【ゆっくり文庫】クリスティ「ポケットにライ麦を」ミス・マープルより A Pocket Full of Rye (1953) by Agatha Christie

2017年 ゆっくり文庫 イギリス文学 クリスティ ミステリー
【ゆっくり文庫】クリスティ「ポケットにライ麦を」ミス・マープルより
063 ミス・マープルが負けて、泣いた事件──

フォーテスキュー家で起こった連続殺人事件。教え子グラディスが殺されたことに怒ったミス・マープルは、現場に乗り込む。事件はマザーグースの歌詞に見立てられていた。



「父帰る」の次は番外編の予定でしたが、都合により「ポケットにライ麦を」をお送りします。【ゆっくり文庫】で初の長編作品であり、いろいろ荒削りですがご容赦されたし。
犯人探しのゲームではありません。推理に必要な情報はすべて提示されておりません。またネタバレが気になる方はコメントをオフにしてご鑑賞ください。

原作について

アガサ・クリスティ

アガサ・クリスティ
(1890-1976)

 『ポケットにライ麦を』は、ミス・マープルシリーズの長編6作目。マザー・グースの歌詞に見立てた殺人事件を描いている。例によって関係者が多く、ミス・マープルの登場は遅く(第13章、171ページから)、推理も飛躍してるんだけど、ラストが鮮烈。アガサ・クリスティ中期の傑作と言われるのも、このラストあってのことだろう。

 ゆっくりマープルで長編をやるなら『パディントン発4時50分』と思っていたが、マープルの人物像を描くため『ポケットにライ麦を』を取り上げることにした。『完璧なメイド』の次に脚本を書き上げたが、その魅力を引き出すため、『動機と機会』でグラディスを紹介し、『青いゼラニウム』で悪徳の栄えを許さない姿勢を示した。完成した動画を見てもらえば、シリーズ構成をわかってもらえるだろう。

映像化について

 『ポケットにライ麦を』は、2度テレビドラマ化されている。比べると、ヒクソン版は省略が大きい。とりわけグラディスの手紙が削られたのは納得できない。肉抜き牛丼だ。しかし第3の殺人を予期して訪れる導入部は素晴らしかった。
 ジュリアン・マッケンジー版は、エフィを除き、原作の容疑者すべてを登場させている。投資信託会社の美人秘書(アイリーン・グローブナー)、アデルの浮気相手(ヴィヴィアン・デュボア)、レックスの娘(エレイヌ)、その恋人(ジェラルド・ライト)......。ついでに執事(クランプ)も大いに目立っているが、ややこしいだけだった。まぁ、原作通りではあるが。

 この物語はもっとおもしろくなる。

 そう思ったので、【ゆっくり文庫】で取り上げることにした。

放送年 1985年 2009年
主演 ジョーン・ヒクソン主演 ジュリアン・マッケンジー主演
グラディスとの関わり 村人に言われて思い出す。 社会に送り出すシーンからはじまる。
マープルの来訪 新聞とラジオで符号に気づき、第3の殺人を警告するため訪れる。 3つの殺人が起こったあとにやってくる。
エフィ・ラムズボトム マープルを客人として招く。それっきり物語に絡んでこないが、演じる Fabia Drake の佇まいが素晴らしい。原作にあったランスロットとの会話や、マープルと別れのシーンは入れてほしかった。 省略。
なのでマープルはイチイ荘に滞在せず、ベイドンヒースゴルフホテルから通う。
エレイヌ・フォーテスキュー 省略。 エレイヌおよび交際相手のジェラルド・ライトが登場し、「レックスを殺害する動機があった」と描かれるが、それっきりフェードアウト。
メアリー・ダブ 常識人。事件の解説役でしかない。 美しく、不遜な態度が目立つ。原作と同じく盗癖があった。
マッケンジー夫人 言及されるのみ。 療養所でマープルが面会する。
パトリシア 貴族らしさは感じられない。 マープルと別れの会話をする。
ウラン鉱脈の話 事件解決後に判明する。マープルは根拠なくランスロット逮捕を言い出す。 冒頭でマープルが読む新聞にちらっと映るのみ。
結末 ランスロットは事故死。 グラディスの手紙が届く。

ポケットにライ麦を (1986)
※ポケットにライ麦を (1986)

ポケットにライ麦を (2009)
※ポケットにライ麦を (2009)

ポケットにライ麦を (2017)
※ポケットにライ麦を (2017)

翻案について

 映画やドラマを見て、「構成がダメ」とか「盛り上がりに欠ける」と文句を言うのはカンタンだが、自分で作ってみると難しい。つまり、思ったとおりにならない。「作れない」のではなく、「作り方がわかってない」とわかった。なんにでもコツがあって、最初の1本は拙いものだ。今回学んだことを、今後に活かしたい。
 それから推理ドラマ全般について思うところも書き出しておく。まぁ、自分の頭を整理するための駄文である。

ミステリーは一人称で

 ほとんどすべてのミステリーは神の視点(三人称視点)で描かれる。なので殺人の瞬間とか、容疑者のひそひそ話とか、探偵がいない場面まで見えてしまうが、これは観客と探偵の一体感を損ねていると思う。サスペンスならいいが、ミステリーは一人称で描くべきだ。
 もちろん、探偵の視点でなくてもいい。しかしワトソン視点で描くなら、ワトソンが見てないところは映像化すべきじゃない。

【ゆっくり文庫】クリスティ「ポケットにライ麦を」
※ニール警部の視点で捜査情報を整理した。

 とはいえ、一人称で映像化するのはけっこう難しい。同じ人物がずっと画面にいるから単調になるし、その人が知り得た順序で描写するから時系列が飛ぶ。いちいち証言を聞くシーンを交えるから、上映時間も長くなる。【ゆっくり文庫】版『ポケットにライ麦を』はルーシーの視点に統一したかったが、やむなくニール警部の視点で整理することにした。これでよかったのか、未だに悩んでいる。

シンプルであるべき

 ミステリーは、容疑者が多ければ多いほど、複雑であればあるほど、おもしろくなるわけじゃない。複雑すぎると観客は思考停止になり、大きな音にしか反応しなくなる。多くのドラマ制作者がこの悪癖から抜け出せないのは嘆かわしいことだ。
 『ポケットにライ麦を』の原作小説にも、たくさんの容疑者がいて、それぞれ疑わしい行動をするが、本筋に関係ない要素はバッサリ省いた。原作小説を読んだ人は驚くことだろう。

犯人を当てて解決じゃない

 容疑者は4人だから、犯人を言い当てる人もいるだろうが、それで事件が解決するわけじゃない。ミステリーの醍醐味は、推理によって浮かび上がる人間ドラマにある(と思う)。私はその信念に基づいて、「ホームズ」「ポワロ」「黒後家蜘蛛の会」、「羅生門」を翻案してきた。本作もしかり。
 ミス・マープルは事件だけでなく、その原因となったフォーテスキュー家とマッケンジー家の確執を解いた。パーシヴァルは寛容になり、ジェニファーは愛を得て、メアリー・ダブの孤独は癒やされ、ニール警部の視野は広くなっただろう。
 私はシャーロック・ホームズを人間として描いたが、ミス・マープルはスーパーマンとして描いている。こんなスーパー婆さんがいるはずないが、「いたらいいな」と思ってもらえたら幸いだ。

【ゆっくり文庫】クリスティ「ポケットにライ麦を」
※マープル、叱る

ミス・マープルの推理法

 私は探偵の思考回路を描くのが好きだ。しかしミス・マープルは主人公とは思えないほど出番が遅く、事件への関与が少なく、現場検証も聞き込みもせず、いきなり真相を語りだす。ぶっちゃけ、当てずっぽうにしか見えない。
 おそらく世間話から関係者の人間性を把握し、推理を組み立てているのだろう。しかし世間話をえんえん描写しても、ミス・マープルの人生経験がなければ解析できない。つまるところ、

 ミス・マープルは嘘を見抜く

 東方的に言うなら、「嘘を見抜く程度の能力」だ。
 『クリスマスの悲劇 A Christmas Tragedy』(1930)あたりを読めば、確信できる。ミス・マープルはまず犯人を特定し、しかるのち動機と機械を検証し、最後に証拠を探している。これがマープルのメソッドであり、持ち味なのだ。なのでミス・マープルと同じ推理をしたいなら、ミス・マープルになるしかない。

【ゆっくり文庫】クリスティ「ポケットにライ麦を」
※2度見ると、マープルの考えがわかるかもしれない

マープルの正義

 ミス・マープルにとって、グラディスは特別な存在じゃない。だのに義憤に駆られ、殺人現場に乗り込んだ。カネや時間、能力があっても、そんなことする人はいない。ゆえにこのエピソードは、マープルの気質をよく示していると思う。
 ミス・マープルが怒ったのは、特別な人が殺されたからではなく、特別でない少女が利用され、殺され、冒涜されたからだ。ゆえにグラディスの名誉や報復にこだわらない。もしグラディスに罪があれば、容赦なく暴いただろう。『カリブ海の秘密』『復讐の女神』に登場するラフィール氏は、ミス・マープルを、「復讐の女神(ネメシス)」と讃えた。冷酷非情な正義である。

 この物語は、マープルが神のごとき能力で犯人を断罪するものではない。マープルの能力を持ってしても、逮捕できなかった。突破口となったのは、死してなお無視された少女からの手紙。小さく弱いものが運命を変える展開は、『指輪物語』のようで興奮した。

【ゆっくり文庫】クリスティ「ポケットにライ麦を」
※素人探偵の限界

マープルの来訪

 ミス・マープルは警察でも探偵でもないのに、すんなり事件現場に入り込み、関係者から情報を聞き出してしまう。原作小説を読むと、そのためのコツがちらほら描かれるが、多くはない。ぶっちゃけ、ヒーロー補正である。
 『完璧なメイド』、『動機と機会』、『青いゼラニウム』はソフトな導入だった。『ポケットにライ麦を』もクラドック警部を担当者にするか、サー・ヘンリーの手配があれば短縮できるが、マープルの特異性を強調したかったので、いきなり乗り込んで信用を勝ち取るシーンを追加した。なんの関係もないところへ潜り込めるなら、つまりマープルはどこへでも潜り込めるのだ。

【ゆっくり文庫】クリスティ「ポケットにライ麦を」
※嘘をつかずに信用を得る

 自己紹介。社会的信用があることを示す。グラディスの実像を知っており、美化していないことを述べる。イチイ荘の方々と同じ気持ちと伝える。さらに仇討ちに来たという本心を明かし、推理をほのめかす。ダメ押しで労働力を提供し、客人として迎え入れてもらう。
 マネできないが、不可能とは言えないシーンに仕上がったと思う。

 ニール警部はあとからマープルの実績を知って恐縮するが、そんなことに影響される人ではないと褒める。クラドック警部はメルチェット大佐の名前で言うことを聞かせたのに。相手によって手を変えるマープルであった。

マープルとルーシー

 マープルは最初から、イチイ荘の中に犯人がいると睨んでいた。ゆえに潜入調査は危険が伴う。(こちらが)気づいていると(犯人に)気づかれれば、口封じされるかもしれない。本来ならルーシーを連れていける状況ではないが、マープルは協力を求めた。それだけルーシーを信頼しているわけだが、本人が気づいてない。
 ちなみに取り分け料理を出しているのは、毒を混入されないための措置である。ルーシーは『パディントン発4時50分』において、自分が作った料理に毒を盛られる。

「私は怒っています。だから(私を助けてください / 私を見ていてください)」

【ゆっくり文庫】クリスティ「ポケットにライ麦を」
※師弟であり、親子であり、姉妹でもある

ルーシー:素人以上で探偵未満

 ミス・マープルは完成された人格者なので、感情移入しづらい。そこで観客の分身として、ルーシー・アイレスバロウというキャラクターを創造した。ルーシーは賢いが、探偵として単独行動できるレベルじゃない。『動機と機会』では真相を見抜けず、『青いゼラニウム』は半分正解だった。『ポケットにライ麦を』は長編ミステリーだから、歯がたたない。しかし彼女なりに推理を組み立てていることがわかる演出を心がけた。ニール警部と反応のテンポが異なるのはそのせいである。
 ちなみにラスト、ルーシーが叫ぼうとしたセリフはこうだ。

私はミス・マープルになりたい。
あなたがしてくれたように、
あなたを支えられる人になりたい。

 「ミス・マープルのような人間になりたい」ではなく「ミス・マープルになりたい」というのがポイント。つまりミス・マープルに恩返ししたいのだが、現状では畏れ多くて、心のなかでさえ言葉にできない。すでに恩返しできてるとか、マープルは望んでないとか、マープルと同じ存在になるなんて無意味とか、そんなことは考えない。言っても無駄。ルーシーはただ願いに向かって、走りつづける。

【ゆっくり文庫】クリスティ「ポケットにライ麦を」
※ルーシーは走る

グラディス:愚鈍なメイド

 アガサ・クリスティの作品に登場するメイドは、おしなべて馬鹿で、下品で、ブサイクだ。だから有能なメイド、善良なメイド、美しいメイドが出てくると、それだけで特異な存在となる。現代日本人は、世界的にも稀有な、メイドにフレンドリーな民族だが、史実は史実として、心の隅に留めておくべきだろう。まぁ、リアルに描いてないけどさ。

 グラディスは下劣なメイドの典型である。映像化作品を見るとわかるが、めちゃくちゃブサイクだ。おまけに不誠実だから、さっぱり同情できない。はじめて見たときは、こんな馬鹿をかわいがるマープルの気持ちがわからなかった。しかしだからこそ! だからこそ、なんだよね。

 『動機と機会』と『ポケットにライ麦を』は、対を成している。どちらもグラディスが、知恵ある人間の指示通り行動しているからだ。マープルは報酬を禁じたが、ランスロットは報酬で釣った。無垢は、決して美徳ではないが、非難されるものでもない。原作でマープルは言っている。グラディスのような子の扱い方を、世間はもっと知るべきだと。ゆえにマープルは、悪徳の栄えを許さない。無垢が使い捨てにされない社会を望んでいる。

【ゆっくり文庫】クリスティ「ポケットにライ麦を」
※馬鹿なグラディス

メアリー・ダブ:有能だが孤独

 原作のメアリー・ダブは、みずからジェニファーに「ルビー・マッケンジーのふりをして、警察の捜査を撹乱しましょうか?」と持ちかけ、小銭を稼いでいる。しかしメアリー・ダブは重要容疑者であり、動機が見つかったら即刻逮捕される。ましてやメアリー・ダブは勤務先で盗みを働いており、前歴を調べられることは都合が悪かったはず。不合理だ。
 なので【ゆっくり文庫】版は、メアリー・ダブを忠義の人に設定した。蛇足だが、彼女の心理を書き出しておく。

  • 能力で認められてきた。能力があれば安泰と思っていた。
  • 濡れ衣を着せられエマが解雇されたことにショックを受ける。能力があっても、使用人の運命は主人の都合によって決まる。それに在るべき姿と自分を言い聞かせる。
  • 馬鹿なグラディスを軽蔑していたが、それなりに好いてもいた。なので庭先で殺されたことにショックを受ける。エマも、グラディスも、だれかの都合のため処分された?
  • 状況証拠は自分に不利なものばかり。次は自分が処分されると恐怖するが、家の中に犯人がいるため心を隠さねばならない。
  • マープル来訪に希望を見出す。真犯人が見つかれば、自分が逮捕されることもない。使用人としての作法を守って、直接の情報提供を避ける。
  • ルーシーの過剰なスペックに驚く。ミス・マープルはなにを育てているのか?
  • ルーシーといっしょに働きたいと思うが、自分の代わりが見つかると切り捨てられる可能性が高まるため、二の足を踏む。
  • パーシヴァルに身代わりになれと命じられ、観念する。

【ゆっくり文庫】クリスティ「ポケットにライ麦を」
※不遜な態度は生まれつき

 事件を解決できなかったにもかかわらず、メアリー・ダブはミス・マープルをネメシス(復讐の女神)と讃える。超人としてではなく、解決に向かう人間の意志に感銘をうけたのだ。
 メアリー・ダブはルーシーと友だちになることができた。もし事件解決後だったら、とても言い出せなかっただろう。

 ちなみにルーシーは捜査モードなので、だれも信じていない。しかしルーシーはメアリー・ダブを特別に理解したいと思ってしまう。それはルーシーの甘さであり、魅力でもある。

パーシヴァルとジェニファー:不器用だが幸福な夫婦

 原作のジェニファーは遺産をもらって離婚する。つまるところ、パーシヴァルとの結婚に愛はなかったわけで、むなしい結末だった。しかしよく考えるとパーシヴァルのような人物が、偽名で暮らし、家族を紹介しないような女性と結婚するだろうか? ルビーはどうして名前を変えて暮らしていたのか? 不合理だ。
 なので【ゆっくり文庫】版は、2人を呪いの犠牲者として描いた。やってみるとこれが真相に思えてくるから、不思議なものだ。

【ゆっくり文庫】クリスティ「ポケットにライ麦を」
※犯人逮捕後のショックを考えると、2人で立ち向かえることが望ましい

ランスロット:父親の資質を受け継いだ次男

 ランスロットもだいぶ改変されている。動機の背後にコンプレックスがあったようだ。これまた蛇足だが、言及されてない部分を書き出しておく。

  • 12年前。ランスロットは遊ぶ金欲しさに有価証券を偽造し、勘当された。自尊心を傷つけられたランスロットは、「兄貴のために身を引いた」と思いこむようになる。
    • レックスは会社のため必要なパーシヴァル(堅実)を残し、不安要素となるランスロット(博打)を追い出した。そのくせ、ふたたび一山当てるためランスロットを呼び戻すのだから、身勝手な話だ。徹頭徹尾、他人の気持ちを考えない人物だから、息子の殺意にも気づかない。
  • ランスロットはケニアに渡って冒険家となるが、実際は配当金で細々と暮らす日々だった。その後、貴族の未亡人(パトリシア)と知り合い、恋に落ちる。彼女にふさわしい収入が欲しくなる。
  • 半年前。レックスからウラン鉱脈の採掘権を買い占める計画を聞かされ、これを横取りすることを思いつく。他人を出し抜いて成功するのは、レックスから教わった人生訓だ。なんの罪悪感もない。
  • 計画通り3人を殺すが、クランプ夫妻が旅行中だったため、イチイ荘のストレスが高かった。また、だれも「6ペンスの唄」との符号に気づかず、ヤキモキする。
  • 探偵気取りの老婆(ミス・マープル)が訪ねてきたので、利用する。警察がマッケンジー家に注目したので、ほくそ笑む。
  • ウラン鉱脈の価値を知れば、パーシヴァルは採掘権を売らなくなる。そうなったら英国に要はないのでケニアに帰るつもり。採掘権をもらったあとで価値が露見しても無視。しょせん勘当された身だ。
  • ジェニファーが失踪すると、ランスロットは驚く。怖くなって逃げ出すにしても、遺産相続のあとと考えていたからだ。いま自分が英国を離れると、なにも得られないどころか、ジェニファー失踪に関係があると思われてしまう。警察に疑われているわけじゃないから、様子を見るしかない。パーシヴァルの態度におかしなところがあっても、妻が失踪したためと考える。

パトリシア:薄幸の貴婦人

 パトリシアは貴族の娘で、2人の夫を事故と自殺で喪っている。ランスロットは3人目の夫。ケニアから同じ飛行機で帰国するが、一日遅れでイチイ荘に到着し、ミス・マープルと会談する。パトリシアはランスロットを心から愛しているが、彼は遠からず逮捕され、死刑宣告を受けるだろう。マープルは遠回しに覚悟を求めるが、幸福なパトリシアは気づかない。
 善良なパトリシアが、ランスロットへの疑惑を軽減してくれるのだが、長くなるのでカットした。

テンポ>リアリティ

 なるべく正確に描写したいが、しょせん【ゆっくり文庫】だから、ぎりぎりの局面ではリアリティよりテンポを優先した。下記は気づきながら無視したところ。

  1. 家政婦はメイドではない ... 家政婦は上級使用人であり、本人はメイドに含まれない。また厨房は家政婦の管轄外だ。ゆえにメイドキャップをかぶって料理の味をチェックするなんて考えられないが、まぁ、絵的なわかりやすさを優先した。
  2. メイドの仕事は料理じゃない ... 料理は料理人の仕事であり、メイドは掃除や洗濯などの雑務が山ほどある。現代のような家電製品がないから、重労働だ。しかしこのへんもリアルに描くのは大変だし、おもしろくもないから、洗い物と料理ばかり描いた。
  3. ゲストとメイドが同じ客間に泊まる ... ルーシーはレディースメイド(Lady's Maid)じゃないから、マープルと同じ部屋に泊まることはありえないが、まぁ、デフォルメした。
  4. 刑事は単独行動しない ... 原作ではニール警部のパートナーとして、巡査部長のヘイが同行するが、画面に入らないので割愛した。
  5. 青酸カリは紅茶のカップに ... 原作ではアデル殺害に使われた毒物は、紅茶のカップに入っていた。マープルは、角砂糖に仕込んでおいたのだろうと推理する。しかしラジオのニュースで簡便に伝えるため、蜂蜜に青酸カリが入っていたことにした。まぁ、蜂蜜に青酸カリが入っていたら苦くて吐き出しただろうけど、ご容赦いただきたい。
  6. タキシンは粉末 ... アルバート(ランスロット)がグラディスにタキシンを渡した時期は不明だが、おそらく粉末の状態だったはず。なんだけど、わかりやすさを優先した。

 このほか、原作から変えたところは山ほどある。主だったところを書き出しておく。

  1. グラディスのキャンプ ... 原作のグラディスはキャンプ場で働いていたところをランスロットにたらしこまれ、イチイ荘に送り込まれる。【ゆっくり文庫】は『動機と機会』から連続しているので、休暇中のキャンプでランスロットにたらしこまれたことにした。
  2. 不審な人影 ... 原作ではアデルの手紙を回収しに来た浮気相手のヴィヴィアン・デュボアであり、目撃したのもメアリー・ダブだった。
  3. 正門と抜け道 ... 原作だと新聞記者が正門に押し寄せるのは3つの殺人が起こったあとなので、ランスロットは誰にも見られず敷地内に入ってグラディスを殺害し、それから玄関にまわっている。
  4. 東と西のクロツグミ鉱山 ... 原作だとクロツグミ鉱山は2つあって、エフィ・ラムズボトムは東アフリカ(タンガニーカ)にあるといい、ランスロットは西アフリカにあると言った。しかしクロツグミ鉱山にウラン鉱床があれば、採掘権を新たに買い取る必要もないわけで、クロツグミ鉱山の周辺に見つかったとした。また開発計画がはじまったことで、買い取りを急ぐ理由とした。
  5. グラディスの手がかり ... アルバート(ランスロット)の新聞をグラディスが持ち帰ったというのは、私のオリジナル翻案。キャンプより2週間前の新聞→なにか重要な記事があった→クロツグミ鉱山と推理したわけだ。強引だけど、しゃーない。
  6. 強制入院と解任動議 ... これも私が補強したもの。勘当された次男がキャスティングボードを握れるとは思えないが、細かいことは目をつむって。
  7. ジェニファー失踪 ... ただ帰るだけじゃ口惜しいので、攻めの一手を考えた。結果的には不要な混乱となるが、文句をいう人はいないだろう。

動画制作について

 私の場合、14分を越えた動画制作はつらい。本作は62分だから、かつて経験したことがないほど苦労した。1本あたりの出力に3時間ちょい。「全体の流れ」を大事にしたいが、出力と修正の繰り返しに心が折れた。映画やテレビドラマが、細切れシーンの寄せ集めになるのもうなづける。

 1つわかったことは、準備もまた無駄の一部だった。どうせ完璧な準備はできないのだから、どっかで見切り発車して、修正を繰り返すほうが、総合的には時間短縮になる。もちろん準備をおろそかにできない。どのへんで見切り発車するかに、上達のコツがあるようだ。

動画の分割

 脚本段階では全3話にするつもりだったが、30分×2の前後編にまとめてしまった。その方が「出題編」「解決編」として、集中して見てもらえると思ったのだが、20分×3も悪くなかったかもしれない。1本30分だと、とにかく編集が大変なのだ。

 製作途中で前後編に変えたため、いくつかのシーンが抜け落ちた。パーシヴァルとマープルの会話(クロツグミ鉱山はどこにある?)や、ランスロットとルーシーの会話(父親の思い出)などだ。あった方がいいかもしれないが、もう作り直す気力はないため、このまま公開する。

キャスティング

 幽々子と妖夢がレギュラーなので、霊夢と魔理沙をゲストとして使えるのはありがたい。大物俳優だからね。最初の配役では、マッケンジーが諏訪子で、夫人が神奈子だった。ふと思いついて入れ替えると、マッケンジー夫人(諏訪子)の祟りパワーが強烈になった。
 マッケンジー夫妻の子どもと言えば、東風谷早苗。このミエミエの配役がミスディレクションとなる。兄ドナルドは悩んだが、顔を出さないことにした。

【ゆっくり文庫】クリスティ「ポケットにライ麦を」
※祟りはこわい

雑記

 これまで培った技術やスタイルの応用だから、特筆すべき事はあまりない。しかし手間はかかった。素材を集め、加工し、画面に配置する。それだけのことに、どれほど時間をかかったか。ほんとのほんとに大変だった。

 番外編のネタにするつもりだったが、悩ましいのは苦労する価値があったかどうか。長編ミステリー1本作るため、短編20本を犠牲にしている。しかもパブリックドメインじゃないから、クリエイター奨励プログラムも受けられない。私は無駄なことをしてるんじゃないか?

 ミス・マープル、ポワロ、あるいはほかの長編も【ゆっくり文庫】で作れるが、半年に1本くらいに落ちる。それでいいのだろうか?

雑記2

 アップロードすると、びっくりするほど画質が劣化した。なにもかも涙で滲んだようだ。しかも後編はビットレートが足りないと警告される。これはダメだ。後編を2つに分割しよう。一気に最後まで見てもらいたかったのに。2年半もかけて作ったのに。しくしく。

雑記3

 後編は一気に観てもらうつもりが、3/3にミスがあって再出力することに。最後までドタバタだった。それにつけてもニコ動の新方式はやばい。時間制限がきつい。これまで20分くらいの動画は、多少劣化してもいいやと思っていたが、劣化の度合いが半端ない。15分59秒でガクッと劣化するようだが、20分の動画を10分ずつに分割するのは、かなり興ざめ。どうしたものか。

 悩ましい問題に直面してしまった。

追記

 編集後記を書いたあとに届いた指摘と、私の答え。

ミス・マープルが仕込んだにしては、グラディスは駄目すぎないか?
私も当時のイギリス教育制度に詳しくありませんが、小説を読むと、ミス・マープルが仕込む少女たちは底辺の底辺です。浮浪児と変わらない。だから多くを期待しない。仕事が雑でも指摘せず、盗癖があっても紹介状を書いてしまう。最初の仕事にありつければいいのです。
ちゃんと教育できないまま世に送り出さざるを得ないことは、ミス・マープルも歯がゆく思っていて、それゆえグラディスの死に責任と怒りを感じたようです。
タイトルのA Pocket Full of Ryeですが、lie(嘘)とかけているのでは?
「ポケットに嘘を」というのは、おもしろいですね。そうした指摘は私も読んだことがありません。でも正しい。小説のミス・マープルは、「この家にあるものは偽物ばかり」という言葉で真相に気づいていますから。

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