[報道・教養] カンブリア宮殿「時代を捉える変革力とぶれない信念だけが勝利を生む」 / 仏壇のない家です
2012年 生活 報道・教養 生活カンブリア宮殿で、お仏壇の「はせがわ」が特集されていた。
「はせがわ」は仏壇業界で唯一の上場企業であり、増収増益を叩きだしている。ゲストは、長谷川裕一会長。その口調はやさしく、深みがあった。
1963年の三井三池炭鉱爆発事故は、500人近い死者を出す大惨事となった。3日後、若き日の長谷川は現地に赴き、仏壇を売ろうとする。人の死で儲けるのかと叱責されるが、長谷川は、遺族のために手を合わせる「場所」が必要だと訴えたという。
事故で父親が亡くなっても、仏壇があれば、遺族は父親の存在を意識できる。仏壇の父に報告したり、約束したり、感謝したり。仏壇が交流の場となるからだ。
「先祖の霊がなくても、仏壇はあった方がいいのか?」
村上の問いに、長谷川会長は首肯した。手を合わせるときは、自分が消える。いつも自分を意識して暮らしているのだから、自分を消せる場所があった方がいい。
すごい説得力だった。
やたら美化されているが、死に触れた人の心を揺さぶって仏具を売るなんてえげつない、という見方もある。しかし長谷川会長の佇まいは、そうした矛盾を越えた深みがあった。
「儲けようとしない企業が、なぜ儲かるのか?」
村上が問うと、長谷川会長は「お金をいただけない仕事は、お役に立ててない」と答えた。これまた、まいった。
我が身を振り返って
さて、私の家に仏壇はない。実家にもない。(本家である)伯父の家には、ある。あの仏壇には私の祖父母をはじめ、会ったことないけど曾祖父母、高祖父母もおわすのだろう。もう何年も手を合わせていない。
墓参りは特別なイベントだが、家の中に仏壇があると、その存在感は大きいかもしれない。
仏壇がない家は──考えてみると不自然な状態かもしれない。ぽつりと自分だけが存在し、先祖の霊とも、神さまともつながっていない。そして死後に子孫の営みを見守ることもない。隔絶されている。
誰にも見られていない。誰を見届けることもない。プライバシーばっちり。
まぁ、だからといって仏壇を買ってこようとは思わないが、仏壇のある家がちょっぴり羨ましくなった。