東日本大震災から2年

2013年 社会 災害
東日本大震災から2年

 今日で、東日本大震災から2年になる。

 この2年を振り返って思うことは、長期的な視野をもつことの難しさだ。震災から1年目はさまざまな問題が露見して、抜本的な見直しが求められた。「百年、千年に備えた防災計画」に、異を唱える人はいなかった。
 しかしわずか2年で、人々の防災意識はすっかり薄らいでしまった。いつ起こるかわからない災害より、目の前の生活に振り回されている。

 たとえば被災地では、まったく新しい町に造り替えるより、従前に戻すことを望む人が多いそうだ。役所の「復興計画」が遅かったり、杜撰だったり、乱暴だったりするかもしれないが、それ以前に、今すぐ効果が出ない整備を待ちきれないのだろう。
 いま日本は衰退期に入っていて、東北はそれが顕著だった。なのに、従前に戻してどうするのか? これを機に、日本でもっとも安全で、効率的で、発展的な地域にすべきだろう。とまぁ、被災地にいない人は理想を語れるが、現地に住んでいる人々は、よくわからない未来のために土地から離れたり、仕事を変えるのは抵抗があるようだ。

 原発問題もそうだ。今でも脱原発、反原発、卒原発を訴える人はいるが、私の感覚では、世間は原発の再稼働容認に傾きつつある。原発の運用体制や、10万年もつづく放射性廃棄物の処理問題より、燃料費や電気料金が気になるようだ。
 2年前、震災があって、事故があって、政府や東電が醜態をさらしたとき、私たちは目先の経済を優先した代償や、お上が信用できない存在であることを学んだ。なのに、原発のコストが高いか安いかの議論だけで再稼働を容認するのはおかしいだろう。

 もちろん、みんながみんな危機感を失ったわけじゃない。震災によって変わったことは多いし、議論はいまもつづいている。ただ、全体的な空気としては、だいぶ風化したなと思う。今後、震災の映像を見てショックを受けることがあっても、震災直後に感じたような、世の中を変えなきゃ駄目だと奮い立つ気持ちは、もう盛り上がらないかもしれない。

 人間が忘れっぽいことは、仕方ない。「忘れるな!」と騒いだところで、問題から遠い人の注意をつなぎ止めておくことはできない。やりすぎればノイズになる。
 人間は忘れっぽいが、すべて忘れるわけじゃない。100の教訓のうち、80を忘れても、20は残る。そうやって人間は進歩してきたんだろうな。

 そんなことを考えた震災2年目だった。