[PAYDAY2] ソロの研鑽、マルチの寛容

2015年 娯楽 ゲーム
[PAYDAY2] ソロの研鑽、マルチの寛容

 さらに「PAYDAY2」の話。

 1人より多人数でやる方が、仕事は早く片付くと思われている。社会人ならそんな「人月の神話」は信じない。信じないが......それでもゲームなら......と思ってしまう。

まずソロプレイで練習する

 PAYDAY2 の魅力は、みんなで大仕事を成し遂げるマルチプレイにあるが......その敷居はめちゃくちゃ高い。なにも知らずに飛び込めば、邪魔者としてキックされる(追い出される)。マルチプレイを楽しみたいなら、ソロプレイで練習しなければならない。

 しかしPAYDAY2はソロプレイも難しい。手順は複雑だが、ゲーム内の説明はまったくない。攻略情報や動画がたくさんあるが、やってみないと覚えない。何度も何度もやり直す。おそらく大半の人は、序盤で投げ出してしまうだろう。

 ソロプレイをやっていると、仲間がほしくなる。

「鍵開けするあいだ、周囲を警戒してくれる人がほしい」
「2階で投げた荷物を、1階で受け取ってくれる人がほしい」
「荷物を盗む役と、運び出す役を分担したいなぁ」

 それでも練習すれば、なんとかなる。
 まぁ、クリアできなきゃゲームにならないから、うまく調整されている。

ソロとマルチは別ゲーム

 こうして満を持してマルチプレイに飛び込むわけだが、地道に練習した人ほど、うまくいかない。チームにシロウトが混じるのは論外だが、同じ力量のメンバーが集っても、スタイルの差が出てしまう。

 先日の日記で述べたように、ゲームの楽しみ方、考え方などは、個々人で異なる。たとえば「イチかバチかに賭ける人」は、「条件がそろうまで待つ人」の行動がじれったく見える。しかし逆からは、軽率に見える。

 飛び出すべきか、待つべきか?
 戦うべきか、逃げるべきか?
 リスタートするか、強行するか?

 どれが正しい(効率的 or 成功確率が高い or 楽しい or 得るものが多い)と言えないから、スタイルの差が生じる。なので、いずれのスタイルでも失敗するときは失敗するが、自分のスタイルに反する失敗は未熟に見えて、腹立たしい。

(なんで飛び込むんだよ! チャンスを待て!)
(なんで時間を賭けるんだよ! とっとと行け!)
((1人なら難なく突破できたのに!!))

寛容さが問われる

 ソロプレイでは、自分がもっとも正しいと思う行動を積み重ねて、クリアという結果を得る。だから自分のスタイルこそが最善に思えるが、マルチプレイでもそうとはかぎらない。

 ここで寛容さが問われる。

 寛容とは、他人の失敗を笑って許すことじゃない。自分以外のスタイルを理解し、その長所を認め、自分のスタイルを見直す謙虚さ、柔軟さである。

(ううむ、待てば警備員はいなくなるのか!)
(むむむ、駆け抜けても見つからないのか!)
(ここは踏ん張って倒したほうがいいな!)
(ここは逃げたほうが活路が開けるんだ!)

 なんでも受け入れるのではなく、自分の基軸にあったものを選り分ける。そのため、自分のスタイルに反することも試して、なじむかどうか検証する。

(待てば確実だが、時間制限に引っかかる。
 仲間に先の様子を教えてもらえばいい!)

(飛び込むリスクが高いのは、重たい武器をもってるせいだ。
 仲間がいるから、ここは拳銃だけでいいかも?)

 こうした発見と改善が、けっこう楽しい。

現実の私は寛容だったか?

 ゲーム内の気付きは、現実にも応用できそうだ。ずっとソロ(個人作業)してると、自分のスタイルが最善に思えてくるが、マルチ(共同作業)もそうとはかぎらない。相手のスタイルを認め、自分のスタイルを見直していけば......

 1人より多人数でやる方が、仕事は早く片付くと思われている。
 社会人ならそんな「人月の神話」は信じない。

 信じないが、可能性があることを忘れてはならない。