【ゆっくり文庫】クリスティ「鏡は横にひび割れて」ミス・マープルより The mirror crack'd from side to side (1957) by Agatha Christie
2018年 ゆっくり文庫 イギリス文学 クリスティ ミステリー
075 みめぐみをたれたまえ──
大女優マリーナは復帰作を撮影中、2度命を狙われたのち、自殺した。十年後、夫ジェイソンがミス・マープルに相談する。5つの謎を説明しうる推理はあるだろうか?
はじめに
先日のドラマにかちんと来たので(以下略)。
時間が巻き戻るので、「パディントン発」のスーパールーシーは忘れてください。また「回想の殺人」に翻案しています。
原作について

アガサ・クリスティ
(1890-1976)
「鏡は横にひび割れて」は、マープルシリーズの長編第8作目。1962年刊行だから、火曜クラブ(1927)から35年後。アガサ・クリスティも37歳から72歳になって、老いを想像する必要がなくなった。
そんなクリスティが描くマープルの境遇は、わびしい。セント・メアリー・ミードは新興住宅の建設が進み、友人・知人たちは鬼籍に入ってしまった。マープルは目がよく見えなくなり、庭仕事も禁じられ、介護という檻に閉じ込められている。
ところが地元で事件が起こると、「まだ終わってない」とばかりに奮闘する。
あわれみの心
事件を調査するかたわら、マープル自身も変わっていく。
当初、通いのメイド(チェリー)とは言葉遣いなどで眉をひそめていたが、やがて打ち解け、共感していく。チェリーが夫とともにマープル家に間借りすることを決めたため、無神経な付添人(ミス・ナイト)には、彼女が好きそうな転職先を斡旋。マープルは安定を得る。
マープルが若返って、介護不要になるわけじゃない。
ミス・ナイトが心を入れ替え、仲良くなれるわけでもない。
変えられるところは変えるが、イヤなものはイヤ。絶妙な解決だった。
※ヒクソン版に登場したミス・ナイト
マープルとマリーナの対比もロマンがある。ともに才能に恵まれながら、母親になる悦びを知らず、落ちぶれて、復帰しようとしていた。マリーナの絶望にマープルが気づき、あわれみ、寄り添ってくれたことが嬉しい。正直、マリーナは親しみやすい人物ではないし、この件がなくても遠からず破滅したように思うが、それでもあわれに思う。
ふたりの明暗を分けたものはなにか?
マープルはあらゆることに興味を持ち、考えることを止めなかった。きらいな人物に対しても、相手の視点を理解しようとした。そうした姿勢があれば、ヘザーは殺されず、マリーナは激怒せず、ミス・ナイトは放逐されなかっただろう。「五匹の子豚」もそうだが、晩年のクリスティが描く「あわれみの心」は深い。
ミステリーとしては煩雑
しかしミステリーとしては煩雑。マープルは事件現場に遠すぎる。バントリー夫人、クラドック警部、チェリーの協力を得て事件現場の様子を再現していくが、まだるっこしい。おそらく長編小説にするため、核心的な情報を伝聞にして、断片にして、曖昧にして、よけいなキャラクターやイベントで隠したようだが、切れ味が鈍ってしまっては本末転倒だ。
具体的には、第二(秘書)、第三(執事)の殺人のせいで、第一の殺人(ヘザー)の純粋性が失われ、マリーナに同情できなくなっている。ジェイソンの人物描写もまったく足りてない。マーゴの養子は3人いるが、残り2人は登場せず、ノイズになっている。ヘザーの夫がマリーナの最初の夫だったという設定も唐突だし、グラディスも消息不明じゃん。
マープルの推理が完成したとき、マリーナは自殺して、事件は終わっていた。謎解きのカタルシスもなければ、マープルの活躍によって事態が変わったわけでもない。マープルはテニスンの詩の最後の行を詠んで、マリーナの死をあわれむが、ジェイソンに理解できないところも虚しい。
- 容疑者
- マリーナ・グレッグ ... 大女優。長らく映画界から遠ざかっていたが、復帰しようとしている。
- ジェイソン・ラッド ... 映画監督。マリーナの5人目の夫。
- ローラ・ブルースター ... マリーナのライバル女優。過去にジェイソンをめぐって傷害未遂事件を起こしている。
- マーゴ・ベンス ... 映画の宣伝の為に雇われた女性カメラマン。パーティーの模様を撮影していた。マリーナの養子。
- ロッド、アンガス ... マリーナの養子。名前のみ。
- アードウィック・フェン ... プロデューサー。妻であるローラの出番を増やそうと画策している。
- アーサー・バドコック ... ヘザーの夫。じつはマリーナの最初の夫。
- 被害者
- ヘザー・バドコック ... 地元婦人会幹事。マリーナの熱狂的なファン。パーティーの最中、急死する。
- エラ・ジリンスキー ... ジェイソンの秘書。ジェイソンを愛している。犯人を恐喝して、毒殺される。
- ジュゼッペ ... ゴシントン・ホールの執事。犯人を恐喝して、射殺される。
- 協力者、ほか
- ミス・マープル ... 素人探偵。元気だが、介護が必要になっている。
- ミセス・ドリー・バントリー ... ミス・マープルの友人。ゴシントン・ホールの元所有者。
- ダーモット・クラドック ... ロンドン警視庁の主任警部。
- ミス・ナイト ... 付き添い夫人。親切だが、ひとの気持ちを察することができない。
- チェリー・ベイツ ... 通いのメイド。マープルは気に入りつつも、言葉遣いなどで眉をひそめていた。
- マリーナの子どもは先天性風疹症候群だった。
- マリーナが妊娠初期のころ、ヘザーが接触している。
- そのときヘザーは風疹だった。
- だれがマリーナを脅迫したか?
- マリーナはだれを見て戦慄したか?
- だれがヘザーを殺したか?
- だれがマリーナのコーヒーに毒を盛ったか?
- なぜマリーナは密室で自殺したか?
- アリソン・ワイルドは人を怒らせる名人だった。
- ヘザーはアリソンに似ている。
- ヘザーはマリーナを怒らせたのではないか?
- テニスンの詩と状況を比較する。
- マリーナが出演した映画の紹介。
- 撮影関係者はみんなカルモを常用している。
- マリーナがパーティのとき着用したドレスについて。
- ヘザーは親切な人物で、慈善団体の幹事をしていた。
- マリーナの子どもが施設にいること。
- マリーナはマーゴのインタビューを受けていた。
- マリーナ自殺後、マーゴは自分のせいだと主張した。
- サー・ヘンリーは事件の真相を伏せると決めた。
- カルモの致死量が低すぎる。
服用限度の6倍であって、何錠分かは書いてない。原作の「カルモ」は架空の向精神薬。アメリカ製で、アメリカ人の撮影スタッフやキャストはみんな常用していた。1980年の「クリスタル殺人事件」によれば、主成分フェノバルビタール。実在のフェノバルビタールは治療域と毒性域が近く、アルコールと摂取すると効果が増強され、致命的となりうる。なお、アルコールには溶けやすい。錠剤をお酒に溶かしておけば、たくさんの錠剤を飲む手間や、胃洗浄で救命される「リスク」を減らせる・・・と設定しておく。
- カルモの効果が早すぎる
直撃死に見えるのは、デフォルメ演出。昏倒したのは5分後でも、どっかのソファに運ばれ、医者が駆けつけ、死亡を確認したのは30分くらいあとでしょう。
- ヘザーは既婚では?
原作では既婚。【ゆっくり文庫】では十年前の事件にしたため、真相がわかったとき、公表すべきかどうかの判断を迫られる。公表すればマリーナの評価は下がり、ヘザーも軽蔑される。サー・ヘンリーが「公表しない」と決めやすいよう、ジェイソン以外に真相を気にする人がいないようにした。
- 風疹について知らないことは罪ですか?
原作のヘザーはセント・ジョン野戦病院協会の幹部で、バミューダ公演のときもメンバーだった。セント・ジョン野戦病院協会がどんな組織かわからないが、風疹が凶器になりえることを「知らなかった」では済まされない立場と考えられる。仮に、「知らなかった」「一般常識ではない」「法的な罰はない」としても、マリーナの怒りが鎮まることはないだろう。
- アリソンは食中毒で死んだの?
死因はよくわからないが、殺人ってことはないだろう。ただ「手当てが遅れた」みたいな不可抗力はあったかもしれない。人のうらみを買うと、自分が弱いときのリスクが高まる。
- スコーンってサクサクするの?
サクサク音がするのは演出。タラちゃんの足音と同じ。
- 妹紅はなんでキョロキョロしてたの?
慧音を探してた。
- 「ポケットにライ麦を」より前ですか、後ですか?
考えてない。
- マリーナはマーゴを「買った」の?
マーゴが「買った」「捨てた」と表現するのは、憎しみのため。原作では、マーゴの親は無計画に子どもを産んだため、マリーナにたのんで引き取ってもらった。養子は3人いて、4年ほどいっしょに暮らした。贅沢な暮らしが急に失われたこともショックだっただろうと、マープルは予測している。
- 前後編のつなぎは、読者への挑戦ですか?
マープルが言ったように、「休憩」です。
- 第4章。引っ越してきたマリーナは、ゴシントン・ホールに感激する。「ここなら落ち着けて、おだやかで、幸福な気持ちでいられそうな気がする。この家こそはわたしの《家庭》になってくれそうだわ!」 家庭に傍点。これまで落ち着ける場所がなかったという意味。
- 第4章。バントリー夫人がマリーナに「子どもが4人、孫が9人おります」と話すと、ふいにジェイソンが割り込んで、話題を変える。子どもの話はタブーで、ジェイソンが気遣っているという意味。
- 第14章。プロデューサーが「なぜあんな古い屋敷を買ったんだか」と訝ると、クラドック警部が「ヴィクトリア朝時代の安定感が魅力でしょう」と返す。プロデューサーは、「安定感ねえ。マリーナは安定感にあこがれていましたからね。気の毒に、一度も安定感を味わったことがない。」とつぶやく。
- 第20章。情緒不安定になったマリーナは「このいやな家から逃げ出さなきゃ。すぐに。わたし、この家が大きらい!」と騒ぐ。一度目は読み飛ばす。二度目で、犯人だから焦っていたとわかる。三度目で、マリーナはいつも同じことの繰り返しで、安定を得られない気質だったと得心する。
- そうした気付きを踏まえて読むと、ジェイソンが「どこへ逃げても変わらないよ」「ぼくが安全なようにしてあげる」と諭すシーンの意味がわかる。人を殺してしまったマリーナに、もはや平穏はない。死によって解放されるまで。
シャーロットの姫
本作のタイトルであり、エンディングでも引用されるテニスンの詩「The Lady of Shalott」について、本文中に解説らしい解説はない。当時の常識だったから省いたのではなく、そうした解説をクリスティが敬遠したためと思われる。私はちゃんと解説しようと思っていたが、結局、そのシーンはカットされてしまった。
詩の内容や背景を知っておいたほうが味わい深いので、ざっくり解説しておく。興味ある人は専門書を読んでください。
The Lady of Shalott
シャーロットの塔に閉じ込められた姫(エレイン姫/Elaine of Astolat)は、「外の世界を直接見たら死ぬ」という呪いをかけられていた。そのため鏡に映して外の世界をながめ、来る日も来る日も織物(タペストリ)を織りつづけていた。
ある日、ランスロット卿(Sir Lancelot)が歌声を耳にした姫は、外の世界を直接見てしまう。そのとき鏡は横にひび割れて、呪われてしまった。
姫はランスロット卿を追って小舟に乗るが、キャメロットの岸についたときは息絶えていた。ランスロット卿は(生きて会うことのなかった)姫の死をあわれんだ。
19世紀、産業革命が起こると、その反発として中世主義が復興。アーサー王伝説が脚光を浴びた。詩人アルフレッド・テニスンが「シャーロットの姫」を書くと、画家たちはこれを主題に絵を描いた。
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外界から閉ざさた塔で織物を織りつづけるシャーロットの姫は、「家庭を守る女性」の象徴である。外の世界に抜け出した少女には、死の罰が与えられ、その想いが相手に届くことはないが、その死に顔は美しい。塔の中で恋を知らずに老いることと、恋を知って美しく散るのと、どちらが幸福か? ヴィクトリア朝時代を生きた少女たちの心中が、透けて見えるかもしれない。
「鏡は横にひび割れて」が舞台となる1960年代では、かなり古い趣味であろう。
鏡が横にひび割れたのは「呪いが降りかかった瞬間」だが、バントリー夫人は「命運が尽きる時」と解釈していた。姫が息絶えるのはすこし先だが、死ぬことが確定した瞬間だから、まちがいではない。
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【ゆっくり文庫】版はキーワードにすべく、マリーナ自身に言及させた。外の世界(自分を不幸のどん底に突き落とした犯人がいること)を知ってしまった以上、影の世界では暮らせない。破滅するとわかっていても、復讐を止められなかった自分を暗喩している。
マリーナが遺書に書き記したことで、ジェイソンも詩に注目している。事情を知らないと、「マリーナは浮気していた」「マリーナにとってジェイソンとの暮らしは、影の世界だった」とも解釈できるため、ジェイソンを苦しめた。
翻案について
テレビドラマの感想をTwitterで語り合っていたら、短編に組み替えることを思いつく。思いつきをツイートするが、読んだのは3人だけ。このまま流してしまうのは惜しかったので、動画にした。
【ゆっくり文庫】クリスティ「鏡は横にひび割れて」
— ゆっくり文庫 (@trynext) 2018年3月28日
[1/11] サー・ヘンリーが友人の映画監督(ジェイソン)を連れて、ミス・マープルの家にやってきた。監督の妻である大女優(マリーナ)は12年前に自殺したが、他殺の可能性を疑っていると言う。マープルは他殺を疑う理由を訊ねる。#ゆっくり文庫
初期プロット
「完璧なメイド」を作ったとき、【ゆっくり文庫】版「鏡は横にひび割れて」のプロットをまとめている。おおよそ下記のようなもの。
結婚し、妊娠したルーシーが、セント・メアリー・ミードを訪ねてくる。孫が産まれることにマープルは興奮し、足をくじく。大女優マリーナのガーデンパーティが開催されたので、ルーシーが出席する。マリーナに挨拶して、容疑者たちを紹介。ふと、マリーナはルーシーを見て、凍りつく。そして殺人事件。
マープルは、「犯人の狙いはマリーナだった」と考えるが、推理に行き詰まる。そして妊娠したルーシーが聖母子像であったことに気づく。ルーシーは「悪意なき加害者」に激怒するが、マープルがたしなめる。
よくよく考えると、【ゆっくり文庫】のマープルは孤独じゃないし、老いも感じない。ならば変貌したセント・メアリー・ミードを舞台にする必要もない。もっと省略できる。「回想の殺人」にするのは、我ながらいいアイデアだった。
回想の殺人とは
クリスティ・ファンでない人に説明。「回想の殺人」は、晩年のクリスティが好んだスタイル。探偵が、遠い過去にあった事件を調査する。証拠は失われているから、関係者の証言(回想)から矛盾点を見出すことになる。その代表例である「五匹の子豚」で、すでに制作中だった。
「鏡は横にひび割れて」を作ると、「五匹の子豚」がだぶってしまう。しかしより自分の個性が出せる、自分にしか作れないほうを優先した。「五匹の子豚」はあきらめよう。
制作途中だった「五匹の子豚」
年代について
ミス・マープルシリーズの40年にわたって発表されため、作中の社会も大きく変わっている。そのまま再現すると、ルーシーがあっという間に中年女性になってしまうため、【ゆっくり文庫】版の年代は「1950年代前半」で固定しておく。ルーシーの年齢も伏せる。「完璧なメイド」の初登場時が15-6歳で、ゆるやかに成長していくが、「1950年代前半」という年代設定は変わらない。
映像作品について
私が見た映像作品は4つ。2003年のインド映画もあるようだが未見。おおよその傾向として、マープルの「老い」は省かれ、秘書による恐喝が目立っている。またヘザーが親切だった面もあまり描かれてない。
上演 | 制作 | タイトル | マープル役 |
---|---|---|---|
1962 | 原作小説 | The Mirror Crack'd from Side to Side | - |
1980 | アメリカ映画 | クリスタル殺人事件
The Mirror Crack'd |
アンジェラ・ランズベリー |
1992 | イギリスBBC | 「ミス・マープル」第12話
Miss Marple |
ジョーン・ヒクソン |
2011 | グラナダテレビ | 「アガサ・クリスティー ミス・マープル」 S5E04
Agatha Christie's Marple |
ジュリア・マッケンジー |
2003 | インド映画 | Shubho Mahurat | Sharmila Tagore |
2018 | テレビ朝日 | 大女優殺人事件 鏡は横にひび割れて | 沢村一樹 |
1980 映画「クリスタル殺人事件」
概要
ミステリーブームを受け、大作映画として公開されたが、シリーズ化に至らず。うまく表現しているところもあれば、原作に引っ張られて意味不明になっているところもある。スコーンの代わりに氷の話が出てくるが、変えた意図がわからない。
マープル
アンジェラ・ランズベリーのマープルは、鼻持ちならない婆さん。映画の途中で犯人を言い当てるオープニングは、能力に感心するより、良識を疑ってしまう。ぷかーとタバコをふかし、あれこれ指図するが、周囲との関係はきわめて良好。人物像をつかみにくい。
マリーナ
エリザベス・テイラーの存在感が強烈。周囲の人たちを引きつけ、圧倒する。その一方で目尻のたるみを気にするなど、人物描写もよい。原作にないのはわかっていても、マープルとマリーナの対面を見たかった。
※エリザベス・テイラーが強烈
1992 英ドラマ「鏡は横にひび割れて」
概要
BBC制作のテレビドラマシリーズ。全12回の最終話。お節介な付添人のミス・ナイトが登場し、マープルと静かなバトルを繰り広げる。マープルは老いても元気なので、ミス・ナイトを放逐して解決。原作に比べると浅い。クラドック警部、バントリー夫人、レイモンドが揃ってシリーズのフィナーレを飾った。
マープル
ジョーン・ヒクソン。いつもと変わらず、ひょうひょうと調べていく。クラドック警部は、マープルの甥という設定で登場。かなりハンサム。しかし原作どおり、地味な捜査だけ。スラック警部は昇進して、駄目な上司としてウロチョロする。
マリーナ
マープルはマリーナの演技を称賛したが、本人は納得しておらず、空回り。ほかは、ありきたりの反応ばかりで、あまり印象に残らない。
※ミス・ナイトの放逐がある
2011 英ドラマ「鏡は横にひび割れて」
概要
グラナダテレビ制作のテレビドラマシリーズ。S5E04。マープルの老いは描かれず。バントリー夫人が派手で、マリーナと混同する。原作の足りないところをちょこちょこ補完している。
マープル
ジュリア・マッケンジー。活発に調査し、心情を思いやるシーンもあるが、いまひとつ噛み合ってない。クラドック警部に相当するヒューイット警部がスコーンの話をする。
マリーナ
セリフを忘れたり、撮影を投げ出したり、映画に対する真摯さが感じられない。障害のある息子に触れることもできないシーンは、母の悲哀より身勝手さを感じる。ジェイソンは年下のハンサムボーイで、マリーナの殺人に最初から気づいており、苦しみから解放するため毒殺したと明言される。
※バントリー夫人が派手
2018 日ドラマ「大女優殺人事件 鏡は横にひび割れて」
概要
テレビ朝日が制作したドラマ。舞台を現代日本に移し、マープルを男性警部に変えている。錠剤が水に溶けにくい→計画殺人と断定するのはおもしろかったが、結果、大女優の行動がちぐはぐになり、衝動的な殺人というプロットが台無しに。また計画殺人でありながら、脅迫状の準備がなく、不自然な行動が録画されていたのもマヌケ。養子は3人いて、執事も殺される。
事件の核心である風疹は、「ジキ熱」という架空の病気に置き換えられた。視聴者からのクレームを恐れ、先天性風疹症候群の危険を伏せたとしたら、本末転倒だし、卑怯だ。
マープル
相国寺竜也(演:沢村一樹)という男性警部。有能だが、警察では浮いた存在のようだ。並々ならぬ熱意で捜査するが、関係者の心情に寄り添うことはない。徹底的に傍観者。バントリー夫人やクラドック警部に対応する相棒も存在しない。
マリーナ
綵まど香(演:黒木瞳)という日本人女性。養子を捨てたことを悔やみ、復帰のため努力する姿が描かれるが、本心が見えない人物になってしまった。最後はウェディングドレスに着替え、花を並べてから自殺。あまりに奇妙で、唖然としてしまった。
※推理マシーンだった
コメンタリー
最初に『パディントン発』より前の出来事だと述べるつもりだったが、無粋だったのでやめた。BGMは「魔法少女まどか☆マギカ」で統一。「五匹の子豚」もこのムードで制作中だった。
大女優マリーナ役は 魔理沙 or 神奈子で競り合ったが、夫婦愛を描くためマリーナ@早苗、ジェイソン@神奈子となった。早苗に中年女性の悲哀はないが、目尻のシワを描き加える意義はないだろう。
【ゆっくり文庫】の八坂神奈子は、『ボヘミアの醜聞』、『異説・安倍一族』などに登場しているが、主演級は初めて。渋い中年という、これまでなかった役を担ってもらえそうだ。
イントロダクション
「鏡は横にひび割れて」の一節を簡単に説明して、注意喚起する。ルーシー(妖夢)の声は舌足らずで、詩の意味をわかっていないような印象を受けるが、それがいい。ルーシーはまだ恋したことも、だれかを傷つけたこともないのだから。
※キャラがいないとタイミングや演出が難しい
4人の配置はけっこう苦慮した。男性陣(かなこ、ゆかり)は高めで、やや距離があり、女性陣(ゆゆこ、ようむ)は低めで、距離が近い。ぱっと決まったわけではなく、動画を作りながら調整したので、修正が大変だった。『黒後家蜘蛛の会』は8人いるが、彼らは均質なので扱いやすい。
情報を表示する領域も狭いため、位置や大きさ、タイミングを工夫した。いろいろ試しているが、なかなか安定しない。
※今回の基本配置
状況説明
ミステリーで退屈するのは、なにが起こるかわからないまま描かれる日常と、問題点がわからないまま進んでいく捜査だ。
なので開始3分で、マリーナが自殺すること、「鏡は横にひび割れて」がキーワードになること、ジェイソンが納得できていないことを提示した。この3点を踏まえて物語を見てほしい。
スピード重視のため、ジェイソンの人物描写も省いた。警察が解決できなかった事件を、田舎のお婆ちゃんに躊躇なく相談するあたり、事前にサー・ヘンリーのレクチャーを受けているようだ。つまり、サー・ヘンリーと親しい。またメイドの同席を快諾したことから、好人物とわかる。
またサー・ヘンリーの親友で、ルーシーを排除しなかったことから、マープルも好意的に接している。
マリーナが活躍したのは26年以上前だから、ルーシーはわからない。「若い人のため、ちょいと説明しましょう」というジェイソンのセリフがあったが、これも省略。チト削り過ぎだろうか?
回想:ヘザーが殺されるまで
マリーナの人物像、事件のあらましを説明する。マリーナの子が先天性風疹症候群であったことを述べる。ストーリーを知ってる人には「答え」だが、この時点で推理するのは不可能だから、沈黙してほしい。作法がなってないコメントはNG登録するように。
ヘザーの配役
ヘザー役はアリスだったが、投稿直前、聖白蓮に変更された。動画内のショットや編集後記も作り直しで、大変だった。
映像作品のヘザーは不細工で、あつかましいが、原作に立ち返ると「親切な人物」という要素がある。足をくじいたマープルに駆け寄って、介抱したのはヘザーだった。アリスでは単純な悪人となり、「悪いのはアリス」で終わってしまう。「親切で、善良だが、相手の気持ちがわからない」という人物像を描くため、聖白蓮にしたわけだ。後ろ姿がなかったので、やっつけた。
【ゆっくり文庫】の聖白蓮は、『完璧なメイド』や『緋色の研究』、『夢を啖うもの』などのモブ役ばかり。ようやっと重要な役がまわってきたが、聖らしさは盛り込めなかった。そのへんは今後の課題としよう。
※【ゆっくり文庫】版ひじり
※投稿直前までアリスだった
フェア論争
ミステリーの世界には、推理に必要な情報を作中に出しておくべきという考え方がある。読者に探偵と同じ知力があれば、論理的に推理できることが望ましい。しかしこの考えに準拠すると、著者は無駄な情報を並べて隠すことになる。(→赤いニシン)。うまくやれればいいが、失敗すれば、「フェアだけどつまらない物語」になってしまう。
「鏡は横にひび割れて」の場合、
と気づけば事件の全容をつかめるが、原作小説に年代の記述はない。またヘザーが風疹だったとわかるのは、マープルが「風疹かもしれない」と気づいたあと。つまり断片的な情報をつなぎ合わせてもダメで、ヒラメキが必要なのだ。
ヒラメキがあれば、あとは調べるだけ。調べた結果を、あらかじめ書いておく必要はない。それはヒラメキを失わせる。私はこの考えに基づき、『ポケットにライ麦を』でタンガニーカにウラン鉱脈があることを書かなかった。「ランスロットが読んでいた経済新聞」というヒラメキがあれば、それでいい。
【ゆっくり文庫】版は原作と逆に、マリーナの子どもが先天性風疹症候群だったことを記述し、ヘザーの言葉は隠した。「ふたりの接点になにかある」と気づけばいいのだ。
※雑踏のため、ヘザーの言葉はよく聞き取れない。
錠剤はすぐ解けない→計画殺人
テレビ朝日版「大女優殺人事件 鏡は横にひび割れて」において、錠剤はすぐ解けない→計画殺人であるという所見があった。原作は衝動的殺人だから、大胆な翻案があるかと期待したが、ちゃんと考えてなかったことが露呈し、がっかりした。
しかしおもしろいプロットなので、採用させてもらった。
私が「鏡は横にひび割れて」で驚いたのは、マープルの見立て(ヘザーはまちがって殺された)が外れたこと。探偵がまちがえない。それこそ先入観だった。
その味わいを残すため、まちがった見立て(ヘザーは計画的に殺された)から出発しよう。
※原作既読者向けのヒネリ
戦慄:鏡は横にひび割れて
階段があって、聖母子像の絵がある写真が見つからず、ステンドグラスに置き換えた。それなりに雰囲気は出ていると思う。神奈子がマリーナに選ばれなかった理由のひとつは、後ろ姿がないためだ。
原作では階段に6人もいたが、ローラとマーゴにしぼった。またジェイソンを見て戦慄した可能性を残す配置にした。マリーナの表情は、写真が見つかるまで伏せることにした。
※4つの方向から撮影された
回想:マリーナの自殺、調査
グラスの入れ替え、脅迫状の発見、撮影の中断、マリーナの自殺までを説明する。調査と推理パートに移行する前に、5つの謎を視覚化しておく。2つや3つは簡単だが、5つすべてを説明するのは難しい。
注目すべきは5番目。「なぜ自殺したか?」ではなく「なぜ密室で自殺したか?」である。
※謎を視覚化
調査パート
つづく調査パートで、ローラ、マーゴ、マリーナ、ジェイソンが供述する。
ローラ | ローラが犯人とは思わないだろうが、ジェイソンと結託した可能性、およびそれをサー・ヘンリーが見落としている可能性を残すため、登場させた。 |
---|---|
マーゴ | BGMのせいでマーゴの悲哀に感じ入るが、重要なのは彼女が語るマリーナの人物像だ。マリーナは自分のことしか考えず、用済みとなったら捨てる。だからマリーナは、自分が捨てられることを恐れた。 |
マリーナ | 嘘をついていることがわかっても、なぜ、なにを隠しているかは読み取れない。しかし重要なのは、マリーナが神経ガタガタになっていること。ジェイソンは映画と事件に目を奪われ、マリーナの窮地に気づかなかった。ジェイソンもまた、自分のことしか考えてなかった。 |
ジェイソン | 事件が起こる前からマリーナは情緒不安定だった。つまり脅迫状のせいではない。ジェイソンは映画に集中するあまり、マリーナを傷つけ、追い詰めてしまう。マリーナは自殺寸前だったが、ジェイソンは気づかない。 |
※眼の前で毒を飲んで死んでやろうとして、やめる
推理パート
お待ちかねの推理パート。これがなくっちゃ【ゆっくり文庫】ミステリーじゃない。5つの謎を視覚化。警察、ジェイソン、サー・ヘンリー、ルーシーの推理が紹介されるが、5つの謎すべてを説明できない。
※ジェイソンへの好意から、「ジェイソンを傷つけない推理」に傾いている
すべての謎をマープルが説明するとテンポが悪くなったため、付属的な部分はルーシーに推理してもらう。ルーシーの推理は論理的で、合理的だが、完成していない。最後のピースを埋めるにはヒラメキが必要なのだ。
【ゆっくり文庫】のルーシーは《警察》より賢いが《探偵》ほどではない。ワトソンとホームズのあいだで、少しずつレベルアップしていく。その匙加減が難しい。
スコーンの思い出
突然の不幸に打ちのめされた子ども。月日は流れ、身体は大きくなっても、心の傷は消えない。いつまでもいつまでも、スコーンを見るたび悲しい気持ちになる。悲しむ理由がなくなっても、悲しみだけ残る。
原作小説(P387)では、クラドック警部の思い出。「マリーナの養子たちはいまも彼女を憎んでいるかもしれない」という流れで語られる。
【ゆっくり文庫】では、サー・ヘンリーが、「傷が癒えずとも、悲しみを受け入れて生きてゆける」という流れに語られる。ひょっとするとサー・ヘンリーは、マープルとの交際によってスコーンを食べられるようになったのかもしれない。
資料を読んだマープルは、推理の裏付けを得た。しかしそのまま話すと、ジェイソンを追い詰めかねない。そこでスコーンの話をクッションにすることにした。マープルは職業探偵ではないから、謎解きそのものは目的じゃない。だれかを幸せにするため、謎を解くのだ。
※悲しみを食べよう
原作ではジャム入りプディングだが、スコーンに置き換えた。
またスコーンを食べ方にも注目してほしい。
マープルはひとりで、他人の悲しみを無視して食べた。
サー・ヘンリーは悲しい気持ちで食べた。
ジェイソンは戸惑うが、それでも食べた。
ルーシーはまだ食べない。ルーシーも両親と死別しているが、大人たちのような傷はない。しかしルーシーもまた、「悪意なき加害者」になりえることを示している。
マープルの推理
まず写真検証。ゆっくりは正面を向けないから、これを逆手に取って「マリーナはレンズを見ていない」とした。
原作のマーゴは、クラドック警部の質問に淡々と答え、そのままフェードアウト。コーヒーに毒を盛ることはできたか? マリーナへの復讐心は消えたのか? といったアフターケアはなし。「容疑者を増やす」という目的のため登場し、消えていく。こういうところは物足りない。
【ゆっくり文庫】版のマーゴは母親を愛し、憎み、そして決別できた。自分を見ておびえたからではなく、自分のことをまったく見ていないと気づいたから、吹っ切れた。もう母親の愛情など求めない。マリーナは他人になった。
プロファイリング
「風疹」に気づくステップとして、アリソン・ワイルドの話を挿入。つまり、
と考え、ふたりの接点を調べたというわけだ。もうちょい語るべきか迷ったが、あっさり済ませた。
そして回想シーン。
たくさんの人が往来したが、核心的なところはだれも聞いてない。だれかが聞いていたとしても、重大なこととは気づかなかっただろう。
魔女の口づけ
魔女狩りのテーマが流れ、不可解な出来事が一気に説明される。鏡がひび割れる音は、ここでのみ使った。
※画像をマスクして、ずらし、明度を変えている
マリーナはドレスを着替えなかったのは、ヘザーの死に様を見るためだった、というのは私の翻案。「あの日のドレスはお気に入りだった」「マリーナはすぐドレスを着替える」「マリーナのドレスを汚したメイドは怒鳴られた」といった裏付けも考えたが、テンポが悪くなるので省いた。
※ほかの人がまちがって飲まないよう見届けるためもある。
マリーナがグラスを交換するシーンは、繰り返しになるためダイジェストにした。背景が黒いとさびしかったので、魔女の結界のように演出する。派手すぎただろうか? 画面のすみが赤くなる演出は今後も使えそうだ。
※「こちら(毒)をお飲みなさないな」「私は(不幸を)飲みすぎたわ」
回想:ジェイソンとマリーナ
魔女狩りの興奮を鎮めるため、回想シーンを挿入する。「ジェイソンが犯人かもしれない」と疑っていた視聴者に、頭を切り替えてもらう。
ジェイソンは映画の完成にこだわるあまり、マリーナをプライドを傷つけてしまった。マリーナの様子がおかしかったのは脅迫のせいと考え、彼女自身を見なかった。一方、マリーナは用済みになって捨てられることを恐れた。捨てられるくらいなら死んでやる。
もろもろテンパっていた。このタイミングだったから、ヘザーという厄災に呑まれてしまった。
※ふたりとも余裕がなかった
塩味を受け入れて
原作ではマープルが老いを受け入れ、変わっていく姿が描かれたが、【ゆっくり文庫】では再現できない。ドラマの横糸がほしい。
なにかないかと思っていたら、原作のヘザーに憤慨するツイートを見かけた。「無神経は他人も自分も殺す」「他人を思いやる能力のない人間は救いようがない」「悪気がないじゃ済まされない」と怒っている。たしかにヘザーは元凶だが、「悪意なき加害者」を憎んでも詮無きこと。「悪意なき加害者」はどこにでもいるし、自分がそうなる恐れもある。
傷つくことも、傷つけてしまうこともある。傷は、いつまでも癒えない。それでも人は、生きていかねばならぬ。
※怒るルーシー
このとき、ジェイソンを軸に据えることが決まった。妻が自殺に消沈した男の背中に、マープルが手をあてる。ヘザーを憎むんじゃない。自分を責めてもいけない。マリーナをあわれみ、寄り添い、悲しみを受け入れる。傷が消えることはないが、それでも生きていくのだと。
しかし実際、作ってみると難しい。語りすぎず、語らなすぎず。うまく表現できたとは思えないが、これ以上悩んでも仕方ないから、公開する。
※ジェイソンが監督に復帰できるかどうかは、もう重要でない。
She had a great power of love and hate but no stability. That's what's so sad for anyone, to be born with no stability.
彼女は強烈に愛することも、憎むこともできましたが、安定性には欠けておられた。生まれつき安定性を欠いておられるということは、だれにとっても悲しいことです。
余談:親父の友だち
このたび脚本を書くにあたって思い出した話。
親父が亡くなって数年間は、友人だったという人がぽつりぽつりと実家を訪ね、焼香していった。母にとっては名前も知らない人たちだが、挨拶して、思い出などを語った。
あるとき訪ねてきた男性が、こんな話をした。
その男性には一人娘がいたが、社会人になって間もなく自殺してしまった。父である彼は、自殺した理由がわからない。いや、それなりの事情は聞かされたが、納得できなかった。
(そんなことで自殺するはずがない。ほかに理由があったはず。どうして相談してくれなかった? 娘のサインを見逃してしまったのか?)
もう二十年も経つのに、そんなことを考えてしまうそうだ。夫婦が過ごした時間を思うと切なくなる。娘を育てた時間より、喪って悲しむ時間の方が長くなるなんて。
娘さんの事情は知らないが、父親をこれほど深く傷つけるとは、考えもしなかっただろう。また考える余裕がなかったから、自殺してしまったのか。
母は、返す言葉がなかった。友人の妻でしかない自分に、なぜそんな話をするのか? この話を夫は知っていたのか? 夫はなにか言ったのだろうか?
わからない。
わからないから、長男である私に同じ話をしたところ、なんとなくわかったそうだ。
マリーナの自殺に、ジェイソンは直接的な責任を負っていなかった。悪いのはヘザーであり、マリーナだが、ジェイソンは自分を責める。どうしてマリーナの窮地に気づかなかったのか? なにかできることがあったのではないかと?
奇妙な反応に見えるかもしれない。これがあるべき反応と言うつもりもない。ただ、思うのだ。「自殺した理由がわからない」という人は、たとえ真実がわかったところで、苦しみから解放されることはないだろうと。
ジェイソンは傷を消したいと願っていたが、傷は消えないのだ。
時間調整
前後編にするつもりだったが、30分以内におさまりそうなので結合した。画質が下がったけど、やむなし。「後編につづく」のパートは削除するのも惜しいので、残しておいた。推理をまとめる時間に使ってほしい。
編集の過程で、いくつかのシーンが省かれた。たとえば「2時間ドラマにしてくれ」と言われたら、あれこれ要素を追加するのはたやすいが、結果、切れ味がにぶるかもしれない。私の場合、動画の再生時間は短いほうが編集も出力もらくだが、再生時間が長いほど儲かるとしたら、悩むだろうな。
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雑記
改変が多い【ゆっくり文庫】だが、今回ほど大きく変えた作品もない。《妄想拡張版》と記載するつもりだったが、【ゆっくり文庫】の作品はどれも《妄想拡張版》なので、線引できないと気づく。《ゆっくり文庫版》ということで理解してほしい。
「二次創作であることのお断りが不十分で、これを原作と混同する人がいる!」
みたいな批判も予想されるが、どのように断っても誤解する人は誤解するし、怒る人は怒るから、あきらめた。
このたび、「鏡は横にひび割れて」の原作を分析して、クリスティの巧妙な伏線や、並行するドラマ、テニスンの詩やスコーンの話といった要素に感銘を受けた。煩雑なところはあるが、だからといって物語の価値が損なわれるわけではない。
「小骨がわずらわしい」といって、魚料理を食べないのはもったいない。しかし無理して食べてきらいになったり、栄養を吸収できないのは意味がない。調理法を変えれば、よりおいしく、より手軽に、よりよく栄養を吸収し、幸せになれるのではないか? そんな調理ができたらいいなと思う。
「ゆっくり文庫の調理に慣れると、原作から栄養を吸収する能力が衰える」
といった批判もあるが、そこを気にするとなにも投稿できない。世の中、名作は星の数ほどあるから、私がいくつか調理して困ることはないだろう。
では投稿ボタンを押して、みなさんの反応を見てみよう。「ゆっくり文庫」の文字を含んで感想をツイートすると、調理人である私を幸せにすることができます。
投稿後の追記
コメントやツイートの疑問点に答えておく。
少年ヘンリーの思い出
スコーンが人気だったので、回想シーンのショットを作成した。原作では「ジャム入りプディング」で、スコーンに置き換えたのはマッケンジー版(2011)。「緋色の研究」でスコーンを使っていたので、スコーンにした。「悲しみは消えない」と伝えるのに、「泣きもせず、しゃべりもせず、温かいスコーンを見つめつづける子ども」を描くセンスに脱帽する。
今でもね、店や、レストランや、誰かの家で、ジャム入りプディングを目にすると、恐怖とみじめさと絶望感が波のようにおおいかぶさってくるんですよ。ときには一瞬、その理由を思い出せないこともあります。
アガサ・クリスティ「鏡は横にひび割れて」第21章 ダーモット・クラドック主任警部
※少年ヘンリー
マリーナには「家」がない
マリーナについて、ちょっと解説。原作の舞台はセント・メアリー・ミード村、ゴシントン・ホール。「書斎の死体」の舞台にもなった、ミス・マープルにとっても思い出深いところ。この「家」が、マリーナの性格を描く演出道具になっている。
マリーナには「家」がない。母親にあこがれたのも、ゴシントン・ホールを買い取ったのも、「家」がほしかったから。しかしマリーナは養子を捨て、実子を拒絶し、ゴシントン・ホールにも居られなくなる。とことん安定を得られない。子役時代からトップを走り続けた代償が、家のない人生だとしたら、悲しいことだ。
こうした細かな演出は、1回読んだだけじゃわからない。絶対無理。犯人や結末を知って読んでも、なお見落とす。だからクリスティ作品は、何度も読み返せる。結末を知っていても楽しめるミステリーなのだ。あるいは何度も読むような人でないと、わからない。
要素を分解していくと、再構成したくなる。それが【ゆっくり文庫】。クリスティ作品なら、動画→原作の順でも発見があるだろう。とりわけ今回はまったく異なるからね。三谷幸喜の「オリエント急行殺人事件:二日目」みたいに、マリーナ視点が欲しいところ。マリーナは傷つけた人さえ魅了するから、自分の加害性を自覚できなかった。
※マリーナを美化するつもりはないが、魅了される。