公共事業に支配されている

2011年 政治・経済 政治
公共事業に支配されている

『マトリックス・リローデッド』(The Matrix Reloaded / 2003年)に、こんなシーンがある。

マトリックス(=機械)の支配に抵抗するザイオン。その地下では、生命維持装置となる巨大な機械が働きつづけていた。それを見ながら、ハーマン評議員はネオに語る。

ハーマン評議員:「ここへ降りてくると、私はすべての人々がいまだマトリックスにつながれていると思うことがある。私たちは機械につながれている」
ネオ:「しかし、ここの機械は我々に支配されていて、我々を支配しません」
ハーマン評議員:「もちろんだ。だが、どうやって? その考えはナンセンスだよ。それにまた疑問がわく。支配とはなんだろうか?」
ネオ:「望めば機械を止められると言うことです

この問答はとても印象的だった──。
機械を止めれば、ザイオンは死滅する。死にたくないから、機械を止められない。人間は機械の世話をして、機械の都合にあわせる。どちらが支配(control)しているのか?

さて、民主党は八ッ場ダム建設再開を正式決定したね。これを見て民主党を批判するのはたやすいし、批判されてしかるべきだ。だが、「一度動き出した公共事業はだれにも止められない」という事実から目を逸らすことはできない。

「最後まで作った方が効率的」とか、「将来の水源として必要」とか、「知事も住民も求めている」とか、そういうことじゃない。私たちは本当に公共事業を支配(control)できているのか? 言い換えるなら、公共事業を支配しているのはだれなのか?
官僚やゼネコンが利権のために推進している……という見解は正しいのだろうか? どこかに悪党がいて、甘い汁をチューチュー吸っているなら、それでもいい。怖いのは、だれのトクにもならない事業のために、科学や予算、民意が支配されることだ。

巨大な公共事業は止められない。何年かかろうと、どれほど労力を払おうと、どんなに反対されようと、その必要性がなくなろうと、あるいは作ることによって負債が増えることになろうとも。巨大な公共事業は止められない。破綻するまで、つづく。原発事業しかり、諫早湾干拓しかり……。古くは戦争もそうだった。私たちは過去の戦争を無謀と笑うが、未来人がいまの公共事業を見ても、「なぜこんな馬鹿なことをしたの?」と笑うだろう。

思うに、民主党は心中すべきだった。八ッ場ダム中止によって、多額の賠償金が拠出されようとも、都市部の水が足りなくなり、洪水に襲われようとも、政治家は公共事業を止められることを証明するべきだった。すでに死に体の民主党政権が、なにを恐れることがある?

  私たちは公共事業に支配されている。

この命題を否定するチャンスは、もう訪れないかもしれない。