雨 | Rain Rain

1932年 外国映画 3ツ星 ドラマ

これで伝わるだろうか...

あらすじ

 1920年代、南海パゴパゴ島。伝染病のため船が欠航し、数名の英国人が足止めを食らっていた。
 そのなかに船員たちと陽気に過ごす若い美女、サディ・トンプスンがいた。伝道師デヴィッドスンはサディを強化しようとするが、相手にされず、強制送還する手続きをする。送還されれば自由を失うため、サディは赦しを乞う。神父は耳を貸さず、サディは屈服した。化粧を落とし、黒い服を着て、別人のようにおとなしくなった。

 翌朝、神父の死体が見つかる。サディは化粧を戻し、自堕落になっていた。投げやりなサディに、オマハ軍曹が手を差し伸べ、ふたりは新天地を目指す。神父の妻は泣き崩れた。

 サマセット・モームの短編「雨」(1921)の映画化。モノクロ。上映された1932年(昭和7年)は、第二次世界大戦(1939-1945)前夜。当時の人々はどんな常識をもち、どんな雰囲気で映画を鑑賞したのだろう。

 雨で足止めされる文明人たち。原住民へのナチュラルな差別。神父、軍人、船員たち、蓄音機、酒瓶・・・。
 カメラはけっこう動くが、役者と同じ高さだから安心感がある。神父は灰色、軍曹は白、サディはチェック柄と、モノクロでも識別しやすい。神父が聖書を暗唱し、サディが倣うことで屈服するシーンは圧巻だった。

 そのあとがわかりにくい。神父は情欲に負けてサディを抱いたと思われるが、そうと示す描写が足りない。神父は二度、サディの腕を掴んでいるが、軍曹もつかんでいる。神父がサディの足や腰に見とれたわけでもない。ネブラスカの山々も出てこない。
 原作を忠実に再現してるわけじゃないんだから、もうちょっと具体的な演出があってよかった。原作を読んでないと、なにが起こったかわからないと思う。

 サディは軍曹と新天地を目指すが、神父の妻は泣き崩れる。かすかにあったサディへの同情心も霧散する。これならサディの慟哭で終らせたほうがよかった。

 よくも悪くも文学的だった。

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