大日影トンネル遊歩道 / 明治の鉄道遺産
2009年 山梨県 交通:鉄道 酒:ワイン大日影トンネル遊歩道の坑口にやってきた。
すぐとなりに現役トンネルの上下口があるから、連続して3つの穴が空いている。足元には、当時の線路が残されていた。
ガイドさんが、トンネルや近隣の歴史を説明してくれた。
※勝沼側の坑口:左は新大日影トンネル
106年の歴史
大日影トンネルが開通したのは106年前──1903年(明治36年)だから、日露戦争(1904-1905)がはじまる前年だ。このトンネルのレンガは勝沼の土を焼いたものなんだって。輸送手段を造るのだから、その材料を輸送してくる余裕はなかったわけだ。大日影トンネルは中央本線の物流の所要時間を短縮し、ぶどうやワインの輸送を爆発的に増加させた。1997年(平成9年)まで利用されていたが、となりに新ルート(新大日影トンネル)が開通したことで役目を終える。JR東日本から旧勝沼町に無償譲渡され、遊歩道として整備されたのは2007年(平成19年)のこと。まだ2年前だ。
※菱山口
※約1.4km先の深沢口が見える
トンネルの全長は約1.4km。徒歩で30分くらい。廃線トンネルを利用した遊歩道としては、日本一の長さを誇る。
直線なので、向こう側(深沢口)の光が見える。電車のスピードを落とさないよう、真っ直ぐ掘り進めたわけだ。しかしもっとスピードを出すため、となりに新大日影トンネルを掘ってしまうのだから、人間の速さへの執着はすさまじい。
坑口でガイドさんの話を聞いていたら、ちょうど新大日影トンネルから電車が飛び出してきた。トンネルの奥からゴーッと音が近づいてくると、肌がぞわぞわした。
※いよいよ坑内へ
やはりトンネルの中は涼しい。広いし、向こう側が見えているので、鍾乳洞や地下壕のような圧迫感はない。
※線路の両脇が舗装されている
※線路からのながめ
現役時代のまま保存されている
トンネル内部には、実際に使われていたレールや鉄道標識、待避所(36か所)、勾配標、キロポスト、ケーブル、水路などが残されている。天上や壁面のレンガには、電化されるまで走っていた蒸気機関車の煤(すす)がこびりついている。うっかり壁に寄りかかると服が汚れるので注意すべし。
※見事なイギリス積み
※待避所:ベンチや写真展示もある
※壁にこびりついた煤(すす)
注意:写真は事実を伝えていません
念のため断っておくと、これらの写真は長時間露出で撮影されている。実際はもっと暗い。照明と照明のあいだは、自分の手もよく見えない。
※蛍光灯の明かりで植物が育ってる
※勾配標:ここから25‰が25.2‰に変わる
※レンガを削って排水溝
※深沢口330m手前から開渠(かいきょ)があるので注意
たくさん写真を撮ったけど、あの雰囲気は伝わらないなぁ。リアルに徹すると、真っ暗でよく見えない写真になるし......。
私もネットで写真を見てから現地に行ったし、その私がこうして写真を載せているわけだが、それでも言おう。写真と現物はちがう。興味がある方は、現地でこの感覚を味わってほしい。
※大きなサイズでお見せしたい
外へ
1時間半後、ようやく深沢口に抜ける。途中で飽きた嫁は、一足先に外の空気を吸っていた。ふぅ、空と太陽がありがたい。
菱山口では隣接していた新大日影トンネルはどこへ行ったのか。地中は見えない。
※深沢口に抜けた:正面に見えるのは勝沼トンネルワインカーヴ
※深沢川河川隧道:大日影トンネルと同じ工法、材質で造られている
勝沼トンネルワインカーヴ(旧深沢トンネル)
1,100mの旧深沢トンネルは、ワインカーヴとして生まれ変わっていた。観光施設ではないが、見学できるのでのぞいてみた。トンネル内には、ワイナリーや個人オーナーの貯蔵庫になっている。空調の音が鳴り響いていた。
※勝沼トンネルワインカーヴ:大日影トンネル遊歩道とは雰囲気がちがう
※深沢口を上から見たところ
時刻は11時を過ぎていた。
いかん。こんなに時間を食うとは思わなかった。
私たちはウォーキングを再開した。