ノミニケーションは前時代の遺物か
2013年 社会 仕事
L氏と飲んだとき、ノミニケーションの話になった。
若いころは飲まされてばかりだった。上司に誘われれば、断ることはもちろん、ためらう空気も許されない。返事は「はい」か「イエス」だった。しかし苦労したわりに、得るものはなかった。
ノミニケーション:部下として
しかも上司がおごってくれるわけじゃない。傾斜配分とかで、ちょっと多めに払ってくれるけど、そもそも飲みたいわけじゃないから、うれしくない。終電がなくなった夜の街に取り残されることもしばしば。タクシー代もないから、ファミレスや路上で夜を明かし、そのまま出社した。上司との飲みはストレスが溜まる、金や時間を失う、体調を崩して仕事に支障が出ると、百害あって一利なしだった。
馬鹿らしくて私はずっと距離を置いていたが、一念発起して、迎合することにした。やると決めたからには徹底的にやった。来いと言われて駆けつけ、飲めと言われて飲んで、歌えと言われて歌った。出世したかったわけじゃない。ただ、世の中の仕組みを知りたかった。
しかし上司が異動すると、なにも残ってないことがわかった。
移動した上司が仕事をくれるわけじゃない。社内の評価が高まったわけでもない。同じ店で同じ酒ばかり飲んでいたから、経験値も増えてない(酒の味がわからない)。まぁ、いくつかおもしろい話は聞けたけど、割に合わなかった。
見返りを求めていたわけじゃないが、ここまでなにもないとは思わなかった。ノミニケーションを強要するような人物から、なにかを得られるはずがない。それは、やる前からわかっていた教訓だった。
ノミニケーション:上司として
数年後、私は部下をもつようになった。当たり前のことだが、同じ船に乗った部下とは親しくなっておきたい。会社では話しにくいこともある。なので飲もうと声をかけるのだが、
(それって命令ですか?)
(行かないとペナルティはありますか?)
って顔をされると、誘えなくなる。
まぁ、私に人望がなかったせいかもしれない。あるいは私の考え過ぎだったかもしれない。イヤならイヤと、はっきり断ってほしいけど、そこを言わないところが巧妙なんだよね。
部下と友だちになりたいわけじゃない。すべては仕事を円滑に進めるためだ。互いのことを知っておけば、トラブルを未然に防いだり、早く解決できる。友だちならドタキャンしても許せるが、部下とそういう関係になるつもりはない。
「親睦を深める」という目的を、「友だちになりたい」と誤解されると、どうにもならない。告白してないのに、「ごめんなさい」と言われた気分だ。
ノミニケーションで煮え湯を飲まされた私としては、強要したくない。
「私と飲むことは、きっと、きみの益になる!」
そう言いたかったけど、言えなかった。自分に自信がなかったのか、その言葉に潜むうそに気づいていたのか。いつしか私は、「誘ってくれたら行く」というスタンスになって、自分からは誘わないようになった。よくない傾向だった。
ノミケーションは前世紀の遺物か
若いころは、「30代になったらもっと飲むんだろうな」って思っていた。しかし20代より30代、30代より40代の方が飲まなくなった。これほど飲まなくなるとは思わなかった。飲まされた分、だれかを飲ませることもない。飲まされ損だった。
繰り返す。強要されたノミニケーションは、百害あって一利なしだ。
飲んで親睦を深めるノミニケーションは、有益な文化だった。しかし会社が社員の面倒を見なくなった現代は、もう成立しない。上下関係を悪用するバカ上司や、なんでもルールブックで解決できると信じるバカ部下が、それに拍車をかけた。将来、ふたたびノミケーションが復活するかもしれないが、私はそれを体験することはなさそうだ。
そんな話をした。