木村拓哉があんなこと言っていた

2012年 社会 教育
木村拓哉があんなこと言っていた

 いじめ問題に対する木村拓哉の発言に、大きな感銘を受けた。

 いじめ問題はデリケートだから、芸能人は発言に慎重になるだろう。なぜ、デリケートなのか? そこからおかしいと思うが、とにかく、そういう世の中である。
 木村拓哉は、「そういう世の中であることはおかしい」といった理想論ではなく、「そういう世の中でどうするか」という現実論を訴えた。そこがすごい。

「"いじり"と"いじめ"は紙一重」。木村拓哉、いじめ問題に言及。

木村拓哉が『いじめ問題』について持論を語った。アイドルとして考えを述べることは神経をつかう部分だが、現場で悩む学生達に向けて「5分でいいから真剣に語り合う」きっかけになればとあえて話したのだ。
大津市の"いじめ問題"以降も全国のいじめや学校側の対応の実態が明らかになっている。木村拓哉のラジオ番組『木村拓哉のWhtat's UP SMAP!』(FM TOKYO)にもリスナーからそれに関係するような悩みが届いた。7月27日の放送で彼がそれに答える形で"いじめ"について語ったものだ。
リスナーの悩みは要約すると「クラスで"いじられキャラ"なのかもしれない。でもいじられるのは嫌です」という内容だった。木村拓哉はそれに対して直接悩みを解決する形でなく、全リスナー、あるいは全国へ問題提起した。


彼はバラエティ番組では「"いじられキャラ"がいて"いじる"者がいる。そしてそれを見て楽しむお客さんがいる」それは"メディアの中では成立する"と説明する。SMAPでいえば"いじられキャラ"にあたる稲垣吾郎や草なぎ剛も「プライベートでいじられるのは嫌だと思うよ」と木村は語気を強めた。
そして木村拓哉は「"いじる"のと"いじめ"とは文字も似てるし紙一重」だ「相手が嫌がればそれは"いじめ"だろう」と持論を展開した。「僕が学生の頃も"いじめ"はあったが、死と直結することはなかった」と自身の体験を振り返ると「あの頃は先生のゲンコツや平手打ち、まわし蹴りとかもあったけど良かったこともあったかも。今はそれも無いし、何かが失われている」と語った。
また、木村は冒頭のリスナーからの相談に答えるかのように「今は現場の生徒が考えないといけない時がきたのではないか」と主張する。教師や親に頼っても解決しない。実際に関わる生徒自身が考えて解決するしかないというのだ。そして彼はこう付け加えた。「『木村拓哉があんなこと言っていた』とこれをきっかけに5分でいいから生徒同士で真剣に語り合ってくれたらいいな」と。
"いじめ問題"についてはさまざまな著名人がさまざまな意見を出しているが「現場の生徒が考えるしかない」といった意見は未だに聞かない。だが、ここにこそ"解決"の道があるのではないか。さらにそれを突き詰めれば大人社会へ向けて「政治家に頼っても解決しない」と警告されているようでもある。木村拓哉が投げかけた言葉は重く深い。

(Techinsight Japan - 07月28日 11:30)
TechinsightJapan編集部 真紀和泉

「今は現場の生徒が考えないといけない時がきたのではないか」
 とは、どういう意味か?
 記事にあるとおり、大人はもうたよりにならないってことだ。大津の事件が示すように、親も、教師も、学校も、教育委員会も、警察も、役所も、法律も、、まったく助けてくれない。
 そういや先日、野田総理が、「あなたは一人ではなく、あなたを守ろうとする人は必ずいる。誰でもいいから相談してほしい」とメッセージを出していたが......なんとも薄っぺらい言葉だ。まるで相談したら助けてくれるみたいで、苛立ちさえおぼえる。

できないけど、できないと言わない大人たち

 実際のところ、教師にいじめを解決することはできないと思う。いじめっ子を呼び出して、「仲良くしなさい」と叱れば解決か? 当事者を転校させたり、停学にすれば解決か?
 いじめっ子を改心・更正させるには、どれほどの時間、根気、体力、交渉力、人徳、信用、法知識が必要だろう。いじめを認めようとしない学校に、組織力は期待できない。教師は単独で、1つまちがえれば職を失うリスクを負いつつ、なんとか解決できても評価されない。逆に、見て見ぬふりをしても、誰も罰せられない。

 教師にいじめを解決できるのか?
 「絶対に無理」とは言わないが、「常識的に考えて無理」だろう。何十年もゆとり教育を続けておきながら、人格育成が駄目ってのは情けないが、これが現実なのだ。

方法は1つ

 大人がたよりにならないなら、自分でやるしかない。つまり自分のこぶしで、やり返すのだ。私の経験からも、それしかないと思う。やり過ぎてもかまわない。

いじめられている諸君、自殺するぐらいなら復讐せよ。
死刑にはならないぞ、少年法が君たちを守ってくれるから。
── 評論家 呉智英

言外にあるもの

 私は木村拓哉がどんな人物で、どんな思いでメッセージを出したかは知らない。ただニュースで伝え聞くかぎり、とても重大なことを、慎重に言葉を選んで、直接表現を避けて、伝えようとしていると思う。

 まず現代社会の完全否定だ。そりゃそうだ。子どもを救えない社会にどんな価値があるだろう? そして木村拓哉は、1人ではなく友だちと戦えとエールを送ってる。大人が駄目なら、子どもたちが団結するしかない。本当にもう、それしかないんだと。

 それで子どもたちが団結して戦って、状況を打破できたら、なにを学ぶだろう?

 子どもたちは見ている。原発事故や粉飾決算で、まったく責任をとらない大人たちを。言い訳ばかりで政治を迷走させている大人たちを。莫大な借金を未来に押しつけようとする大人たちを。

 将来、どんどん増えていく老人は、若者に敬意を払われ、守ってもらえるだろうか?
 大人たちが責任を放棄したとき、なにを失ったのか、やがて気づくだろう。

 私は木村拓哉を知らない。
 知らないけど、かっこいいと思った。