CURE CURE

1997年 日本映画 4ツ星 刑事・警察 殺人鬼 狂気 病院 超能力

『CURE』じゃわからん!

こわい映画だった。引きの構図が多く、舞台を見ているような不安感、虚構感が物語に合っていた。

伝道師(萩原聖人)の風貌、声、口調もばっちり。的外れな質問を投げることで、相手の心を揺らし、支配していく。しかし映画は支配する場面──先生、警官、女医に具体的な暗示を与えるシーン──まで描かれない。そこを見たいような、見てはいけないような。いや、見ても認識できないかも。すでに見ているかも。と、こわい妄想が連鎖する。

これは殺人教唆ではなく、催眠術でもなく、超能力の領域だ。知識と備えがないまま伝道師と向き合うことは、原始人が拳銃で撃たれるのと同じ。なにが起こったかわからないまま、殺される。
暗示には炎が使われると思っていたが、水でも可能だった。あるいは雨音でもできる。どうやって攻略するか考えていたが、糸口もつかめない。会話せず、いきなり発砲するしかない。

夢枕獏の小説『闇狩り師 蒼獣鬼』を思い出した。陰陽師・鳴神素十は、会話した相手を意のままに操ることができる。その脅威を体験したヤクザは、同じ人間が連続して返事をしないという対策を講じてくる。この駆け引きがおもしろかった。

んが、本作『CURE』は、未知に立ち向かう話ではなかった。

なにが起こったのか?(個人的解釈)

高部刑事は間宮に雨音で催眠をかけられ、妻を殺害した。しかし妻を精神病院にあずけたと思い込んでしまう。直前に包丁を手にするシーンがあり、直後はレストランで食事をしないシーン、クリーニング屋で注文を失念するシーンが挿入され、高部の認識が狂っていることが示唆される。警察幹部に間宮を披露したのも、理性的な行動ではない。
精神科医・佐久間を殺した(催眠をかけた)のも高部であろう。手錠を使っているから。佐久間は間宮に会っているが、高部にも会っている。

高部が間宮を逃し、廃屋で射殺したかどうかはわからない。廃屋のシーンも幻想的で、夢を見ている可能性がある。しかし問題は間宮の生死ではなく、能力が高部に継承されたことだ。能力が継承されることはなんとなく語られていたが、想定外だった。

廃屋から戻った高部は、(妻を精神病院に入れたときは食べられなかった)夕食を食べて、一服。ウェイトレスが包丁を手にするところで映画は終わる。ウェイトレスは催眠にかかったようだ。つまり高部が能力を継承している。しかしウェイトレスは高部と会話してないし、高部にも能力を使った自覚はないようだ。

つまり間宮にも催眠をかけた自覚はなかった。催眠をかけられた方だけでなく、かけた方にも記憶が残らない。間宮はメスメリズムについて研究する中で、誰かから能力をもらった。そのとき間宮の人格は失われ、能力に支配されていたのだ。

うーーーーーん、わかりにくい!!

真の脅威は間宮ではなく、能力だった。
能力には動機がなく、ただ輝いているだけ。ホラー風味が強くて、なにが脅威かわかりにくい。もったいない。

『CURE』というタイトルは失敗だ。どんな映画かわからん。撮影時のタイトルは『伝道師』だったが、オウム真理教事件が起こったため変更されたらしい。伝道師も劇中に出てくる言葉で、蓄音機で「イヤセ」より印象的だ。そもそもなにを癒やせというのか。『伝道師』のほうが合ってたし、むしろオウム真理教事件と関連付けたほうがテーマがきわだったと思うが、難しいか。

間宮の火傷はどんな意味があったのだろう? 能力を継承した間宮が自殺しようとしたのか? それなら高部にも同じ抵抗した傷痕があればよかったのに。

ページ先頭へ