ぼくのエリ 200歳の少女 Låt den rätte komma in | Let the Right One In

2008年 外国映画 4ツ星 モンスター:吸血鬼 恋愛

正しき者を招き入れよ。

「すごいすごい」を称賛されているので視聴した。タイトルを見ただけで、200歳の吸血鬼少女との悲恋とわかる。内向的で、どこか嗜虐心をくすぐる少年オスカー。隣室に越してきたエリと、その父親。父親は父親ではなく従者であり、かつては少年だった。つまり交代が行われるだろうと予想が立つ。その予想に反することなく物語は進んでいき、そのまま終わった。

なるほど邦題や、ボカシを入れるセンスは呆れ果てる。
が、引っかかるので再視聴した。

80年代ストックホルムの街並みは幾何学的で、おまけに雪が降るから人のぬくもりを感じない。異世界。阻害された感じ。日本も集合住宅もそんな雰囲気があった。大友克洋の漫画『童夢』を思い出す。
ギターの音色が胸に響く。わかっていても切られてしまう。
いろいろ見えてきた。

オスカーは変わろうとしていた

オスカーはやたら脱いで、傷つけられると恍惚の表情を浮かべる。この子はイジメを引き寄せ、それを悦んでいると思っていたが、そうじゃない。少年は身体を鍛え、変わろうとしていた。1,2年もすれば筋肉もついて、ちゃんと男になれたかもしれない。
イジメっ子を棒で殴ったあと、オスカーの態度は大きくなる。初見時は成長と思っていたが、ちがうかもしれない。それは、ホーカンが使った棒だった。オスカーはホーカンと同じ道を歩みはじめた。

オスカーには、目指すべき男のモデルがいなかった。お父さんは、なんか友だちに支配されている。言葉にされないが、妙な空気が漂っている。かつての父親は男らしかった? 母親は無個性だが、いっしょに歯を磨くくらいのやさしさはあった。しかし足りない。
両親を尊敬できず、社会に期待できず、自分の成長は遅い。行き場をなくした少年が道を踏み外した、と言われればそれまでだが、そうとも言えない状況だった。

ホーカン(エリの父親)はなにを思うか

エリに叱咤されるくらいだから、ホーカンは少年時代から仕えてきたのだろう。そんなホーカンがオスカーを警戒する理由は、嫉妬と思っていた。

仕事に硫酸をもっていくくらいだから、ホーカンは失敗と死を覚悟していた。自分が死ぬ夜くらい、自分のことを思ってほしいと願うほど、エリを愛していた。そんなホーカンが、跡継ぎになるオスカーを遠ざけようとしたのは、ほんとうに親切心だったかもしれない。この道に入ってはいけないと。

孤独を恐れるだけの人生か

オスカーはセックスより慰めを求めている。だれでもよかった。たまたまエリがいただけ。恋愛映画なら戸惑うところだが、そのくらい困窮していたのだろう。
それはエリも同じ。「相手を殺してでも生き残りたい」「孤独が嫌い」というセリフが示すように、不老不死なのに困窮している。
だからふたりは引き寄せあった。それは慰めであって、恋ではない。

モールスは物足りない

モールス信号でコミュニケーションする発想は突飛。手紙でいいのに。もちろん最終カットにつながるんだけど、「おやすみ」のノックを交わすとか、ノックでは物足りなくなるとか、ステップがほしかった。どんなことを話していたのか。
エリがモールス信号を教えるならスムース。

エリを追う男はただの障害物

友人と恋人を殺された男がエリを見つけ、殺そうとする。彼は警察ではなく、愛ゆえの復讐心で行動していたが、あえなく失敗した。オスカーとエリ視点では、彼はただの「敵」で、この町に居られなくなったサインでしかない。しかしそれでいいのか? 犠牲者を思う気持ちはないのか?

プールの惨劇、だれがエリを招いたか?

プールでイジメっ子を惨殺するシーンは痛快。エリが約束を守ってくれたと思った。再視聴すると、これが虐殺だったとわかる。
エリは招かれないと建物に入れない。だれがプールに招いたか? オスカーしかいない。エリが自室で男を殺したことで、ふたりは町を出ると決心する。オスカーはそのまえに、いじめっ子たちを殺そうと思ったのだ。オスカーはいじめっ子たちに抵抗しなかった。死体に驚かなかった。ふたりで決めたことだったから。

オスカーにとって人間は、帰属する集団でなくなった。犠牲者が出ても心が揺れることはない。自分たちが生きることが大事だから。
つまりオスカーは、エリと同じく、モンスターになった。これからも躊躇なく人を殺すだろう。だれかに殺されるまで。オスカーは正しくないものを招き入れてしまった。恐ろしい。

これは恋の物語じゃない。