猿の惑星・征服 Conquest of the Planet of the Apes

1972年 外国映画 4ツ星 SF:新人類

単なる反逆ものじゃない

あらすじ

1991年(前作から19年後)、コーネリアスが予言したとおり犬や猫が死滅したことで、猿たちが人間の主たるペットになった。人間は猿たちを奴隷のように酷使した。コーネリアスの息子・シーザーは施設で同族が虐待されるのを見て、ショックを受ける。また自分を育ててくれた人間が死に追いやられたことで、復讐を決意する。一方、人間たちは知性ある猿を捕まえようと包囲網を狭めていた。

ストーリーは単純。ストレスをためて、ためて、ためて、一気に爆発させるだけ。シーザーは内心を語らないので不安が募る。それはシーザーが、単純なヒーローでないことを暗示している。
ラストのシーザーと黒人の会話は印象的だった。暴力に訴えることは、まちがっているだろう。だがしかし、ほかに方法があっただろうか? シーザーは最初から人間を憎んでいたわけじゃない。どうしてペットから奴隷にした? シーザーは仲間が虐げられたことより、運命そのものに怒っているようだった。

映像はチープだし、演出不足も目立つが、全体的な満足度は高かった。SFマインドがあふれている。
最後に、個人的な思いつきをメモしておく。

  • シリーズ共通のテーマである「知性の証明」だが、本作はいささか弱い。『新・猿の惑星』とちがって知性ある猿が存在することは前提条件なのに、人間たちの追跡法は原始的だった。もし人間がプライドを刺激するような罠──知性があることで避けられない罠──を仕掛けていたら、シーザーは回避できただろうか? それは同時に、人間が猿の知性を認めた証拠にもなる。
  • 一部の猿が人間の支配を受け入れていたら、物語はいっそう複雑化したにちがいない。シーザーにはテレパシー能力があるから、言うことを聞かない裏切り者を矯正できる。だがそれは、人間がやってきた支配と同じことになる。

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