長崎原爆資料館の印象

2009年 長崎県 博物館 戦跡・軍事施設
[WGS84] 32.77293, 129.8645 - Google Earthで開く(kml)

いよいよ長崎原爆資料館を訪れる。

入場料は200円。施設の規模を考えると格安だと思う。
明るいドーム内のらせん通路を歩いていると、なんだか神妙な気分になってくる。そして暗い館内に足を踏み入れ、カッチコッチと時計の音が聞こえはじめると、背筋に緊張が走る。私たちは、1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分に遭遇した。

長崎原爆資料館
※長崎原爆資料館

長崎原爆資料館
※らせんを描く入り口

長崎原爆の全体像を学べる

グロテスクな展示を覚悟していたが、それは心配しすぎだった。
原爆によって倒壊した建物の残骸や、溶けたガラス瓶、焼けた衣類などが、その凄惨さを静かに伝えている。手で触れる原爆資料もあった。放射能汚染は心配ないようだが、触れるときは緊張する。地形がわかるジオラマや、証言者のビデオなどもあり、とてもわかりやすい。漠然としていた長崎原爆の全体像が、明瞭に、自分の視聴覚を通じて学べたように思う。

撮影禁止
※撮影禁止

現代の核兵器について学ぶコーナーでは、核兵器開発や実験による被爆者が世界中にいて、核兵器が身近な驚異であることを思い知らされた。資料館を出るころには、ふたたび神妙な気分になっていた。

戦争に負ける、ということ

ただ、気になったこともある。
原爆について反省すべきは、日本じゃない。なのに批判の矛先が日本政府、あるいは日本人に向けられた記述が散見された。具体的にどこが気になったかは明らかにしない。現地を訪れて、私と同じように感じる人は感じるだろうし、わからない人にわかってもらう必要もない。

長崎原爆資料館
※平和公園の鳩

強く印象に残ったのは、原爆の被害ではなく、戦争に負けることの意味だった。戦争で、どちらか片方が一方的に悪いなんてことはありえない。しかし戦争は責任の所在をあいまいにする。ましてや敗戦国が公平を訴えることは難しい。
資料にウソはないが、展示や説明には一定の配慮が働いている。それがなんとも、つらかった。

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