アニメに囚われている
原作小説は未読だが、挿絵に描かれた奉太郎やえるはふつうの高校生だった。それを京都アニメーションは、最高の技術とセンスで美化した。奉太郎もすごいが、えるの魅力は魔性の域に入っている。もはや異次元。しかし高校生の視点としては、あれで正しい。あれこそ青春なのだ。
実写映画は、そんなアニメをなぞって失敗している。どんなアイドルを引っ張ってきても、アニメの美少女を再現するのは無理だし、無意味だ。アニメが原作のイメージを無視したように、実写はアニメのイメージを無視すべきだった。
えるは物語のエンジンであり、彼女が奉太郎を突き動かすわけだが、実写映画のえるはそこまで存在感がない。気がつくと姿が見えず、彼女の興奮や期待感を忘れてしまう。奉太郎の推理も平坦で、「頭がいい」「観察力がある」という印象はない。最後の謎解きも先生に聞くだけ。気がつけば、奉太郎の存在感も薄れている。それでも楽しめたのは、原作『氷菓』の魅力だった。これをもって「実写映画も悪くない」とは言えない。
実写映画はアニメや漫画をなぞるな。これに尽きる。
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