残業は誠意をはかるバロメーター

2016年 社会 時事ネタ
残業は誠意をはかるバロメーター

電通の女性社員が過労自殺を受けて、にわかに残業が社会問題になった。

「日本人の作業効率は悪い」とか「残業をなくせば業績アップ」といった議論が飛び交ったり、電通が夜10時に本社ビルを一斉消灯したが、午前5時から出社している社員がいて意味がないと批判されたりしたが、一ヶ月もすると話題も尽き、平常運転に戻りつつある。

これまでは「残業代を払わない違法就労」が焦点だったが、今回は「そもそも残業を強いる会社の風土」がクロースアップされたのは注目に値する。とはいえ私が読んだ記事やコラムの多くは、「政府が規制すれば解決する」「経営者が決めれば変わる」といったものばかりで、感覚的にちがうなぁと思う。

私の経験で言えば、残業は誠意をはかるパロメーターであり、それゆえ解決が難しいと思う。

たとえば無理な仕事をたのまれたとき、あらかじめ用意しておいた資料を5分で返しても、まったく評価されない。それどころか追加オーダーが舞い込んで、残業せざるを得なくなる。
こういう場合、「なんとかして間に合わせます」と返事して、深夜にメール送信するのが正解だ。追加オーダーは減るし、断りやすくなる。

依頼者の立場に立って考えてみよう。なにかイラストがほしくなって、イラストレーターに依頼したとする。目の前で、さらさらっと書かれたものと、一週間後に送られてきたものを、同じ価値があると認められるだろうか?

仮に自分がオッケーを出しても、上司の承認を受けるさい、「イラストレーターが5分でやってくれました」と言うのと、「イラストレーターが残業を重ねて仕上げてくれました」と言うのでは、どちらが通りやすいだろう? 後者だと思えば、5分で仕上がったイラストを、机の中で一週間、寝かしておく。こうすれば上司からの追加オーダーが減るし、断りやすくなる。

苦役の量で価値が決まる。

そう考えてしまう日本人の習性が、残業時間を伸ばし、効率を落とし、過労死を増やしている原因だろう。
「そんなことはない!」と言う人も、たとえば「○年かけて作った映画」とか「○時間煮込んだシチュー」と聞けば、反射的にスゴイと思ってしまうのではないか? 成果物の品質は、制作にかけた時間、予算、人数と比例しない。ここにもやはり、「苦役の量で価値が決まる」という思い込みがある。

沼正三のSF小説「家畜人ヤプー」にこんな描写がある。

未来世界の白人(イース人)は、エアコンで空調できるにもかかわらず、日本人(ヤプー)を強制労働させて芭蕉扇であおがせる方が快適だと信じている。この価値観のため数兆ものヤプーが無駄な苦役を強いられるが、十分に科学が発達しているので資源が尽きることはない。またヤプーは精神も調教され、無駄なことほど喜んで従事するのだった。

この100年で格段に科学技術が進歩したにもかかわらず、なぜ残業時間が増えているのか? 親の世代が一週間かけた仕事を、私たちは5分でできるにもかかわらず。おそらく、いまやってる仕事すべてが自動化できても、正社員は残業して、クライアントや会社に誠意を示すだろう。苦しむことだけが、人間にできる労働なのだ。

この悪しき習性を、すぐ変えられるとは思わないが、そろそろ向き合わないと未来がヤバイって思う今日このごろだった。