アイドルとプロレスは同じものか
2013年 哲学 時事ネタふと、アイドルとプロレスは同根であると気がついた。
AKB48の某が丸坊主で謝罪したニュースが席巻してから、はや一ヶ月ちょい。人々の関心もすっかり薄れ、AKB48へのバッシングもやんだ。プロデューサーの秋元康氏が「万策尽き果てた」と降参コメントを出したけど、その数日後に作詞家の売り上げ歴代1位と発表されて、すごいなぁと感心させられたり。いやはや。
「恋愛禁止条例」を見なおす話も、次の違反者が出るまで保留だな。で、しばらく騒いで、また忘れてしまう。そんなもんか。
一連の流れを見てわかったことは、だれも本気でアイドルの人生を心配しておらず、舞台からはみ出た騒動を、娯楽として楽しんでいただけだった。
「やらせ」かどうかは問題じゃない。
丸坊主にした女の子は、この一件で名前が知られるようになったが、それが意図したことかどうかはわからない。秋元康氏も「やらせ」じゃないと釈明したが、そういう空気をつくった疑惑は払拭できない。不作為は証明できないからだ。
仮に計算した行動であっても、未来がどうなるかはわからない。人々が騒げば騒ぐほど、未来は変わっていく。そう思うと、確実に「やらせ」の舞台より、はるかにおもしろい。
そういえば昔、妹が吉田栄作のドラマをよく見ていた。『もう誰も愛さない』が終わるとすぐ、『愛さずにいられない』がはじまって、私は呆れたが、妹は、
「こういう、なりふり構わないところがいいんだよ」
と喜んでいた。妹はドラマの筋書きなど興味はなく、役者たちがチープな演技をする(させられる)ところを見て、「よー、やるわー」と突っ込むことを楽しんでいたのだ。純粋なストーリー中毒者である私としては共感できないが、世の中はそーゆーものらしい。
なにかに似てると思ったら、プロレスだった。私はプロレスをまったく見ないが、夢枕獏の文章で醍醐味を教わっている。プロレスはスポーツじゃなくて、即興演劇のようなものらしい。
スポーツじゃないから、アンフェアや八百長もあり得るが、すべてはお客さんを喜ばせるためにある。だからスポーツより見ていて楽しい。そして演劇より説得力を求められる。演劇なら、「おれは強い」と言えば信じるしかないが、プロレスは肉体と行動で示さなければならない。強さを決めるのは記録でもルールでもなく、お客さんが受けた印象になる。
顔がいいならグラビアへ、歌がうまけりゃ歌手になる。アイドルはそれであって、それでない。プロレスラーもスポーツ選手であって、スポーツ選手じゃない。どちらも、なんでもありの世界で戦っている。より多くのファンを喜ばせることが身上だが、事務所の圧力や、トラブルもあるだろう。そうした舞台裏も含めて、1つの娯楽が形成されている。
まぁ、わかってる人はわかっていることなんだろうけど、今さらながら気がついたので、メモしておく。