情報の食べ過ぎ

2012年 科技
情報の食べ過ぎ

「生きていく上で必要な情報は、そんなに多くないんですよ」

 言われて、どきっとした。
 久しぶりにあった知人と飲んでいたときの話だ。彼とは接点も共通点も少ないため、いつしか政治や経済などの時事ネタを話していた。
 原発がどうの、民主党がどうの、少子高齢化がどうの……。
 話しながら私も、受け売りが多いなぁと思っていた。

 私はテレビよりネットでニュースを読んでいる。興味あるニュースは、いろんな分析サイトをまわって読み比べる。自分で調べるから、より深く理解できるし、記憶にも残る。
 ……で、それを話す。
 こんなデータがある。こんな意見がある。こんなアイデアがある……。
 まるで自分が知識人のような錯覚を起こすが、そうじゃない。ただ記憶して、それを読み上げているだけだ。

 彼は面倒くさがり屋なので、あれこれ調べたり、比べたりしない。わざわざ記憶して、人に話すこともない。
「あ、そういえば、おもしろいページがあったんですよ。
 でも忘れちゃったので、あとでメールします」
 毎回、こんな感じ。
 こんなんだから、ネタ探しに困るんだよ! がー!

「生きていく上で必要な情報は、そんなに多くないんですよ」
「まぁ、そうですね」

 彼の指摘はもっともだ。世の中の仕組みを学んだところで、稼ぎが増えるわけじゃない。投票すること以上に、政治活動に傾倒するつもりもない。あれこれ調べて、「ケシカラン」と憤慨するのは精神衛生にもよくない。

「たぶん、情報が多すぎるんですよ」
 ネットのおかげで私たちは早く、安く、広く、深く、手軽に情報を得られるようになった。しかしだからといって、ばくばく情報を食べつづければ幸福になれるわけじゃない。情報が無料で、読んで理解するにはコストがかかる。ならば費用対効果を考えるべきだろう。

 実用的でない情報にどれほど価値があるか?
 それを学んでどうするのか?
 先に知るべき情報があるんじゃないか?

 ものぐさな彼らしい意見だが、説得力がある。
 それはつまり、私自身も「情報の食べ過ぎ」を気にしていたんだろうな。

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