国民感覚ファシズム

2010年 社会 海外 社会
国民感覚ファシズム

最近、ネット上のコメントがやたら右傾化しているのが気になる。

戦後日本には、右寄りな意見を押さえ込む風潮があった。しかし右と左は両論あるのが自然なので、長らく押さえ込んできた反動がインターネットに吹き出した。教科書に書かれない歴史、マスコミが報道しない事実に触れることで、多くの人が考えをあらためた。ネトウヨの誕生である。
かくいう私も、その1人。しかしインターネットの普及でネトウヨが増えてきたので、なんだか怖くなってきた。

攻撃的な意見を少数が言うのはいいが、多数が言いはじめると制御できなくなる。たとえばmixiの海外ニュースを見れば、「○×を攻撃しろ」「○×におもねる政府は氏ね」といったコメントばかり。反対意見の日記には、善意の矯正(バッシング)がある。うはぁ。
攻撃的な意見は、大多数のトレンドになってしまった。

その矛先は、国内にも向けられる。民主党は、天下りを吊し上げることで、点数を稼ごうとした。「国民感覚による要不要の判断する事業仕分け」とは、つまるところ「私腹を肥やす官僚OBに正義の鉄槌を下す人民裁判」に他ならない。文化大革命かよ。
ところが、大きく育ちすぎた国民感覚というモンスターは、この程度のショーでは満足しなかった。ほどなくモンスターは、民主党そのものを仕分け(粛正)するだろう。それはいいのだが、次はどうなる?

国民の多くは安定を望んでおり、そのためなら多少の不便は我慢するつもりだ。一方で、専門家の見識より、国民感覚が優先される風潮が高まっている。こうなると国民は、絶対的な指導者を求め、強権的な統治を受け入れてしまう。そして団結を乱す意見は、合理的であっても排除する。──ファシズムの台頭だ。

開戦前の日本やドイツも、同じような雰囲気だったらしい。長引く不景気、海外から抑圧、「大東亜共栄圏」や「第三帝国」といった大義名分への陶酔......。少しずつピースが集まってきている。むぅ。
まぁ、現代日本でカリスマ指導者が生まれる確率は低いし、今さら軍国化もしないだろう。ここで「軍靴の音が聞こえる」というほど、敏感でもない。しかし不安だ。20年後、「2010年はまだ平和だったね」なんて振り返りたくない。

攻撃的な意見を、よく考えもせず、気ままに発言できる「自由」は素晴らしい。そこに代償がなければ、もっと素晴らしいのだが。