最後の食事は、いま!
2013年 哲学 死生観マイミクが「最後の食事」についての日記を書いていた。
クローズアップ現代で終末期医療(ターミナルケア)の一環として最後に食べたいものを用意するサービスが紹介されたらしい。私は見逃してしまった。コメントしようとしたら、いろいろ思い出すことがあったので、日記に書き出してみた。
祖父のこと
母方の祖父が亡くなったのは、2005年11月。享年97歳。医者だった祖父は、自分の死期をかなり正確に予期していたようだ。老衰で臥せっていたが、
「病院に行く」
と言ってタクシーを呼んだのは、亡くなる2週間前だった。
入院中はなにも食べなかった。もとから食事の量は激減していたが、まったくなにも口にしなかった。食べられないのではなく、食べたいという欲求が湧かないそうだ。その病院の医者から薬の処方や治療プランを聞くと、要るものと要らないものを選り分けた。祖父は、治療プランならぬ終末プランを立てていたようだ。
身体に残っていたものすべてを使い切って、祖父は逝った。孫としては、誇りたくなるような大往生だった。
父のこと
親父が亡くなったのは、2007年04月。享年62歳。肝臓がんを患った親父は、終末期医療をよしとせず、最後まで闘病することを選んだ。
入院中は食事の内容や量を制限される。親父も食べたいものがあったが、ガマンした。家族もガマンする父を応援した。しかし親父はどんどん衰えて、わずかな食事も残すようになった。そして回復の見込みがなくなると、一転して食事制限はなくなった。
「もうなにを食べてもいいですよ」
そう言われた時の気持ちを、想像してほしい。
親父はもう食べられない。もう少し早ければ、食べたいものを用意できたのに!
まぁ、病院をうらんでも仕方ない。これは親父の選んだ道だから。
余談だが、回復の見込みがない患者がいると病院はプレッシャーを受けるらしく、やたら転院をすすめられた。つまり終末期医療へのシフトだ。しかし親父は拒否し、親父が昏睡してからは家族が拒否した。このあたり、いろいろエピソードがあるんだけど割愛する。
こうして親父は、病院で死んだ。息子としては、立派と称えたい往生だった。
食べられるうちは死なない
祖父と父の死から学んだことは、食べられるうちは死なないってこと。まず食べられなくなって、意識がなくなって、それから死ぬ。だから死ぬとわかってから食べたいものを食べるなんて不可能だ。
終末期医療は例外だが、日本人の30%ががんで死ぬから、「チャンス」がないわけではない。期待するのは自由だが、約束される話じゃない。
最後の食事は、いま!
とはいえ、「死ぬ前に食べたいもの」を考えることは無意味じゃない。ただ、死ぬ直前まで待ってはならない。何年、何十年も待っていたら、消化できなくなったり、味覚が変わって幻滅するかもしれない。だから、今すぐ食べるべきなんだ。
ふと思ったんだけど、最後に食べたいものを、あえて食べずに死ぬのも一興かもしれない。
最後の食事を食べちゃうと、あとはもう死ぬしかない。だから、「死ぬまでに食べたいもの」や「死ぬまでにやりたいこと」を書きだして、あえてやらないってのも、アリかもしれない。
◎
ちなみに写真は、「エンシュア・リキッド」という高カロリードリンク。飲むこともできるが、鼻から管で流し込んだり、腸から直接吸収することもできる。胃ろうを受けた人の食事になる。祖父の遺品として見つかった。つまり祖父は、食べられなくなっても栄養補給の必要はないと判断していたわけだ。
もらって帰って、飲んでみたんだけど、おいしくなかった。