東北地方太平洋沖地震、一夜明けて

2011年 社会 災害
東北地方太平洋沖地震、一夜明けて

 金曜日の午前中には想像もできなかった事態になった。

 「東北地方太平洋沖地震」がもたらした被害の全貌は、まだつかめていない。深夜も余震はつづき、新潟や長野を震源とする新たな地震もあった。ぽこぽこ泡が立つように細かく、しかし強い地震が多発している。もうすぐ夜が明けるが、不安は晴れない。
 いまの気持ちを書き出しておこう。

 地震発生時、私は自宅にいた。ゆれの大きさより、ゆれる長さに戸惑った。うちは家具が少ないので、落ちたり倒れるものはなかった。しかも鉄筋コンクリート製の集合住宅の1階だから、たぶん、比較的ゆれなかったと思う。高層ビルの高層階は、どれほど揺れただろう?

東京都中野区の揺れ

 火元を確認し、窓をあけ、テレビをつける──。20分後、さらにその10分後、新たな地震が発生した。これは尋常ではない。「関東大震災」とか「日本沈没」といった言葉が頭の中を飛び交う。緊急モードのスイッチが入った

 テレビで各地の被害を見て、戦慄する。津波がこれほど破壊力をもっていたとは
 濁流が船や建物を押し流し、田畑を蹂躙していく。速い、速いよ! 津波は秒速3メートルくらいで迫ってくるから、走って逃げるのは無理だ。しかし地面にいると気づかないのか、車を乗り捨てる人もいる。そんな車が道路をふさぐと、後続も車を捨てるしかない。恐ろしい。災害時の情報は生死を分ける
 津波は大船渡、釜石、宮古、八戸、苫小牧を襲っていく。到達の時間差で、それぞれの距離がわかる。南米チリに到達するのは21時間後だ。海面を津波が広がっていくイメージが脳裏に浮かぶ。

NHKニュース 東北地方太平洋沖地震・各地のニュース

 やがて地震は、「東北地方太平洋沖地震」と名付けられる。当初、マグニチュード7.9と発表されていたが、M8.4、M8.8と修正された。明治の観測開始以来最大規模で、阪神大震災の180倍のエネルギーをもっていたそうだ。
 「未曾有の大災害」と頭でわかっていても、各地からの被害情報を見ると身が震える。めちゃくちゃだ。これまで訪れた港町がどうなったか気になる。

 気がつくと、日が暮れようとしていた。阪神大震災のように深夜でなくてよかったと思っていたが、こんな状況で太陽を失うことに不安がつのる。冠水したり、停電した地域が真っ暗になったら、どうなるんだろう……。

 家の中を点検し、風呂に水をためる。いつでも避難できるよう、着替えなどをリュックに詰め、懐中電灯を枕元に置いて就寝した。
 が、未明の地震で目が覚める。テレビをつけると、緊急地震速報が連続していた。ふたたび緊張する。石油コンビナートは燃えているし、福島原発では周辺住民の避難がはじまった。

 一夜明けても、私たちは大災害の渦中にあった。