抗しがたい出生前診断の魔力

2013年 社会 死生観
抗しがたい出生前診断の魔力

 妊娠と出産の話をしたので、もう1つ。

 今年の春から、妊婦の血液検査だけで胎児にダウン症をはじめとする3種類の染色体の変化があるかどうかを調べる出生前検査がはじまった。また一部の不妊治療においては、正常な遺伝子だけを体外受精・胚移植させる受精卵診断(受精卵の着床前診断)が行われているそうだ。
 いわゆる「産み分け」である。
 大昔からあったノウハウだが、医療技術の進歩によって、より安全で、より精度が高くなったようだ。私も詳しいことは知らないが、この分野の技術が今後ますます発達していくことはまちがいない。

注意)下記は未来を想像した「物語」としてお読みください。

未来を想像してみよう

 むかしは「五体満足に生まれてくれさえすればよい」と言って、子どもに条件的な期待をかけることはなかった。まぁ、この言葉そのものが、五体満足でない障がい者の誕生を望まない現実を暗示しているが、出産に多くを求めなかったことは事実だろう。

 しかしそれは、多くを求められなかった現実に折り合いをつけただけのことで、親の本心としては、より健全で、より優秀で、より美しい子どもを求める気持ちがなかったはずがない。
 そして産み分けの技術が発達すれば、親はかつてなかった試練を受けることになる。

 丁半博打において、ツボを開けるまえに出目を確認できるのに、それをしない理由があるだろうか? しかしツボを開けてしまえば、判断の重さは桁違いに重くなる。
(どのくらいなら許容できるか? あと何回、ツボを振り直せるか?)
 ツボの中を見てしまったら、おそらく出産時の喜びも、成長を見守る目も、がらっと変わってしまうだろう。

 試練はつづく──。

 たとえば虚弱体質で生まれてきた子どもは「どうして自分を出生前判断で間引かなかったのか」と悩むだろう。優秀な(生まれつきの差がある)クラスメートを見るときも、運命では片付けられない思いを抱くかもしれない。

 さらに社会も、劣ったり、障がいをもった子どもを産んだ親の判断を疑うようになるかもしれない。もって産まれた資質が、「避けられたはずの困難」と認識されたら、世の中はすさまじく住みにくくなる。子どもの製造物責任を問われる時代だ。

現在のこと

 とある女性が、夫にこんなことを言われたそうだ。

「ぼくの親戚に、精神異常者がいる。
 子どもを作ると、精神異常者になる確率が高い。
 だから子どもは作りたくない」

「そういうことは結婚前にいえ!」
 と彼女は怒っていた。そりゃそうだ。
 精神異常がどれほど遺伝するのか知らないが、これも産み分け判断の1つだろう。

 遺伝する病気は少なくない。先日、アンジェリーナ・ジョリーが乳がん予防のために乳房を切除したが、その判断根拠の1つは親からの遺伝だ。昔から家系の健全さは結婚前に検討されるものだが、遺伝子研究が進むと、ちがった見方をされるかもしれない。結果、「根絶されるべき血筋(社会の負担になるばかりで生産性に劣る遺伝子)」なんて価値観が生まれるかもしれない。

結論はない

 たらたら妄想を書いてきたけど、結論はない。自然出産が素晴らしく、出生前診断はよくないと断言できればカッコイイけど、そんな勇気はない。また私が断言しても、ほかの人には関係ないだろう。

 私はSFが好きなので、昨今のニュースを見て思ったことを書きだしてみました。
 この日記で不快な思いをされた方がいらっしゃたら、お詫びします。