【ゆっくり文庫】横溝正史「犬神家の一族」中編・後編 The Inugami Clan (1972) by Seishi Yokomizo
2019年 ゆっくり文庫 ミステリー 日本文学 横溝正史073 涙さえ燃えている──
犬神佐兵衛の莫大な遺産を相続したのは、血縁のない野々宮珠世だった。佐兵衛の3人の孫たちは珠世を我が物にしようと企むが、その争いは連続殺人事件に発展する。
制作再開
正直言って、金田一耕助はパイロット版で十分と思っていた。スケキヨ版ゆっくり文庫も登場して、肩の荷が下りたと思っていた。
ところが完結をのぞむ声は多く、Twitterアンケートで一位になってしまう。これは無視できないが・・・プロットを映像化するのは大変。そこで経過をすっ飛ばして、金田一の謎解きだけを収録した《解決編》を制作した。
おいコラ、いまフォームで質問した人! 匿名だから返事できないぞ! よろしい、タイムラインで聞いてみましょう。#ゆっくり文庫 が挑むべき長編はどれ? ※うp主はうそつき です。
— ゆっくり文庫 (@trynext) 2018年12月7日
しかし経過がわからないと、謎解きも興奮しない。どうしたものかと思っていたら、年末にスペシャルドラマ「犬神家の一族」が放送され、多くの人が内容を知ることとなった。恐ろしき偶然。
※えらい駆け足だった。
今ならダイジェスト版をやれるのではないか?
重要なシーンを拾いつつ簡潔にまとめる。というわけで、第2,3話の制作がはじまった。つまり中編は、後編のあとに作られたのだ。
原作 | 初期構想 | 2018年1月 | 2018年12月上 | 2018年12月下 | 2019年1月 |
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0. 発端 1. 絶世の美人 2. 斧・琴・菊 |
#1 斧・琴・菊 | パイロット版 | パイロット版 | パイロット版 | 前編 |
3. 凶報至る 4. 捨て小舟 5. 唐櫃の中 |
#2 ふたつの仮面 | (省略) | (省略) | ダイジェスト版 | 中編 |
6. 琴の糸 | #3 呪い住みし館 | (省略) | (省略) | ||
7. 噫無残 8. 運命の母子 |
#4 わが告白 | (省略) | 解決編 | ||
9. 恐ろしき偶然 10. 大団円 |
#5 愛のバラード | 解決編 | 後編 | ||
#X 恐ろしき偶然 |
初期構想の脚本を捨て、あらすじを書く。それを少ない舞台、人数、会話で説明できるように組み上げる。このとき金田一、警部、古館のやりとりが増え、井上刑事が登場したことで、ダイジェスト版とは思えないお芝居に仕上がった。
こうなると、「あとちょっと作れば完全版なのに」と思わなくもないが、「あとちょっと」がとてつもなく大きいことを私は知っている。先へ進もう。
第2話「ふたつの仮面」
佐武の死体発見からスタート。菊人形の生首を見た金田一が絶叫するシーンが有名だが、あれは1976年版オリジナル演出で、物語として重要じゃない。1年ぶりなので、弁護士、警部、探偵の順で登場させる。
佐兵衛翁の出自、奉納手形、金時計、復員服の男、竹子の狂乱、血のついた手ぬぐい、猿蔵の紹介は省略された。
金田一耕助
名探偵と言えば、「現場検証で警察が見落とした手がかりを見つける」シーンが鉄板だが、金田一耕助はそういう探偵ではない。証拠探しはプロに任せ、自分は推理に専念する。そのスタイルを成立させるためには信頼が不可欠。そこで時間経過とともに関係が変わっていくよう演出した。
最初は馬鹿にされ、無視されていた金田一が、気がつけば親しまれ、たよりにされている。的確な指摘も、その場では無視され、あとから認められるが、みんなが理解するころ、金田一はその先へ行っている。金田一は考えを述べているのに、なにを、なんのため調べているかわからない。
不思議な魅力を描けたように思う。
※井上も最初は金田一を無視する
井上刑事
はるちゃんの代わりに投入されたオリジナルキャラクター。最初は金田一を無視し、頭も使ってないが、金田一に影響され、変化していく。警部を介さず、こっそり入れ知恵することで、井上の評価もあがった。那須に定住しない金田一にとっては、事件さえ解決すればいいのだ。
しかし変化が早すぎたのか、第4話で「井上刑事は有能」と勘違いするコメントがあったのはショック。
※入れ知恵されてる井上
野々宮珠世
ようやっと珠世の出番。映像化作品では「美女」属性だけ注目されるけど、ただひとり佐清の変化に気づき、それを客観的に証明しようとするが、金田一の協力を拒否するほど慎重な人物。受け身でありながら、弱くない。そんな珠世を描きたかった。
原作の記述は下記のとおり。
※このシーンのために、この表情を選んだ
「もうひとつ、......もうひとつだけ、お尋ねしたいことがあるのですが、あなたはどういうふうにお考えですか。あの、仮面をかぶった人物について......あれを、真実の佐清さんだと思いますか、それとも......」
そのとたん、珠世の頬からは、さっと血の気がひいていった。彼女はしばらく耕助の顔を、穴のあくほど見つめていたが、やがて、抑揚のない声でこういった。
「むろん、あたしはあのかたを、佐清さんだと信じています。そうですとも、佐武さんや佐智さんの疑いは、あまり突飛でバカげています」
だが、それにもかかわらず、珠世はあの男の指紋をとるようなまねをしているのだ。
猿蔵
猿蔵(よしか)の活躍もばっさりカットされた。青沼菊乃(せいが)の息子・静馬ではないかと疑ってもらうための配役だったが、活かされず。
せいが=邪悪、という思い込みも引掛けである。
潜入した《復員服の男=佐清》に、《ゴムマスクの男=静馬》が撃退されたのは演技だが、猿蔵は相手が佐清と見抜いたことで手をゆるめた。ここで猿蔵に勝った自信から、のちに佐清は本気の猿蔵に説得される。
猿蔵は知恵遅れの大男のように描かれるが、手先は器用だし、頭もよい。珠世に絶対の忠誠を誓っていることも、のちに作用する。削られたのは惜しい。
※猿蔵の出番はすべてカット
※出番は少ないが印象的な猿蔵(寺田稔)
推理を語る
第3話ラストはメイン3名(金田一、警部、古館)による推理シーン。必要な説明を省いておきながら、こうした状況整理は省けない。これこそ、ゆっくり文庫で上演する意義であろう。
ここで語られる佐兵衛翁の人となりは、後編への伏線になる。
最初はただの会話シーンだったが、食事させるのもワンパターン。そこで鍋の仕上がりを待つシーンになった。第1話に比べ、格段に仲良くなっている。
※食事シーンに飽きたので、食事を待つシーン。
女中はる
ゆっくり文庫版では、はるちゃんを探偵助手として活躍させる予定だった。しかしダイジェストになると出番がない。1976年版の女中はる(坂口良子)は印象的だったが、出番を増やしたのは角川春樹で、「重々しい空気を緩和すること」が目的だった。その役目は、井上刑事に引き継がれた。
※はる(坂口良子)
金田一の推理
若林弁護士は毒入りタバコで殺された。犯人はそのとき遠くにいた人、つまり松子夫人ではないか? しかし松子夫人は、珠世と佐清の結婚によって最大利益を得る。また松子夫人の性格から、3度も失敗するのはおかしい。3つの事故は珠世の自作自演ではないか?
だとしても菊に見立てるのはやりすぎ。《ゴムマスクの男》が佐清なら、《復員服の男》は静馬かもしれない。静馬と珠世が組めば、犬神家を完全にのっとることができる。しかし珠世の警戒心は強い。
大山神官を訪ね、佐兵衛翁の過去を調べる。人となりはわかったが、恩人夫妻だけでなく、その末裔まで特別視するのはなぜか?
第3話「呪い住みし館」
佐智の死体発見からスタート。通報があって駆けつけ、なにがあったか推理する。警察視点はこんな感じ。佐智殺害の流れはバリエーションがある。
原作 | 佐智は珠世を眠らせ、旧邸に連れ込むが、居合わせた復員服の男(佐清)に打ちのめされる。佐清は佐智を縛り上げ、猿蔵に連絡。猿蔵は佐智をそのままに、珠世だけ救い出す。自力で脱出した佐智は、犬神家に戻ってきたところを松子に絞殺される。このときボタンで指を傷つける。現場を見ていた静馬が、佐清に偽装を指示する。 |
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1976年版 | 犬神家にもどってきた佐智を、松子が絞殺する。このとき指を噛まれる。 |
1977年版 | 古谷一行のドラマでは、旧邸にやってきた松子が縛られた佐智を絞殺。もどってきた佐清が偽装する。 |
ゆっくり文庫 | 佐清は警察に通報。佐智を見張っていた松子がやってきて、絞殺。それを佐清が発見し、静馬に電話連絡する(演出上、旧邸で対策を講じる)。 |
この時点で猿蔵を容疑者から外したかったので、別件逮捕で留置場にいたことにする。猿蔵がいないため、佐清は警察に通報。これで純潔が証明される。
不意打ちとは言え、松子が佐智を絞殺するのは無理があるから、縛られた状態を利用した。あらかじめ佐智を見張っていれば、旧邸へ行くのも不自然じゃない。
のちに判明するが、松子は佐智がひとりになるタイミングを見張っていた。竹子は佐智をひとりにしないようにした。ところが竹子は佐智を「珠世を犯せ」とそそのかしたため、結果的に松子に殺害のチャンスを与えてしまう。
松子が指を傷つけるのは、のちに宮川香琴が証言するシーンに接続するが、登場人物を増やしたくないため、指を傷つけないし、宮川香琴もカットした。警察に通報した時間に佐智が殺されていれば、通報した人(佐清)のアリバイが証明されるが、そこまで掘り下げなかった。
宮川香琴
宮川香琴は、1976年版で岸田今日子が演じて強烈な印象を残したが、原作における正体は青沼菊乃である。
原作ファンなら、宮川香琴=青沼菊乃を見たいと思うだろうが、よく考えてほしい。青沼菊乃の役割は、彼女自身は犬神家への恨みを捨てていたと示すことだ。つまり静馬は、親の教育によって歪んだわけでない。そこを分離できるなら、宮川香琴=青沼菊乃を描く必要はない。また原作通りに展開すると、ますます金田一の活躍が減ってしまう。
原作 | 那須を放逐後、富山で琴の師匠(宮川松風)と親しくなるが、奥方が居たため結婚しなかった。奥方の死後も、戸籍を移すことで居場所を察知されることを恐れ、結婚せず。しかし周囲は夫人と誤解し、宮川香琴と呼ばれるようになる。 犬神松子に雇われ、稽古をつけるが、松子は菊乃の正体に気づかなかった。またゴムマスクの男(静馬)と言葉を交わすこともなかった。 |
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1976年版 | 空襲で死亡。静馬によれば、死ぬまで犬神家の人々を恨んでいたらしい。宮川香琴は別人。 |
ゆっくり文庫 | 空襲で死亡。佐兵衛翁に愛されたことを自慢していた。宮川香琴はカット。 |
※印象的だった琴の師匠・宮川香琴(岸田今日子)
三姉妹の暴虐
三姉妹が青沼親子を家に押し入り、赤ん坊を人質に暴行を働き、裸にひんむいて冷水を浴びせるシーンは、やはり1976年版で印象的だった。三姉妹が顔を白く塗っているのは、22年前の若作りメイクより、不気味さを強調する演出だろう。制約を逆手に取った工夫が素晴らしい。
※22年前の三姉妹、という設定だが異形の三姉妹
しかしゆっくり文庫版はカット。ゆっくり饅頭で再現すべきシーンじゃないし、「がんばってるね」「ちょっとちがう」と言われるだけだ。
※三姉妹の出番が減りすぎた。
ふたたび推理
第3話ラストも推理シーン。生き残った佐清と松子が勝者で、疑わしいこと。犯人が目的を達成したなら、これ以上の殺人はないと考え、金田一が那須を離れることが描かれる。こうした整理がないと、登場人物がなにも考えてないように見えてしまう。
「犬神家の一族」は本当に複雑な事件なので、トリックを明かし、仮説を立てても、問題ない。警部の「よし、わかった!」を馬鹿にするのは簡単だが、この時点で警部以上の推理ができる人は少ないだろう。
※橘署長「よし、わかった!」
※事故にこだわる金田一
金田一の推理
金田一は猿蔵を釈放し、信頼を得る。猿蔵は、梅子が珠世の寝室に蝮を入れたことを話す。梅子は遺言状の中身を知らず、直感から珠世を殺そうとしたようだ。第2、第3の事故について、猿蔵は口をつぐむ。なぜだ?
犬神家に通って、珠世の信頼を得る。金田一が部外者で、従軍経験者だったから。つまり「犬神家の人間で、戦争を知らない人」は信用できないというわけだ。
金田一がおおよその推理を話すと、珠世は《ゴムマスクの男》が佐清でないと直感し、猿蔵は《復員服の男》が佐清と直感していた。金田一は猿蔵にこっそり指示を出す。「佐清は犯人だが犯人ではない。自決するかもしれない。もし珠世さんに会いに来たら、連絡してほしい。警察を介さず説得しよう」と。
犯人が松子夫人なら、目的は達成された。珠世に選択肢はなく、佐清を拒否すれば薬漬けにされる恐れもあるが、まだ猶予はあるだろう。犯人が静馬なら、珠世を殺して遺産を相続することが最大の復讐になったはず。いずれにせよ、しばらく殺人はないだろうから、東京で調べ物をしてこよう。
第4話「わが告白」
佐清の死体発見からスタート。金田一は入れ替わりについて説明する。
そこへ猿蔵から連絡。はるちゃんも合流して、佐清を逮捕。
佐清はすべての殺人は自分がやったと告白するが、若林弁護士が殺害されたときは帰国しておらず、静馬が殺されたときは那須を離れ、散髪していた。このあたりの立証はややこしいので省いた。
※今回の小ネタ。役柄が変わっても、このトリオは楽しい。
金田一の推理
東京での調査で、佐清と静馬の接点、竹子夫人の陰謀が明らかになった。
那須に戻ると、《ゴムマスクの男》が殺されていた。自分の不在時をねらった殺人で、きわめて不愉快だが、これで推理が組み上がった。殺人者は松子夫人だが、珠世さんがけしかけたのだろう。金田一は大山神官に推理を話し、唐櫃の中を見せてもらう。佐兵衛翁と野々宮大弐、晴世の関係を知る。
佐兵衛翁は珠世さんを後継者にするつもりだが、直接相続させると娘たちが邪魔をする。青沼菊乃のように。そこで結婚を条件にして、殺し合いをさせる。珠世は手を汚さず、すべてを手に入れられるように。静馬という異物が紛れ込んだが、彼自身はだれも殺しておらず、計画性もない。
金田一は松子夫人に「斧琴菊」の本当の意味──佐兵衛翁は和解のチャンスを与えた──と説明する。佐兵衛翁の真意を言えば反発される恐れがあった。この説明で落とせると判断できるほど、金田一は松子夫人を見抜いていた。
佐清くんの無実が証明されれば、犬神家は安泰と知って、松子夫人は自供した(井上が同席)。そのことを佐清くんに伝え、第5話に至る。
第5話「愛のバラード」
いよいよ謎解きである。まず松子夫人が犯行を認め、それぞれの視点で過去を振り返っていく。
野々宮大弐が男色家で、珠世が佐兵衛翁の孫であることは語られない。映画で松子夫人がはげしく動揺したため印象に残っているが、よくよく考えてみると、事態をひっくりかえす情報じゃない。つまり動機やトリックに関係しないのだ。
青沼静馬
金田一耕助「皆さん、全ては偶然の集積でした。しかしその偶然を巧みに筬(おさ)にかけ、ひとつの筋を織り上げていくには、並々ならぬ知恵がいる。青沼静馬はそういう知恵を、軍隊時代に習得したものだと思います。戦場ではきっと必要だったんでしょう。」
1976年版の金田一耕助(石坂浩二)は、このように青沼静馬を形容するが、褒め過ぎだろう。計画らしい計画はないし、最後もあっけない。邪悪な人物として描かれる静馬だが、もう1人の邪悪・佐兵衛翁と連携できてない。静馬は遺言を知らなかったし、佐兵衛翁は静馬の生存を知らなかったからだ。
みにくい男が邪悪というのは私の好みじゃないため、静馬は悪人になりきれてないことにした。
※異形だが、悪人にしたくなかった。
静馬は犬神家を憎んでおらず、復讐や財産への強い執着もない。ただ帰るところがほしかっただけ。佐清が生きていれば、猿蔵といっしょに暮らす道もあったはず。バレたらバレたでいいやと思っていたが、松子夫人は自分を疑わないし、遺言状が思わぬ内容で、今さら名乗れなくなった。
松子夫人の殺害を隠蔽したのは、母さんを守るため。自分の居場所を守るためだった。原作と行動は同じだが、動機が異なる。こういう解釈もおもしろいだろう。
正体がバレて居直るが、あっさり撲殺される。なぜ油断したのか? 松子夫人は自分を受け入れてくれると思ったのだろうか。そう考えるとあわれだ。
犬神佐清
佐清は誠実だが、弱い人物である。彼が姿を隠さなければ、一連の悲劇は食い止められた。部隊の壊滅より罪深い。
しかし馬鹿ではないだろう。原作では佐武、佐智が殺害されたあとに那須を離れているが、自分の母と恋人をほったらかしにするのは理解できない。佐清に理性があるなら、静馬は信用できる人物なのだろう。
静馬が悪人でないと知っていたからこそ、佐清は身を引くことにした。これなら筋が通るし、ドラマも深まる。
※静馬と佐清の会話シーンはおもしろい。
松子夫人
変わり果てた我が子のため、松子夫人は鬼になった。しかし鬼の形相はない。むしろ、やさしい素顔がのぞく。
※やるときはやる人だった
原作や映画と異なり、ゆっくり文庫の松子夫人はなにが起こっているかを理解して行動する。やることは同じでも、登場人物の考えがわかるほうがいい。
自決するラストは同じ。金田一は予見しながら沈黙したのは、2006年のリメイク版から拝借した。よくよく考えると、金田一は、佐清くんが無実で、無傷で、珠世との結婚が確定したら、松子は自決すると予想しながら、謎解きしたことになる。
原作の松子夫人
原作の松子夫人は堂々たるもので、罪をかぶろうとする佐清を叱咤し、淡々と事実を認め、一族の未来を信じて自決する。竹子の娘・小夜子と、梅子の息子・佐智の子に財産の半分を継がせることは、せめてもの罪滅ぼしであり、かつ父の怨念に流されまいとする彼女なりの抵抗だろう。
女傑である。
「小夜子は近く子を産みます。その子の父は佐智です。してみると、その子は竹子さんにとっても梅子さんにとっても孫にあたるわけです。珠世さん、わたしのいうことがわかるわね」
「はあ。わかります。それで......」
「それで、お願いというのはほかでもないの。その子が大きくなったら、犬神家の財産を、半分わけてやっていただきたいの」
竹子と梅子はギョッとしたように顔見合わせる。珠世は即座にキッパリと、
「小母さま、いいえ、お母さま、よくわかりました。きっとあなたのお言葉どおりいたします」
「そう、ありがとう。佐清や、あなたもそのことをよく覚えておいておくれ。古館さん、あなたは証人ですよ。そしてね、その子がもし器量のある男の子なら、犬神家の事業にも参画させてね。これがわたしの、竹子さんや梅子さんに対する、せめてもの罪――ほ――ろ――ぼ――し......」
「あっ、いけない!」
映画の松子夫人
1976年の映画では、佐兵衛翁を呪いの元凶、松子を翻弄される母と描いた。松子は殺人を躊躇するが、怨念に後押しされる。すべてが父に仕組まれていたと知って絶望。「珠世さんを父の怨念から解いておやり」と言って息絶える。
原作と真逆だが、これはこれでいい。佐兵衛翁はめちゃくちゃ怖かった。
※父の怨念
「斧琴菊」の本当の意味
「遺言は佐兵衛翁がみなさんに与えた和解のチャンスだった」というのは、金田一の方便である。三姉妹を均しく裁くことで、事件にオチをつけている。これは真相を隠し、松子夫人への餞である。
※大山神官の説教。本編にまったく登場しなかった。
映画の大山神官(大滝秀治)は口の固い人物で、金田一が真相に気づくと怖い顔を見せる。この演出により、過去はより重くなった。
原作の大山神官はおしゃべりで、犬神家の全員に珠世が佐兵衛翁の孫だとばらしてしまう。これを聞いた静馬は、珠世と結婚できないと悟って行き詰まるわけだが、わかりにくい。
※口が堅い大山神官(大滝秀治)
珠世の決断
1977年版(古谷一行)、1994年版(片岡鶴太郎)の珠世は、犬神家の財産相続を放棄する。「ほんとうの幸せはお金じゃない」「金持ちと関わらないほうが幸せ」という思いがにじむが、私は反対。そして原作のような分割にも反対。なので珠世の総取りとした。
第X話 恐ろしき偶然
私は原作を読んだとき、2つの疑問をいだいた。これを解消することが、本作を作った動機である。横溝正史が用意した隠しプロットではなく、私の妄想である。なので拒否感を抱く人もいるだろうが、やむなし。好きにやらせてもらう。
1.だれが事故を仕組んだか?
珠世さんは三度事故に遭っている。どれも親族が集まる日に起こるため、容疑者を特定できない。金田一は、珠世の自作自演を疑うが、それっきり追求されない。
遺言状が公開されると、謎は深まる。珠世が死ねば孫たちの取り分は減ってしまう。珠世は佐清を慕っているから、松子夫人には珠世を殺害する動機がない。
原作では、3つの事件は松子夫人のしわざである。遺言の条件をよく吟味せず、怒りに任せて珠世を殺そうとしたと言うのだが、事故の間隔を考えると不自然だ。映画ではあいまいに答えなかった。
私はこれを、珠世の自作自演と考えた。第1の事故で身の危険を感じた珠世は、派手な事故を起こして「敵」に様子を見させた。しかし松子夫人に小細工は通じないし、ただの時間稼ぎだが、遺言が公開されれば珠世は安全だから、的確な判断となる。
珠世は遺言状の中身を知っていたのではないか?
2.なぜ結婚が条件なのか?
珠世への相続だけが目的なら、直接相続させれば終わる。しかしそれでは、青沼菊乃のときのように、娘たちが邪悪なことを企むだろう。珠世は殺されたり、薬漬けにされる恐れがある。珠世の未来のために、邪悪なものたちを取り除かなければならない。だから結婚という条件をつけ、殺人の動機をばらまいたのだ。
しかし見方を帰ると、佐兵衛翁は孫同士の結婚を強要している。珠世の気持ちを最優先にしていない。そこで、自分自身の「生みなおし」という発想が浮かんだ。狂っていて、おもしろい。
すると竹子の娘・小夜子と、梅子の息子・佐智でも条件を満たしてしまうから、小夜子はカットした。佐兵衛翁の血に連なる孫の中で、女子は珠世だけ。だから珠世は絶対条件となる。男子はだれでもいいが、静馬は息子だから、珠世が死んだときのバックアップとなる。
これならスジが通るし、おもしろい。
後日談として
このプロットを本編に入れると複雑になるため、後日談として切り出した。「秘密を分かち合うため」という名目で金田一と珠世が話しているが、双方すでに知っていることであり、実際は古舘弁護士に伝えている。
「秘密を分かち合う」という行為は、野々宮大弐が秘密を唐櫃に封じたことにちなむが、大山神官との会話シーンがないため、ちょっと唐突かもしれない。
佐清は逮捕されたが、犬神財閥の跡取りであり、犯人は自決しているから、立件されないか、されても執行猶予がつくだろう。金田一はそれを見届け、最後の仕事として珠世に面会を申し込む。このとき彼女は、犬神珠世であり、事実上の当主、すなわち女王だ。
※だれも描かなかった犬神珠世
こんな裏話をすると、珠世を邪悪とみる人がいるかもしれないが、そうではない。彼女はただ、佐清と添い遂げたかっただけだ。松子夫人の犯行と確信できたわけじゃないし、《ゴムマスクの男》が偽物と証明することもできなかった。自暴自棄になった竹子夫人、梅子夫人に狙われるリスクもあった。
もちろん殺し合いを止める気もなかったが、殺し合うほうが悪いのだ。
カットシーン
ダイジェスト版でカットされたが、佐清は逮捕されるまえ、珠世とセックスしている。このとき、珠世が佐清の子を妊娠したという設定を考えていた。
金田一は猿蔵に「佐清がきたら連絡してくれ」と指示したが、猿蔵はそのことを珠世に話し、珠世の願いで金田一を足止めする。おもしろい展開と思っていたが、妊娠はすぐわからないし、佐清が収監中に妊娠するのも大変だから、カットされた。
なので猿蔵&はるちゃんの活躍もカットされた。
※このとき妊娠したという裏設定。
別れ
エンディングはやっぱり、ひとりで去っていく金田一で締めくくりたい。金田一はあくまでも部外者で、臨時雇いの専門家で、マレビト。金田一が喚ばれるのは、悲劇が遭ったとき。だから別れの言葉は「またね」ではなく、「さようなら」。その土地に生きる人たちは、早く日常にもどってほしい。金田一はまた次の悲劇の現場に向かう。
※短いやり取りに万感の思いを込めて。
完全版について
パイロット版で終わりと思っていたから、まさか完結するとは思わなかった。しかも前編[16:38]、中編[13:26]、後編[18:37]で合わせて、49分しかない。ものすごい大作というわけじゃなかった。
しかし第2,3,4話を完全版で制作したら、ものすごーく苦労したと思うから、これはこれでよかったのだ。完全版と言うより、細部を手直ししたバージョンを作りたい気もするが、それより先に進むべきと考える。
それにつけても前後編やPV、番外編がつづいて、ぜんぜん番号が消化されてない。
雑記
最後の最後まで、「これって、おもしろい?」という疑問が頭から離れなかった。複雑にしすぎたか、省略しすぎたか、妄想が多すぎないか? そんなとき、ハーゲンダッツを食べて気を取り直した。まだ反応はわからないけど、やれるだけやりました。
包帯姿のようむや、文庫式ひじりも登場したが、そのへんを紹介するのは疲れるので割愛。あとでツイートします。