自由の女神とエリス島移民博物館
2002年 ニューヨーク #ニューヨーク旅行 世界遺産 博物館ニューヨーク旅行の〆に、自由の女神を見に行こう。
マンハッタン端っこにあるBattery Park(バッテリー公園)から、自由の女神像行きのフェリーに乗船する。Immigration Museum(移民博物館)のあるエリス島上陸も含めて、$11.50(1,495円)。
※フェリーはほぼ貸し切り状態だ
※出航した
リバティ島上陸
自由の女神像(The Statue of Liberty)。
正式名称は、Liberty Enlightening the World(世界を照らす自由)といい、世界遺産に登録されている。台座部分はアメリカ移民の歴史博物館になっており、内部の階段で頭頂部の展望台まで登れる。
『アメリカ横断ウルトラクイズ』で有名になり、『X-MEN』の決戦の地になったところだ。
※上陸する
さっそく見学しようと台座に向かうが、なにやらテントが張ってある。中をのぞくと、オジサンが1人いて、手招きする。なんだ?
※入り口にテントがある
※まぁ、見てくれ
テロ警戒で入れません
事情を説明するビデオが上映されるが、英語でさっぱりわからない。要するに、入れないのだ。持ち物検査とか身分証明が必要とか、そーゆー話ではなく、まったく入れない。なんてこったぁ。知らなかったよ。
だから、フェリーの客がいなかったのかぁ...。
※島をすみずみまで歩いてみる
※すぐそこにあるのに
エリス島移民博物館へ
ふたたびフェリーに乗って、1.6キロ離れたエリス島へ。
次の便には、そこそこ人が乗っていたが、みんなは知ってるのかな? 自由の女神像は見るだけなんですよ。
※Immigration Museum(移民博物館)
移民たちの記憶
エリス島には、1892年から1954年まで移民管理局があった。つまりアメリカを目指して海を渡ってきた人たちが、最初に踏む大地がここだったのだ。現在は博物館となっており、当時の資料が展示されている。
※左から見るとアメリカ国旗
※右から見ると移民たちの顔
考えてみればすごいこと
当時の移民者は、劣悪な環境を耐えてアメリカにやってきた。途中で沈んでしまう船もあった。飛行機の13時間で文句を言っている私とは大違いだ。
彼らは、アメリカの情報をよく知らないまま、自分の身と夢だけ持って海を渡った。あれこれ調べて、えんえん準備する現代人(おもに私)とは大違いだ。
まぁ、当時は圧政から逃れる人が大多数だったんだけどね。
※移民者たち
※日本人がどこへ散っていったかわかる
エリス島で昼飯を
腹が減ったので、昼食にする。
いつもどおり大ざっぱなファストフードなんだけど、気持ちよく食べられた。
※フードコートもある
※ぶちゅちゅ
建物の思い出
現在のアメリカ国民4割の祖先は、エリス島から入国したと言われている。危険を賭して渡米しても、病気などの理由で入国できず、ばらばらになる家族もあったとか。それゆえエリス島は、「涙の島」と呼ばれていたとか。
※レンガ造りの建物
※このホールに並んでいたのかな
※この窓からアメリカを見たのかも
彼らに比べ、私はなんと恵まれていることか。
飛行機があって、ネットがあって、英語学習教材があって、それでなにを成したと言えるだろう?
※さぁ、帰ろう
エリス島を訪れたのは、とてもいい経験になった。
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