浦上天主堂 / 被爆した教会
2009年 長崎県 建物:教会平和公園から歩いて、浦上天主堂に向かう。
長崎で見る最初の天主堂(教会)。このあと長崎と福江でたくさんの天主堂を見ることになるが、このフォルムが多かった。天主堂という呼び名といい、東日本の教会とは少し傾向がちがうようだ。
※平和公園から見える浦上天主堂
被爆した教会
浦上天主堂(Urakami Cathedral)は、キリシタン弾圧に耐えぬいた信徒たちが、1895年(明治28年)から24年の歳月をかけて建てた東洋一の大聖堂だった。しかし原爆投下によって原形を留めぬほど破壊されてしまう。このとき教会にいた信者は全員死亡している。
天主堂の遺構は貴重な被爆資料だったが、1)信者たちが現地に再建を希望したこと、2)長崎市がアメリカに配慮したこと、から破壊・撤去されてしまう。一部外壁は平和公園に移設され、また堂の前に被災した天使像もあるが、もし遺構を現地に残していたら、広島の原爆ドームのような遺構になっていたかもしれない。
※原爆で焼かれた天使像
日本最大のカトリック教会
1959年(昭和34年)、現在の浦上天主堂が新築される。その後、司教座聖堂(カテドラル)となった。所属信徒数は約7千人で、日本最大のカトリック教会である。キリシタン弾圧の地にある教会が最大規模とは知らなかった。
※ロマネスク式の大天主堂
※正面より
※けっこう大きい
青い光に満たされていた教会内部
あいにく教会内部は撮影禁止。ステンドグラスによって、青い光に満たされていた。キリストの生涯をつづったステンドグラスが見事だった。屋内からだと本当に光っているように見える。
※お見せできない
※外からちらりと
■浦上天主堂
[所在地] 長崎県長崎市本尾町1-79
[連絡先] 095-844-1777
[営業時間] 営業期間 公開 : 9:00~17:00
[休業] 月
[創建] 1914年
※稲佐山から見た浦上天主堂(2月6日)
このあと浜口町から桜町に移動、長崎市役所で食堂の位置を確認する。ついでに長崎市立図書館を見ようとしたが、道をまちがえてしまう。GPSがあっても迷うときは迷う。公会堂前から長崎駅前まで電車に乗って、ロッカーの荷物を回収。ふたたび公会堂前にもどってきて、今日から二晩泊まる宿、長崎インターナショナルホステルにチェックインした。