甥っ子と防犯ベル

2012年 社会 教育
甥っ子と防犯ベル

 この4月で甥っ子は小学生になった。

 (以前に日記で書いたが)私が通っていた高浜第二小学校は4月で廃校となったため、甥っ子は少し離れた磯部第三小学校に通うことになった。いっしょに登校してくれる児童がいないため、毎朝、母親(私の妹)が連れていくそうだ。大変だなぁ。

 少子化のせいばかりじゃない。近所に小学4年生の子どもがいるけど、統廃合によってべつの小学校に編入されたらしい。同じ番地に住んでいるのに、小学校が異なるなんて、困った話だ。
 つまり甥っ子は、新しい学区の第1世代になるわけだ。しかし近所に6歳差の子どもはいないから、卒業まで独りで登下校することは確定している。同じ歳の子が引っ越してくればいいのだが......望み薄だな。

ランドセルの必需品

 甥っ子が見せてくれたランドセルには、黄色い防犯ベルがついていた。
「物騒な世の中だしね」
 と妹は言うけど、本当にそうなのか?
 子どもを狙った犯罪は減少傾向にあって、不幸な目に遭う確率はものすごく低いはず。マスコミが大騒ぎするから、「物騒な世の中」という印象があるけど、昔より格段に安全になったはずだ。
 もちろん、確率が低くても犯罪はある。1万分の1であろうと、1000万分の1であろうと、我が子の安全を願う気持ちに限界はない。それこそ何十年も犯罪が起こっていない土地でも、無人の荒野でも、不安はゼロにならない。

 ん、このノリは聞き終え覚えがあるな。
 そうだ。原発事故による放射線障害の話だ。科学的には無視できるのに、「いのちを守れ」コールの怒号が拡大解釈してしまう。気持ちはわかるが、理性的じゃない。

使い方を教えて

 防犯ベルの1個くらい、そんな負担でもないか。と思ったが、そうでもないらしい。甥っ子は、防犯ベルの使い方がわからないのだ。

「このヒモは、いつ引くの?」
「変な人が来た時よ」
「いま、引いていい?」
「今は駄目よ」
「じゃ、いつ引くの?」
「......」

 まぁ、6歳の子どもに「変な人」や「犯罪」の定義を教えるのは無理がある。そもそも、子どもに手を出すのは見知らぬ他人より、顔見知りが多いじゃないか。ちょっとでも知性があれば、子どもから防犯ベルを取り上げたり、押させなくするのは造作もない。実際、甥っ子は「引いてもいい?」と相手に許可を求めている。それじゃ、駄目だ。

 子どもから防犯ベルを取り上げるのはたやすいが、親から取り上げるのは難しい。

「使わなければ、それに越したことはない」
「ないより、あった方がいい」
「万が一の万が一に備えることは大事」

 気持ちはわかるが、理性的じゃない。なにかを見落としている。