【ゆっくり文庫】横溝正史「百日紅の下にて」 Under the crepe myrtle (1947) by Yokomizo Seishi
2019年 ゆっくり文庫 ミステリー 日本文学 横溝正史081 死の間際にて──
資産家・佐伯一郎のもとにやってきた復員服の男は、友人・川地の遺言を携えていた。川地が言うには、かつて佐伯の屋敷で起こった毒殺事件の始末はまちがっているとか。
原作について
横溝正史
(1902-1981)
昭和26年(1951年)発表だから、劇中時間は5年前。みなさん、5年前の出来事を思い出してほしい。そのくらい直近のことを描いているのだ。ちなみに本作が導入部となる「獄門島」は昭和22年(1947年)発表だから、4年前。
見捨てられたニューギニア戦線、困難だった復員、帰ってきても東京は焼け野原で、GHQに占領されている。当時の世情は各自で調べてほしい。私も理解できてるとは言わないが、なにもかも失った日本人の虚無感を踏まえて読みたい短編である。
シリーズ横溝正史短編集 金田一耕助登場! (2016)
「百日紅の下にて」は、NHK BSプレミアム「シリーズ横溝正史短編集」(2016)で映像化された。金田一耕助を演じるのは池松壮亮。全3話だが、3本とも雰囲気が異なっている。定着した「金田一耕助らしさ」を破壊しようとする、NHKの強い意志を感じる。
※「百日紅の下にて」ストーリーは原作通りだが、表現は遊んでた。
それはともかく、「百日紅の下にて」は演出が尖っていた。巨大な球体のような髪型の金田一耕助が、なぜかクマのぬいぐるみを背負っていたり、理想の女体を大根で、セックスを布団の格闘で表現したり・・・。それはそれで楽しいが、物語の構成はチトわかりにくい。
毒殺事件が起こるまで、なんの話かわからないのだ。佐伯の苦悩、川地の思いやりへの言及も浅い。「原作を忠実に再現」というテーマを掲げているから、これはこれで悪くない。「原作を読んでみよう」って気になる。
【ゆっくり文庫】で扱うこと
金田一耕助は、スーパーヒーローになってしまった明智小五郎を原点回帰させるべく創造された。なので初期の金田一耕助は、初期の明智小五郎と似ている。変人で、無慈悲で、都会の退廃や、性の倒錯が主題とする。
やがて金田一は東京を離れ、田舎の因習、血の因縁などを主題とするようになる。このあたりから好評を博したため、金田一耕助=田舎=複雑な人間関係と連想されるようになった。
金田一耕助の短編を【ゆっくり文庫】で取り上げても、「らしくない」と思われるだろう。それより明智小五郎を作るべき。もしやるなら「貸しボート十三号」や「香水心中」がよかろう。と、思っていた。
しかし「シリーズ横溝正史短編集シリーズ」に触発された。二次創作なら、もうちょい踏み込めるのでは? さらにリクエストもあったため、制作してみることにした。カチンときたわけではない。
ゆっくり文庫、百日紅もやってほしいなあ
— am (@planetstam) 2019年1月6日
わたしは一番すき
コメンタリー
まずキャスティング。佐伯一郎=ゆかり、を決めると、由美=さなえ、川地=れいむ、が連鎖した。「スズメバチの巣」と同じ構図だ。鬼頭、志賀はモブだから誰でもよいが、狼藉者である五味は男性・こーりんとした。
仮組みすると、過去と現在の差を視覚的に表現したくなった。回想シーンはボリュームが大きいので、セピアトーンをかけられない。そこでキャラクターのグラフィックをいじることにした。けっこう経験が活きている。
「阿部一族」乱れ髪らん→ZUN帽なし:ゆかり
「犬神家の一族」静馬→包帯
「殺人処方箋」ナース→きめぇ丸:軍帽
※時間の変化をグラフィックで表現。みんな傷ついた。
原作の佐伯一郎は片足を失っているが、ストーリー上の意味はないため、片目に包帯を巻いた。川地も同じところに包帯を巻くことで、ふたりを対比させている。
表記から算出すると、佐伯一郎は明治38年、由美は大正9年、川地は大正11年に生まれている。由美が自殺した昭和17年で、佐伯37歳、由美22歳、川地20歳。佐伯が川地を恐れ、嫉妬し、早合点したのも、まぁ、無理もない。
昭和26年(1946):焼け野原の百日紅
地の文を佐伯一郎のモノローグに変更。物語は佐伯一郎の視点で進む。ドラマは「原作に忠実」と謳っているが、だいぶ省略されている。【ゆっくり文庫】はそれをさらに削った。人物が登場しても、特徴をまったく言及していない。推理小説としては失格だが、映像作品ならこれで通じるのではないか?
※百日紅の下にて
原作の佐伯一郎はスーツを着て、ベレー帽をかぶっている。市ヶ谷にあった屋敷の跡地に赴いたのは、由美との思い出にひたるためだ。ドラマでは、佐伯一郎も復員してきたところ、金田一と遭遇している。先の応召で片足を失った男が、ふたたび招集されるとは思えないが、まぁ、劇的だ。
【ゆっくり文庫】もドラマに倣い、佐伯一郎も復員直後にした。
小説ではずっと「復員者ふうの男」と表記されるが、金田一耕助であることはグラフィックで明らか。まぁ、伏せる意味もないが。骨箱をもっているのは、ラストで獄門島に向かうと会話するため。だから入っているのは鬼頭千万太。千万太は復員船で亡くなったから、遺骨があってもおかしくない。
佐伯は、五味を毒殺した良心の呵責と、由美を失った絶望から、思い出の百日紅の木で首を吊ろうとしている。佐伯を追い詰めることで、金田一の来訪(川地の心遣い)が救いになることを強調するためだ。百日紅で首を吊るなんて、よっぽど大きい木なのだろう。
※舞い落ちる花弁は、Avi-Utlの図形[パーティクル出力]。
現在を強調するため、百日紅の花弁を散らす。時間経過とともに[出力頻度]が増えていく。また背景の廃墟は[コントラスト強め]、[逆光]、[徐々に赤く]、[徐々に昏く]と変化する。
ほんとは百日紅の木をずっと画面に出したかったが、よい素材が見つからなかった。
昭和20年:ニューギニア
回想シーンの起点として、ニューギニア戦線で死にゆく川地を描いた。祖国に見捨てられ、飢餓と疫病に苦しめられる兵士たち。川地には守るべき家族もない。そんな彼が死の間際、自分を殺そうとした男のことを思いやった。この点を強調したくて、本作を取り上げた。
ちなみに金田一耕助は昭和15年(1940年)に応召して中国へ。転戦を重ねてニューギニアのウェワクまで南下。ここで終戦を迎える。川地謙三、鬼頭千万太と出会ったのは昭和17年(1942年)ごろとされるが、原作の表記とズレが生じる。ま、このへんを気にする人はいないか。
※見捨てられたニューギニア戦線
昭和18年:毒殺事件
原作は時系列に沿って描かれるが、【ゆっくり文庫】は逆順にした。
五味が死んで、警察が呼ばれ、現場検証が終わり、事情聴取するところからスタート。会話形式にするため、T警部を登場させる。ちなみに金田一耕助と等々力大志警部が出会うのは昭和22年、『暗闇の中の猫』である。
「犬神家の一族」と同じく、動きのあるシーンはスチルを活用した。それでもややこしいが、紆余曲折は目くらましだから、さっくり流した。
※T警部の事情聴取
※スチルによる状況説明。本作ではセピアフィルタをかけなかった。
昭和4年:由美の育成
佐伯が由美を育成し、充実したセックスライフを送ったことについて、原作はかなりの紙幅を割いている。ドラマも同じ。しかし【ゆっくり文庫】で再現するのは難しいし、私はそこを重視していないため、さっくり流す。
とはいえ画面を真っ黒にできないから、「少女の育成」をどう表現するか悩んだ。本作でもっとも手間取ったパートである。
※クレーンゲームの再現パーツ。Illustratorで描画した。
※MMDは顔を見せないことで、ゆっくりとの親和性を高めている。
- [鯖缶] 東風谷早苗(セーラー服黒ニーソ)
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原作の佐伯は、9歳の少女をセックスパートナーに洗脳したことを、まったく悪びれない。すると由美を失って怒るのは愛ゆえか、欲ゆえか、不明瞭になる。そこで「由美さんは幸せでしたか?」の問いに答えられないようにした。
すなわち佐伯は、自分がほんとうに由美を幸せにできたのか、つねに自問自答している。
由美を男たちに引き合わせたのも、愛を確かめるため。由美は性欲を満たす道具ではなかった(由美も愛していた)。そこへ川地という美少年(異父弟)が出現したことで、佐伯は冷静さを失う・・・と翻案した。
※由美を幸せにできたかどうか、自信がない佐伯
金田一が「川地くんのことも調べたのか?」と質問したのは、佐伯が川地の出生を知っているか探るため。金田一はいわば「答え」を知っているが、あえて佐伯に昔話をさせることで、佐伯の人柄などを確認している。
昭和16年:佐伯の出征
被害者(五味)と、3名の容疑者(鬼頭、志賀、川地)の紹介。これも目くらましである。
原作の由美は陵辱されて、ひどい性病をうつされる。そのため佐伯と触れ合うことができなくなり、自殺。佐伯に真相を告げなかったのは、佐伯と五味の関係が長く、信頼していたためと思われる。
よく読むと、五味は体調を崩している。五味は失業した鬱憤から由美をレイプするが、由美が自殺して、性病も悪化。真相が露見すれば、佐伯に殺される。こうした背景から自殺をほのめかす発言をしたのだろう。唐突な金田一の種明かしも、それなりに手がかりが示されている。
しかしドラマ版と同じように、【ゆっくり文庫】でも省略した。【ゆっくり文庫】のミステリーはロジックがしっかりしてると評価されるが、実際は極限まで削っている。
昭和26年(1946):焼け野原の百日紅
金田一はあっさり謎解きする。しかし本作のテーマは「だれが毒を盛ったか?」ではなく、「どうして佐伯が、由美と川地の関係を見誤ったか?」である。「だれが毒を盛ったか?」というテーマこそ目くらましだ。「ああ、そうだったのか!」と納得してもらうため、私は佐伯の悔悟、迷い、自負、嫉妬を強調したわけだ。
十分な手がかりを残したつもりだが、納得してもらえただろうか?
「犯人は二人」で黒幕がマフィンであることや、「犬神家の一族」で井上が金田一に入れ知恵されたことは、おのずとわかると思って説明しなかったが、見落としてしまった人も多いみたい。適切な量の手がかりってのは、難しい。
金田一耕助、去る
使命を果たした金田一は、獄門島に向かうため去っていく。おそらく汽車の時間を気にしているのだろう。戦争で苦労したのに、復員しても苦労してる。復興はまだ遠い。
※パソコンが変わったので、フォントも変わっちゃった
私がイメージする金田一耕助は、マレビトである。外からやってきて、謎を解き明かし、用が済んだら消える。「またね」とは言わない。もう二度と金田一耕助の厄介にならないことが、幸福だから。
「ではさようなら」
あっさりした別れは、【ゆっくり文庫】版、金田一耕助の定番になりそう。
雑記
先だって『相棒 -劇場版IV- 首都クライシス 人質は50万人! 特命係 最後の決断』(2017)を視聴したら、気分が悪くなったのよ。日本は悪いことをした。その罪は精算されてない。テロリストは敗北するが、否定できない正義がある。登場人物は「我が国」と言わず、「この国」と呼ぶ。とことん日本ヘイト。さすがテロ朝。
映画の中で、かつて日本軍は南方を侵略し、多くの原住民を苦しめた・・・みたいなシーンがあるんだけど、米英が原住民を解放するため戦っていたと言うのか? なぜ原住民が日本兵を支援したのか? 復員の難しさを踏まえたうえで、日本を70年以上も憎むことに、理や情があると言うのか? そのへんを突っ込まれないよう、細部をぼかしている。ずるい脚本だ。
「隠蔽された真実」という名の虚構──。
「戦争を教えない」「語らせない」「考えさせない」を徹底して、娯楽映画で体制への批判精神を植え付ける。これはもう侵略ですよ。
そんなこともあって、ニューギニア戦線や戦後復興について語りたかったけど、ぜんぜん入らなかった。ま、私の領分でもないか。
真夏の話だが、夏まで取っておくのも馬鹿らしいので公開する。夏になったら、また観てほしい。