メメント・モリの暗黒面

2013年 哲学 死生観
メメント・モリの暗黒面

 メメント・モリ(Memento mori)は、ラテン語で「死を想え」という意味の慣用句。

 将軍や王様も、いつか必ず死ぬ。今日が絶頂でも、明日もそうとはかぎらない。それを忘れて浮かれていると、手痛いミスを犯す。そんなとき、古代ローマ人は「メメント・モリ」と呟いて、謙虚さを取り戻していたらしい。

 しかし「メメント・モリ」には、ちがった解釈もある。旧約聖書・イザヤ書22:13にあるように、「食べ、飲もう。どうせ我々は明日死ぬのだから」というアドバイスである。

人は必ず死ぬ。しかしいつ、どこで、どのような死ぬかはわからない。わからないものに悩まされるより、今日を楽しんだ方が賢明だ。食べて、飲んで、踊ろう。明日なんて信用するな。
詩人ホラティウスの「その日を摘め(Carpe diem)」に通じる考え方だ。もちろん旧約聖書やホラティウスは快楽主義を推奨していたわけではないが、言葉は一人歩きするものだ。

 なんの話かというと、死生観について。最近、私の周囲には、ネガティブな死生観をもつ人が増えている。いや、ポジティブと言うべきか?

人は必ず死ぬ。だから、今この瞬間を楽しもう。身体が動くうちに出掛け、味覚があるうちに食べ、性欲があるうちに恋をしよう。我々は明日枯れてしまうのだから。それで万が一長生きしてしまったら、民主党に面倒をみてもらおう...
これを死生観と呼べるかどうかは別にして、「まちがっている」と反論できる人がいるだろうか?

 1人、また1人と、友人が暗黒面に墜ちていく。数年前は笑っていたが、最近は笑えなくなってきた。それは私も、暗黒面に近づいているせいか。