煮込み信仰への疑義

2014年 食べる 食べる
煮込み信仰への疑義

料理における適切な煮込みについて、考えている。

スチーム・クッカーを買って、蒸し野菜が増えた。で、あまった野菜にカレーをかけたところ、絶品だった。煮込んでないから野菜の食感、風味を楽しめるのだ。ほうとうやシチューも同様だった。味もいいが、火の通りや煮崩れを気にしなくていいから、料理が簡単になる。これは大きい。

煮込むことで具材の旨味が引き出され、具材に味が染み込む......と考えていたが、ぶっちゃけ信仰かもしれない。

信仰と科学

科学で考えれば、長時間の煮込みはよろしくない。肉は固くなり、魚は臭くなり、野菜は崩れてしまう。長時間の煮込みが必要なのは、牛肉と骨からフォンを作るときだけだ。圧力鍋も、高熱で具材を破壊している(柔らかくしている)わけで、煮込んでいるわけじゃない。煮込むのは、それ以外に具材を柔らかくする方法がないときだけだ。

とはいえイメージは強い。「グツグツ、コトコト、じっくり煮込んだ◯×」とか「△時間煮込んだ◯×」と聞くと、うまそうと思ってしまう。うっかり煮込み過ぎたら、「その分、おいしくなった」と思いたい。科学的でなくても、信仰は人を幸福にする。その点は無視できない。

必要な煮込み

煮込みがまったく不要なわけじゃない。作ったことがある人ならわかると思うが、具材のない素カレーはまだしも、素シチューはだいぶ物足りない。蒸し野菜の風味も強いから、ただ素カレー、素シチュー、素味噌スープをかけるだけじゃダメだ。

つまり、「ひと煮立ち」はした方がいい。それだけで具材に味が染み込み、おいしくなる。このとき食べる分だけ具材を投入すれば、煮込みすぎを回避できる。
それからええと、肉は蒸したり煮込むより、焼いて投入するほうがいい。ルーを濃くするため水を減らすと、野菜から水分が出ないため、バランスが崩れた。蒸し野菜の存在感は強いが、塩加減は食卓で調整する方がいい。

などなど、新たな研究テーマがたくさん出てきた。

煮込まないとダメってことはない。
煮込んじゃダメってこともない。

研鑽はつづく。