなのだ。

見方を変えると、メーカー(経営者)の願いは、「一般層」という神さまをお招きすることだ。神さまはどんなジャンルにも降臨してくださるし、莫大な利益をもたらすが、飽きると去ってしまう。メーカーは少しでも長く居てもらえるよう、さまざまなオモテナシをする。その足元には、土着の精霊・マニアが踏みつぶされている......。

うーん、なかなかシュールだ。

ぼんやり考えたことだけど、おもしろかったのでメモしておこう。