五輪エンブレム問題 / デザイナーってこんなもの?
2015年 社会 新聞 時事ネタ
未来に読み返すべく、日記を書いておこう。
2015年8月28日、東京五輪組織委員会は五輪エンブレムの盗用疑惑を否定すべく、「佐野研二郎氏による応募時の原案」を公表したが、結果として新たな矛盾、疑惑を生むことになった。
- 「原案は公表しない」と言っていたのに、なぜ唐突に公表したのか?
- なぜ採用後に類似調査して、修正後に類似調査しなかったのか?
- 2度の修正によって原案から異なるものになったなら、それはだれの作品か?
- 佐野氏が盗作でない証拠として出したアルファベットはいつ制作された?
- 委員会が評価する「展開力」は、もう致命的に失われているんじゃないか?
要するに佐野氏が採用されることは最初から決まっていて、選考過程や選考理由は後付なんでしょ? そうとしか思えない内容だった。そしてさらに思うのは、
これほど広報対応がヘタクソな委員会に任せて大丈夫か?
という懸念であろう。
エンブレムだけでなく、委員会も解体しないとダメだ。
えらい人が決めたら、だれも止められない
「森喜朗古墳」もそうだが、東京オリンピック関連のニュースは憂鬱なものばかり。えらい人が決めたら、だれも止められない。問題があっても、だれも責任をとらない。日本人がいかに権威に弱いか、まざまざと見せつけられた。日本が勝ち目のない戦争に突入した理由がよくわかる。
五輪エンブレムは10月から商品展開するそうだが、まさかこのままゴリ押しするつもりじゃないよね? ありえない、と言い切れないところが怖い。
まぁ、新国立競技場のように安部総理が見直しを指示すれば、民主党が「独裁だ」と騒ぎ出すんだろうな。権威主義の対義語は理性主義だが、権威に逆らうものが理性的というわけじゃない。自分以外の権威を認めないサヨク連中もまた、日本の病根だ。
一度決まったことを軌道修正するのは、本当に難しい。
しかしそれが「できる」と示さなければ、希望はない。
果たして未来は変えられるのか?
2020年にこの日記を読み返すとき、どんな気持ちになるだろう。
うう。
追記
エンブレムは撤回されたが、原因は究明されなかった。
デザイナーって、こんなもの?
責任者って、こんなんでいいの?