きみは大船観音を知っているか?

2007年 神奈川県 建物:社寺・史跡 戦跡・軍事施設
[WGS84] 35.353402, 139.528784 - Google Earthで開く(kml)

さて、大船といえば大船観音である。

大船駅西口にまわると、柏尾川を挟んだ山の向こうに観音様の白い顔が見えた。こんなに駅から近いとは!

大船観音
※まさに駅前観音だ

大船観音
※ズームしてみる

それにつけても暑い
直射日光をたっぷり浴びて、ゆらめく自分の影を見ながら歩く。大船観音寺への参道に入っても、蒸し暑さは変わらない。ほげー。

大船観音
※暑いなぁ

じつは胸像だった

拝観料(300円)を払って、さらに奥へ。
あの向こう側に観音様がいる!

大船観音
※ちょっとシュールな構図

大船観音
※いよいよ対面だ......

大船観音
※あれ? 足は? 胴体は?

てっきり立像と思っていたけど、胸像だったのか

──そうか、そうだよね。
胸像だけで25mあるんだから、立像だったらコン・バトラーVの身長を超えちゃうな。山のてっぺんから頭だけ出して、全身が地中に埋まっているはずがない。トライダーG7じゃあるまいし......。
嫁は知っていたので、私だけが驚いてしまった。

豆知識:戦前から造られていた大船観音

大船観音の建造が開始されたのは1929年(昭和4年)。
1934年(昭和9年)には輪郭ができあがったのだが、戦局の悪化によって建造は中断、その後、20年以上も放置される。戦後になって工事が再開、1960年(昭和35年)に完成した。

大船観音
※この高台からの景色もだいぶ変わっただろうな

建立の目的はもちろん、観光ではない。
日本を護るための大観音建立だったのだ。当時は「護国観音」と呼ばれていたのだが、敗戦で世相も変わったことを受け、戦没者慰霊と世界平和を祈念する「大船観音」として完成したわけである。

大船観音
※日本を護るための大観音建立だった

背中から内部の部屋(胎内)に入れる。
ここに大船観音の歴史が保管されていた。冷房されていないので、蒸し暑い。見上げると、観音様を内側から支える梁が見えた。圧迫感があるなぁ。

大船観音
※大船観音の胎内

慈光堂を抜けて原爆被災祈念碑へ

大船観音から階段を下りていくと、慈光堂に出る。
ここでお詣りして、さらに階段を下りると、原子爆弾による犠牲者を弔う「原爆被災祈念碑」があった。日本を護るための大観音が、終戦に間に合わず、その犠牲者たちを弔っているのか。

大船観音
※原爆被災祈念碑:原爆によって溶けた瓦があった

軽~い気持ちで見に来たけど、来歴を知って襟を正す。
今年は戦争に関するイベントが多い。

それにつけても暑いなぁ...。

■大船観音
[住所] 神奈川県鎌倉市岡本1-5-3
[電話] 0467-43-1561
[歴史] 創建:1960年(昭和35年)

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