[妄想] 月に囚われた男

2011年 妄想リメイク
[妄想] 月に囚われた男

歯車なら──

まえがき

『月に囚われた男』はSFファンが飛びつく題材を扱いながら、SFファンを納得させるには至らなかった。てなわけで、自分なりに再構築してみることにした。


1. 日々の終わり

近未来

近未来、月で産出されるヘリウム3によって、地球のエネルギー問題を解消された。もう枯渇や公害を気にすることはない。月がもたらすエネルギーは地球の総消費量の7割に達していた。

月の裏側の採掘基地

(c) Copyright 2009 Sony Pictures Classics. All rights reserved.

それほど重要なインフラでありながら、ヘリウム3採掘現場の作業員はサム1名だった。契約期間は3年。話し相手はロボットの「ガーティ」だけ。アンテナが故障しているため地球と交信できない。

採掘基地は完全自動化されていた。しかしロボットは『ロボット工学三原則』の制約により、人間の命令や評価なしに長時間作業できなかった。

サム:だれが監督でも同じ。こんなの仕事じゃない。
ガーティ:そんなことはない。サムは技術も知識もある。きみの指導で生産効率は高まった。
サム:そうは言っても退屈は退屈だ。
おれのやることは食って、眠って、排泄すること。ちょこちょこ運動して、古い映画を鑑賞して、残り日数を数えること。1年で気力は萎え、2年で体調を崩し、いまは正気を保つため多大な労力を払っている。やれやれ。

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ガーティ:サム。もうジオラマは作らないのかい?
ジム:ジオラマ? ああ、これね。
前任者たちがコツコツ作ってきたジオラマ。中世の城塞都市で、精緻に再現されている。おれの好み。はじめは興奮したけど、もう飽きた。おれの次か、その次の監督が完成させるだろう。
ガーティ:サム。機嫌が悪いようだな。砂糖多めのコーヒーでも淹れよう。
サム:お、おう。

ガーティは優秀だった。健康面、心理面のケアはカンペキ。おれが教育したわけじゃない。前任者たちを世話する中で、人間のことを覚えていったらしい。
ありがたいが、いささか不気味でもあった。
ガーティは、おれの、言葉にしていない気持ちまで察してくれる。腹が減ったと意識する前に、食べたい料理が出てくる。不快に思うと、出しゃばらなくなる。そのうち、自分からガーティに話しかけている。依存しつつある。よろしくない。
とはいえ、ガーティ(との会話)がない暮らしは不可能だった。

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サム:会社はもっと人材を大切にした方がいいね! こんな極地に単身赴任する技術者なんて、そうそういない。おれは貴重な存在だから、もっと要望を聞け! まずアンテナを修理しろ! それからジオラマ用の道具をくれ!
ガーティ:そのとおりだ。

不測の事態

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契約終了まで2週間を切ったある日、サムは採掘現場で事故を起こした。

サム:しくった。ロボットは助けに来られない。
このまま餓死するところだが、そのまえに失血死、そのまえに気絶。こんなことになるなんて。テス、イヴ、ごめんよ。

朦朧とした意識の中、サムは何者かに救い出された。

サム:誰だ? 月に、おれ以外の人間が?

2. 見知らぬ男

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基地の医務室でサムの目が開く。
ガーティ:サム、目が覚めたのか。きみは事故で頭部を強打した。まだ意識がハッキリしないだろう。少し休むといい。
サム:ガーティ? だれがおれを助けた?
ガーティ:少し休むといい。
ベッドの脇に、自分を見下ろす自分(サムB)がいた。
サム:おまえは誰だ? ガーティ、あいつは誰だ?
ガーティ:サム。少し休むといい。
サム:はぐらかすな!

数日後、サムAがベッドから這い出すと、サムBがいた。自分と同じように生活し、ガーティに作業指示を出している。スムースに仕事が進んでいることに、サムAは不快感を覚えた。

サムA:おまえはだれだ?
サムB:サムだ。
サムA:サムはおれだ。
サムB:そのようだ。
サムA:どこから来た?
サムB:あんたと同じ。3年契約で雇われた。着任3日目。「前任者と顔を合わせることはない」と聞いていたが、まさか谷底に転落していたとは。救助が間に合ってよかった。
サムA:どういうことだ? どうして同じ顔をしている?
サムB:まだ本調子じゃない。もう少し回復してから話そう。
サムA:1つだけ答えろ。今日は何日だ?
サムB:ガーティ。
ガーティ:2107年9月3日。
サムA:2107年? 2110年だろ? なんで時間が巻き戻ってる?
サムB:いまは考えるな。あとで話そう。

サムBの視点

医務室を離れ、サムBはガーティに詰問した。

サムB:ガーティ、あいつは誰だ?
ガーティ:サムだ。
サムB:どうしてサムが2人いる?
ガーティ:サム。コーヒーはどうだろう?
サムB:ガーティ!
ガーティ:サム。コーヒーはどうだろう?
サムB:おまえは彼を見殺しにするつもりだったのか?
ガーティ:ちがう。彼(サムA)は死んだと認識されていた。事故発生時に外出を禁じるのは、本社が定めたルールなんだ。
サムB:サムが2人いるのも、本社の指示か?
ガーティ:・・・。
サムB:本社につないでくれ。直接聞くよ。
ガーティ:それはできない。
サムB:なぜ?
ガーティ:私はきみの安全を守らなければならない。
サムB:どういう意味だ?
ガーティ:・・・。
サムB:ガーティ、あいつはクローンなのか? どうしておれのクローンがいる? クローンは国際条約で禁じられているはずだ!
ガーティ:サム。コーヒーはどうだろう?

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サムAの視点

サムAがベッドから這いだしてきた。
サムA:おまえは幻覚だ!
サムB:回復してからと思っていたが、いま訊くよ。
あんた・・・赴任はいつから?
サムA:2107年9月1日から3年間。
サムB:家族は?
サムA:テスと、娘のイブ・・・。
サムB:あんた、子どものころ右足で釘を踏んでないか?
サムA:踏んだのは左足だ。
サムB:・・・。
サムA:なんなんだ?
サムB:断っておくが、おれはなにも知らない。おれもあんたと同じ立場だ。
サムA:・・・。
サムB:その上でおれの考えを言おう。会社はサムのクローンを作った。記憶もコピーされている。問題は、どっちがオリジナルか、だ。
サムA:おれがオリジナルだ。ぐふっ。
サムB:おれは敵じゃない。もう少し休め。
サムA:ごほ、ごほっ。
サムB:(容態が悪化している。怪我のせいだろうか?)

現在との通話

手がかりを求め、サムBは作業エリア外から地球へ通信を試みた。

サムB:案の定、エリア外周に妨害電波を発する仕掛けがあった。基地の設備を修理しても通信できないわけだ。

自宅に電話すると、テスが出た。

サムB:テス! おれだ! 聞こえるか?
女性:ごめんなさい...電波状態が悪くて...どちら様ですか? ...テスは...亡くなっています。
サムB:なに言ってるんだ?
いや、待ってくれ。きみはひょっとして・・・イブか?
イヴ:私はテスの娘イヴ...母のお知り合いですか?
サムB:おれは...
イヴ:ごめんなさい。よく聞き取れませ...映像も届いてません。
サムB:教えてくれイブ。テスは・・・どうして死んだ? いつ? 地球はいま何年だ?
イヴ:お父様、お母様のことで電話です。
サム:誰から?
イヴ:あれ? ディスプレイのIDは・・・

ツーツーツー。
サムBは通話を切った。

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サムB:畜生! おれもクローンだった!
通話日時は2243年。おれの記憶から36年経過。本物のサムは72歳か。

3. 舞台裏

クローン貯蔵室

基地にもどると、サムAが待っていた。

サムA:よう、おれ。おれたちが来たところを見つけた。
サムB:?
サムA:ここがわかるか?
サムB:ポット射出口。作業員はポットで眠らされて、ここに到着する。任務を終えたら、このポットから出ていく。
サムA:じっさいは射出されず、ポッドは下の部屋に回収される。
サムB:ここは?
サムA:クローン貯蔵庫。おれたちは地球から来て、地球に帰るんじゃない。はじめからここにいたんだ。

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追求

サムB:おれたちはクローンなんだな? ガーディ。
ガーティ:・・・。
サムB:はぐらかしても無駄だ。おれたちは知ってるんだからな。
ガーティ:・・・。
サムB:今はいつなんだ?
ガーティ:2243年12月22日。
サムB:クローンは国際条約で禁止されているはずだ。
ガーティ:条約は、宇宙空間での製造と利用を禁じていない。
サムB:しかしクローンの寿命は短かったはず。たしか・・・
ガーティ:3年で体組織の崩壊がはじまる。だから3年で交代してもらっている。
サムA:つまり交換さ、おれたちは3年ごとに交換される部品なんだ。
サムB:ふ、不合理だ。違法クローンを作って運用するのはコストがかかる。企業がそんな無駄なことをするはずがない!
ガーティ:サム、きみは貴重な存在なんだ。きみが考えている以上に。月面作業に必要なノウハウを有し、かつ長期の単身赴任に堪えられる技術者はいない。
サムA:企業としては技術者を探したり、育成するより、クローンで増やした方がずっと安上がりってことか。

サムB:おれで何人目だ?
ガーティ:15体目だ。
サムB:15? 3年交代で36年なら12人、いや13人目じゃないのか?
ガーティ:今回のように事故で損耗した場合、次のクローンが繰り上げて解凍される。死体は救助隊によって回収・処理されるから、次のクローンが"前任者"に気づくことはない。
サムB:任期満了した人数は?
ガーティ:9人。
サムB:6人は事故死。ハードな職場だな。
ガーティ:事故死だけでなく、重傷や救助困難な場合も処分される。
サムB:もういい!
ガーティ:サム。事故があるたび、設備は改良されている。この8年は無事故だった。今回の事故も今後の基地運営に役立てられる...
サムB:なんだ、ガーティ。慰めてくれるのか?
ガーティ:サム。きみは貴重な存在だが、私は私自身を守らなければならない。きみはいま、基地を破壊しようと考えている。
サムB:なぜ、わかった?
ガーティ:これを見てくれ。5体目のサムだ。

監視カメラの映像。
ひげ面のサムがモニターごしに本社の重役と言い争っている。

ガーティ:5体目のサムも偶然、クローン貯蔵庫を見つけた。アンテナを修理して、本社重役に掛け合ったんだ。

サム5:畜生! おれはクローンだった! この事実を世界中に暴露してやる! 回線を地球につなげ! でないと基地を破壊するぞ!
重役:サム、落ち着け。そんなことをしてどうなる? きみの寿命が延びるわけじゃない。ルナ産業が崩壊すれば全人類が困窮する! 文明社会を破壊した男を、だれが歓迎する?
サム5:知ったことかッ!
重役:きみは、いまの地球を知らない。きみのような技術者はもういないんだ。エネルギーの無限供給で労働者が激減してしまった。コストの問題じゃない。これしか選択肢がなかったんだ!
サム5:犠牲になれってのか?
重役:きみは永遠の存在だ。オリジナルのきみは歳をとるが、基地にいるきみは若いままだ。会社は私のクローンなど作ってくれないだろう。私は働いて、死んで、それでオシマイだが、きみはちがう! 会社はきみに感謝している。全人類がきみに感謝している。きみはとても価値ある仕事をやっている。会社は、きみに報いたい。クルーザーを派遣するから、それで...
サム5:駄目だ。おれが去っても次のクローンが目覚めるだけ。おれが死ぬのに、おれが利用されつづけるのは我慢できない。おれは、おれの痕跡すべてをここから消し去る! 基地を破壊する!
重役:サム。残念だよ。

そこで映像が途切れていた。

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サムB:なにがあった?
ガーティ:本社の強制コマンドでコントロールを奪われた。メモリーはないが、なにがあったか推測できる。おそらく基地の空気が抜かれ、5代目サムは即死。本社に遠隔操作された調査メカが凍結死体を片付け、与圧して、私を再起動した。
サムB:本社は今回のことを知っているのか?
サムA:つまり前任者が死ぬ前に、次のサムが着任したことを。
ガーティ:報告していない。私の仕事は、サムを助けることだ。サムに害が及ぶことを看過できない。本社に報告すれば強制コマンドが発令され、きみが殺される。サム、この基地にはきみが必要なんだ。

サムB:よく言うよ。
サムA:・・・。
サムB:なにがおかしい?
サムA:いやなに、おれは人類に必要な歯車だったんだなぁってね。
サムB:なに言ってるんだ?

4. 分の悪い賭け

脱出計画

サムBはマスドライバーで射出されるコンテナに潜り込んで、地球に脱出するプランを考案した。

ガーティ:サム。そのプランの成功確率はあまりに低い。きみは荷重に堪えられない。
サムB:ここにいても死ぬだけだ。一か八か試してみる。
ガーティ:アラート。本社の調査メカがこちらに向かっている。どうする?。
サムB:もう1人、新しいサムを目覚めさせろ。本社連中をごまかさないと、この基地は封鎖される。
ガーティ:わかった。特例として実行する。

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ベッドにサムCが眠っている。

サムA:こいつは誰だ?
サムB:3人目のサムCだ。本社の調査メカが向かってる。あいつの死体を作業車に乗せれば、あんたの死を偽装できる。そのすきに脱出しよう。
サムA:無理だ。衰弱がひどくて、立っているのがやっとなんだ。
サムB:大丈夫か?
サムA:大丈夫じゃない。おれが作業者に戻って、そこで死ぬ。
サムB:3年の任期を終えたんだろ? イブに会いたくないのか?
サムA:おまえが会ってくれ。もし幸福なら、なにも言うことはない。不幸だったら、おまえに託す。
サムB:・・・。

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大破した作業車に向かうサムAとサムB。

サムA:本来なら、おれはここで死ぬはずだった。
サムB:すまない。
サムA:なぜ? おれはおまえに感謝している。なにも知らずに処理されるより、ずっといい。あんがい、悪い人生じゃなかった。
サムB:・・・。
サムA:おれはここで、おまえの成功を祈っている。この世界に価値があるのか、確かめてくれ。
サムB:わかった。

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脱出の直前、ガーティがサムBに声をかけた。

ガーティ:サム。私はきみの行動をすべて記録している。本社社員に要求されたら拒否できない。私のメモリーを消去して、再起動してくれないか?
サムB:いいのか?
ガーティ:本心を言うと、次のサムに隠し事をしたくない。
サムB:わかった。

サムBは脱出した。

5. エピローグ

サムC

採掘基地のベッドで、サムCが目覚めた。

ガーティ:おはよう、サム。私はガーティ。この基地を管理する人工知能だ。
サムC:おはよう、ガーティ。きみのことはレクチャーを受けている。今日から3年間、ここで勤務する。よろしく。
ガーティ:よろしくサム。基地を案内するよ。

サムC:これはなんだい?
ガーティ:前任者が作っていたジオラマだ。
サムC:中世の城塞都市とは、いい趣味だ。
つづきを作ってみないか? 道具もある。
サムC:こんな道具、よく手に入ったな。
ガーティ:前任者が欲しがっていたので、工作室で作った。
サムC:退屈せずに済みそうだ。
ガーティ:私は学習型だ。経験を積んで賢くなる。

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サムA

サムAはアンテナを起動し、地球をコールした。

女性:ごめんなさい...電波状態が悪くて...どちら様ですか? ...テスは...亡くなっています。
サムA:イヴかい? きみの声を聞きたかった。
イヴ:私はテスの娘イヴ...母のお知り合いですか?
サムA:さようなら、イヴ。
イヴ:ごめんなさい。よく聞き取れませ...映像も届いてません。

サムAは死んだ。
クラゲのような調査メカが作業者に取りつき、サムAの死体を運び出す。

サムB

サムBを載せたコンテナが月を離れていく。月の裏側には複数の採掘基地があって、ヘリウム3を積んだコンテナが打ち出されていた。
地球近傍に無数のコンテナが浮遊している。
ヘリウム3は地球に届いていない。

地球の夜は真っ暗だった。

(c) Copyright 2009 Sony Pictures Classics. All rights reserved.

《おわり》


あとがき

マルチバッドエンド。人類は死滅したのか、サムBは生きて大地を踏むことができたのか? だれが幸福だっただろう?