キャッチ=22 の現実

2010年 生活 健康
キャッチ=22 の現実

どこから、どこまで話せばいいだろう?

その日の夜

N氏から「キャッチ=22」という慣用句を教わった。
『キャッチ=22』(Catch-22)は、ジョーゼフ・ヘラーが1961年に発表した小説で、戦時下における堂々めぐりの狂気をユーモラスに描いている。おおまかなストーリーはWikipediaに載っていたが、おもしろそうだ。今度、読んでみるかな。
英語圏では、堂々めぐりの状況を「キャッチ=22」「キャッチ=22的状況」と呼ぶらしい。表題は「軍規第22項の陥穽」といった意味で、それは下記のようなもの。

軍規第22項
  • 狂気に陥ったものは自ら請願すれば除隊できる。
  • ただし、自分の狂気を意識できる程度ではまだ狂っているとは認められない。

アメリカ空軍爆撃隊に所属する主人公は、将校も同輩も狂っていることに気づき、自分も狂うのではないかと怯える。しかし22項によって、除隊は認められない。本当に狂ってしまったら、申請できない。どうすればいいのか?

先々月のこと

N氏の話を聞いて、ある女性のことを思い出した。
その女性はパニック障害を発症して、突発的に不可解な言動をとるようになった。様子がおかしいことは周囲も気づいているが、正常と異常の境界線はあいまいだから、なんにも言えない。すると彼女は、「私、おかしくなってる」と自分で病院に行き、そこで病名と対処法が明らかになった。今は薬を飲んだり、カウンセリングを受けることで、平穏な日常生活を送っている。
現代日本に軍規第22項はない。
自分で自分の狂気に気づくことは、ふつうにあり得るのだ

10年前のこと

20代のはじめ、友人のひとりがおかしくなった。
極端な被害妄想に囚われた彼は、私が隠したものを見つけ出すと言い出した。しかし私はなにも隠していない。だから見つかるわけがないのだが、彼は、見つけるまで決してあきらめないと言い、会社も辞めてしまった。なんでこうなったのか、さっぱりわからない。
本当におかしくなった人に、「おまえ、おかしいよ」とは言えない。しかしそういう目で見られていることには敏感なのか、彼はよく自分の正常性を示そうとしていた
「ぼくが正常な証拠は、ここに書いてあります!」
そういって分厚い文書をもってくるのだが、その行為がすでに異常なんだよね。

その日の朝

早朝、なんの事前連絡もなく、いきなり後輩が訪ねてきた。
よくわからないが、遊びに来たという。なぜこんな時間に? どうして? 話を聞くと、仕事でつらいことがあったらしい。かなりまいっている。彼はいう。
「なんか、鬱っぽいんだけど、自分が鬱だと思っているなら、まだ鬱じゃないんだよね
「いいや、おまえは鬱だ!」
かなり重傷だが、まだ壊れきってない(と信じたい)。
つらい現実からは逃げてもいいんだぜ。

さて、私自身はどうだろう?
ぶっちゃけ、私にも鬱の症状は見られるが、病院や薬はきらいなので、自分自身で治したい。あるいは、症状と折り合えるライフスタイルを模索したい。

私はおかしくない。
だって、自分がおかしいことを認識できているから。