シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| EVANGELION:3.0+1.0 THRICE UPON A TIME

2021年 アニメ 5ツ星 クローン セカイ系 ロボット 主人公は子ども 文明崩壊後

スゴかった。

「おもしろかった?」と問われれば、「おもしろくない」と答える。
「どんな内容だった?」と問われれば、「旧劇場版を焼き直して、監督がパンツを脱いだ」と答える。
「見たほうがいい?」と問われれと、返答に窮する。

 かつてエヴァに夢中になって、落胆して、時間の経過とともに忘れてしまうのも惜しいかなー、と思っている人は、絶対見るべき。ストーリーの満足感、設定の納得感なぞ期待するな。シーン優先、エモ優先。スキあらば商品化のネタ(新メカ)をねじ込んでくるのは、すでにわかっていること。
 とにかく区切りであり、ケジメであり、卒業である。おもしろいとか、おもしろくないじゃない。

ストーリー

 1人のオタク少年がクリエイターになり、自分が望む世界を創造した。それはあまりに注目され、考察され、期待されてしまったため、少年は逃げてしまった。不完全であることは、さらなる注目と考察、期待を集めた。少年は自分が引き起こした濁流に押し流され、どん底に堕ちた。
 ある女性に手を差し伸べられたことで、少年は再起した。その女性が何者かは重要じゃない。今度こそ、きちんと終止符を打つ。ただ終わらせるだけじゃ駄目だ。自分にないものを、自分らしく盛り込む。もはや消費者は眼中にない。誰かのためじゃなく、自分自身の願いのために!!!
 なにと戦っているのか?
 父親? 世界? 自分? 自分の影? 自分が生み出したもの?
 なんやかんやあって、少年は卒業した。

 私はストーリー中毒者である。物語の外にある要素──監督がどうとか、役者がどうとか、予算がどうとか──は、なるたけ視野に入れたくない。
 しかし本作は(スタート時はそうじゃなかったが)、物語の内と外の境界を崩すことに血道を上げてきた。その執念は並ぶものがない。ここまで工夫され、ここまで監督がパンツを脱いだら、すべてを「物語」として楽しまない手はない。

 なにより26年かけたライブ鑑賞だ。
 未来の子どもたちは全作品を一気鑑賞できるだろうが、半世紀かけた体験の感慨は想像し難いだろう。いいとか悪いとか、わかるとかわからないとか、うまいとか下手とかじゃなく、スゴかった。それだけ突き抜けた最終回だった。

物語を見ると

 よかれとやったことが災いになることがある。
 親がやったことの落とし前を求められることがある。
 なんであれ、向き合わなければならない。

 どんな災害も、悪いことばかりじゃない。
 敵も味方も同じ構造である。
 絶望も希望も同じ構造である。

 願いを叶えるには報いが伴う。
 エゴは愚かだが、生きる理由である。
 運命に理由はない。

スゴいところ

 やっぱ絵がスゴい。アングルや動きがアニメの域を超えている。2度3度見ると、なにげないシーンの立体感、臨場感に驚かされる。まぁ、「いまのシーン、いる?」と首を傾げることもあるが、見てる数秒は呑まれてる。
 それから声がスゴい。ほんとうにスゴい。
 これはちょっと言葉で説明しづらい。

リメイク希望

 エヴァをどう終わらせるか? なにかイメージやプロットがあって新劇場版を作り始めたわけじゃないようだ。この「シン・エヴァ」でさえ、CパートができてからDパートを作ったらしい。

 暗中模索で制作するメリットもあれば、「そうなると知っていたら、こうした」という反省もあっただろう。「シン・エヴァ」を前提に「Q」を作ったら、まったく違ったはず。んが、そのへんを論じてもしゃーない。
 あるがままを受け入れよう。

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