そのときは、これほどの大災害とは思わなかった
2011年 社会 災害14時46分、かなり強い地震があった。
って、まだ揺れてる? モニタが揺れてるのか、身体に揺れが残っているのか。
最初、「またいつもの地震だ」と気にとめなかったが、揺れは強く、長かった。机やドアがぎしぎし鳴りはじめ、緊張が走る。長い。3分くらい揺れただろうか? テレビをつけて、なにも映らなかったときはビビった。リモコンの電池が抜けていただけだった。
わっ、また揺れた。ゆれれれ。うおっ、こわっ!
宮城北部で震度7? 光が丘は震度5だった。
日本全国に津波警報、注意報が出ている。テレビをつける。お台場で火事が起こってる。銚子港から一斉に漁船が出て行く。いわきに津波が到達した。新宿駅でも人が屋外に出てきた。津波、来た。すごい、すごい。海水がうねって、渦巻いて、車を押し流して。大きな船が傾いてる。わ、わ、わ!
無視できない地震だった。
また来た。ゆ、ゆれ、れれれ
※震災直後は震度7とアナウンスされた
※NHKのヘリコプターから中継された津波の映像はショックだった
※見上げるような高波ではないが、圧倒的だった
※取材ヘリでは救助できない
※都市部の電車は全面不通。だが、深刻さはない。
※17時になって、被災地の映像が増えた
※死者16人、不明11人?
※多くの人がテレビに向かって叫んだが……カメラは最後まで映さない
※翌12日:だいぶ映像が集まってきた
※コンビナートはまだ燃えていた
※NYTで読むと、さらに衝撃的だった
※12日9:30 - このとき、日本人はまだ原発を信頼していた。