【ゆっくり文庫】刑事コロンボ「殺人処方箋」 Columbo #01 Prescription:Murder (1969)
2018年 ゆっくり文庫 アメリカ文学 ミステリー 映画やテレビから
076 犯人たちの冒険──
精神科医のフレミングは資産家の妻キャロルを殺害、愛人ジョアンを替え玉にしてアリバイを成立させた。しかしロス市警の冴えない中年刑事コロンボが執拗に絡んできた。彼らは逃げ切ることができるだろうか?
発端
倒叙をやってみたい。パブリック・ドメイン作品で探すと長すぎたり、改変や解説が必要なものばかり。よくよく考えるとクリスティやアシモフを手がけている。枠組みを外して考えると、
倒叙=刑事コロンボ、
ということになった。
原作について

左:Richard Levinson (1934-1987)
右:William Link (1933-)
『刑事コロンボ』(Columbo)はアメリカで制作されたミステリー・ドラマ。世界各国で放送され、日本でも親しまれた。しかし放送開始から50年が経過し、近ごろは『古畑任三郎』のほうが有名かもしれない。だとすれば【ゆっくり文庫】で紹介する意義はありそうだ。これを機に『刑事コロンボ』を視聴する人が増えてくれればさいわいである。
『ジョジョの奇妙な冒険 第3部』の主人公・空条承太郎は、同作のファンという設定。しかし日本放送開始は1972年で、承太郎は1歳だった。承太郎と同じ年齢である私がそうであるように、再放送でファンになったのだろう。
ちなみに荒木飛呂彦は12歳で直撃したことになる。
※「子供の頃『刑事コロンボ』が好きだったせいか こまかいことが気になると 夜もねむれねえ」
『刑事コロンボ』の特徴
『刑事コロンボ』は倒叙ミステリーの始祖ではないが、その代名詞として知られる。特徴を分解すると、よく練り込まれていることがわかる。ほとんどの要素がパイロット版からぶれてないのも恐れ入る。
- 1.倒叙ミステリー
- はじめに犯人、動機、トリックが明かされ、一見すると完璧な犯罪計画をコロンボがどうやって突き崩すか、どうやって逮捕するか(How catch them)が主題となる。
- 2.犯人はセレブ
- 犯人は金持ち、有名人、権力者など、社会的強者ばかり。彼らの犯罪を庶民的なコロンボが暴くところにカタルシスがある。犯人役には大物俳優(ゲストスター)が起用され、その悪辣さ、焦り、悲哀、葛藤、絶望などがたっぷり描かれる。
- 3.アクションなし
- 銃撃戦や格闘、カーチェイスといったアクション要素はない。犯人はコロンボに暴力を振るわないし、逆もしかり。心理戦が主体。じつに都会的。
- 4.冴えない中年刑事
- 豪華な犯人と対比させるため、主人公コロンボは粗雑で、無学で、凡庸で、少額の支払いにも苦労する庶民的な人物として描かれる。
- 5.内面には触れず
- コロンボの性格や設定はシリーズ通して変化せず、掘り下げられることもなかった。コロンボ以外のレギュラーもいない(名前のない犬くらい)。ドラマの主役はあくまでも犯人であり、コロンボのヒーロー性が高いと息苦しくなってしまうからだ。
警部補か、警視か、警部か、刑事か?
コロンボの階級は「警部補」だが、ワンマン特捜班のような動きは「警視」に相当する。日本語版では一貫して「警部」と名乗り、タイトルは「刑事」だった。ややこしい。ただ、コロンボが「警視」に相当する偉い人であると踏まえてみれば、極端な単独行動、大掛かりな仕掛けや人員投入も納得できる。
パイロットフィルム「殺人処方箋」(Prescription:Murder)
個人的には「忘れられたスター」(Forgotten Lady 1975)、「別れのワイン」(Any Old Port in a Storm 1973)が好きだが、「コロンボらしい1本」とは言いがたい。
そこでパイロットフィルムでもある「殺人処方箋」(Prescription:Murder 1968) をチョイスした。上記の特徴が盛り込まれていることがわかるだろう。
![]() ※単発のテレビ映画だった |
![]() ※初登場のコロンボ |
『殺人処方箋』は、シリーズの1作目として制作されたわけじゃない。初出は、1960年の単発ドラマで、Bert Freed がコロンボを演じた。1962年、舞台劇にアレンジされると、Thomas Mitchell が演じるコロンボは大成功を収めた。1968年、ふたたび単発のテレビ映画としてアレンジされるが、Thomas Mitchellが亡くなっていたたため、ピーター・フォークが起用された。
つまりコロンボという役には2人の前任者がいて、ピーター・フォークのために創造されたわけじゃない。また本来の主役は犯人(フレミング)であって、探偵(コロンボ)は脇役だった。しかし当時41歳のピーター・フォークは、コロンボをクセのある、魅力的なキャラクターとして好演し、シリーズ化が決定する。
初登場時のコロンボは、カミサンや親戚の話をしたり、ペンを借りたり、葉巻を愛好するといった特徴は押さえられているが、髪は七三分けで、コートや背広もさっぱりしている。姿勢も悪くない。モジャモジャの髪、よれよれのレインコート、おんぼろ車、名前のない愛犬といった小道具は、ピーター・フォークが編み出した自己演出だった。ピーター・フォークは本作で4度のエミー賞を受賞している。ただ与えられた役を演じるだけじゃ、名優になれないのだ。
※Prescription:Murder (1968) オリジナル配役
キャスティング
コロンボ(ピーター・フォーク)の容姿に近いのはきめぇ丸だが、すでに金田一耕助の役を与えているので、凡庸なイメージがある紅美鈴を起用した。
演じてもらうとビジュアルの乖離が目立つ。目指すべきはコロンボというキャラクターであって、ピーター・フォークではないが、どうしても引っ張られる。
※メリンボ警部
最初に作ったのは改造ジト目(1)だが、狡猾なイメージが拭えない。ピーター・フォークは右目が義眼で、そのためコロンボは独特の眼差しになっている。これを再現すると(3)(4)になるが、いつも渋い顔は不似合いだ。
そこで、紅美鈴らしい顔(2)──中華系の糸目に、困ったような眉──をしてもらう。いまひとつ感情を読み取れないが、その分、相手の表情に視線が向かう。いいぞ。これを基本形に、ときどき目を開けると雰囲気が出た。
メリンボの片目は義眼じゃないので、両目をカッと見開くこともある。ふだん表情がないため、感情の爆発がきわだつ。また安葉巻は「咥えた状態」と「手に持った状態」を用意した(手は見えないけど)。どちらも「他」で制御している。たった2つだが、いいアクセントになった。
精神科医フレミング役は霖之助だったが、華がなかったため魔理沙に差し替えた。いつものパターンだ。すると共犯者ジョアン(チルノ)、被害者キャロル(ゆゆこ)が決まって、『ポケットにライ麦を』の構図ができあがった。
「魔理沙とチルノが仲良くする動画を見たい」というリクエストが届いているが、やむなし。「江戸の仇を長崎で討つ」じゃないが、グラディスの悲劇に名探偵が間に合っていたら...という妄想と思ってほしい。
余談
Dirk Benedict 主演の舞台劇「PRESCRIPTION MURDER」(2010)のショットが見つかった。もじゃもじゃ髪、葉巻、レインコートなど、ピーター・フォークのイメージを踏襲している。やはりピーター・フォークが確立したイメージは強い。
※Dirk Benedict 主演の舞台劇
コメンタリー
ぜひオリジナルフィルムと見比べてほしい。カットしたり、順序を変えた箇所がわかれば、私の翻案意図もわかるだろう。
ちなみにオリジナルは100分で、殺害まで18分、コロンボ登場まで30分かかる。
殺人、偽装
【ゆっくり文庫】は殺人直後からスタート。妻キャロルの人物描写はカットされたが、不足はないだろう。「セックスを要求するシーン」は残したかったが、コメントが荒れそうなので見合わせた。
ここで重々しいBGMを流すと、フレミングの悪行が目立ってしまう。フレミングは同情の余地がない極悪人だが、しばらくは彼に没入してほしい。そこで「Fly Me To The Moon」で盛り上げる。最初にかかる曲は、物語の方向性に強く影響する。
※オリジナルの事件現場
弱い女・ジョアン
ジョアンが登場。愛人、大部屋女優、患者(精神的に不安定)、あまり賢くない、ほぼ事後共犯であることが示される。フレミングはていねいに指示するが、すべては自分の利益のためと、のちにわかる。
ジョアンはフレミングを敬愛し、けなげに尽くすが、精神の安定を失っていく。悪い男に惚れてしまった女性を取り戻す展開は、ホームズの「高名な依頼人」を彷彿させる。
※変装の過程
※主犯、共犯、被害者
「幽々子に変装したチルノ」であることを示すため、変装途中のグラフィックを用意する。帽子とサングラスをかけると、見分けがつかなくなるが、立ち居振る舞いで見抜いてもらえたらうれしい。
![]() 家にあった写真(&キャロル) |
![]() 空港で撮影された写真(&ジョアン) |
西行寺幽々子も青い着物を着ているため、これを「青いドレス」にしようと思ったが、世界観が壊れるので見合わせた。原作に準拠すればチルノも青いワンピースじゃん。
※青いドレス(試作)
オリジナルでは「扼殺時にはめていた手袋」を忘れるが、のちに奥さんの手袋がクローズアップされるため、リボンに置き換えた。またクリーニングに電話する時間も、空港へ行く前から後に変更している。細かな変更はオリジナルと見比べてほしい。
機内の喧嘩
ジョアンがちゃんと演技できることを示すシーン。構図に苦労したが、なんとか配置できた。1968年の物語だから、客室乗務員は「スチュワーデス」と呼ぶことにした。「差別的だ」というコメントと、「どうして差別的か言ってみろ」といったコメントが予想されるが、どうなるか見てみよう。そもそも「スチュワーデス」という呼称を知らない世代が多いかもしれない。
※変装したジョアン
![]() |
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※スチュワーデス役は妖夢。すっぴんだと違和感があったため、帽子とスカーフを着用させた。 |
アカプルコ旅行とシミュレーション
釣りシーンはカットして、代わりにフレミングが警察の捜査を想像するシーンを追加した。これで計画の全容を把握しやすくなったと思う。
画面下にきめぇ丸(シルバー刑事)と紅美鈴(コロンボ警部)の頭が見えるが、この時点では名もない警官と思うだろう。
※釣りシーンはカット
帰宅、遭遇
帰宅したフレミングはコロンボと遭遇する。コロンボは揺さぶりをかけているのか、いちいち反応が鈍い。なにかに気づくと片目を開けるが、疑問を口にすることはない。本作は犯人(フレミング)視点で描かれるため、探偵(コロンボ)の感情が読めないのは不気味だ。このシーンを作ることで、メリンボのキャラクターが確立された。
※なにを考えているかわからないコロンボ
病院、完全犯罪の成立
オリジナルはもっと情報量が多いが、できうるかぎり整理した。フレミングの焦りをもっと描きたかったが、ゆっくり劇場でサスペンスを作るのは難しい。こりゃ、ヒッチコック作品のゆっくり文庫化は難しいかもしれない。
受付でフレミングは「強盗の手がかり」について訊ねる。しかしコロンボは貴金属が盗まれたことを告げてないから、ここで疑惑が確信に変わるが、なにも言わない。おそらく視聴者も、コロンボが気づいたことに気づいただろうが、問題はどうやって逮捕するかだ。この演出は【ゆっくり文庫】オリジナル。
※早苗もすっぴんでは不自然だったので、ナースキャップをつけた。
※苦労のすえ、ついに成功する。
捜査、対策
後半戦。コロンボは「軽くなった手荷物」「見つからない手袋」などの疑惑をぶつけ、フレミングがどう対応するか観察する。推理は裏付けられていくが、決定打にならない。フレミングは自分が疑われていることを認め、対策を講じる。オリジナルが放送された1968年と異なり、現代の視聴者はコロンボが有能であることを知っている。犯人が油断したままじゃ緊迫感が高まらない。
※コロンボの捜査(いやがらせ)がはじまる
※フレミングの態度が冷たくなっていくのも計画の一部
オリジナルは、1.コロンボがフレミングを調べる、2.フレミングが圧力をかける、3.コロンボとフレミングが飲む、4.コロンボがジョアンを調べる、と展開するが、【ゆっくり文庫】は順番を変えることで複雑な頭脳戦を演出した。
フレミングの計画
- ジョアンを調べられたら、圧力をかける。
- コロンボは、「ジョアンこそがフレミングの弱点だ」と考える。
- コロンボを挑発すれば、圧力を無視してジョアンを追求するだろう。
- ジョアンが自殺してくれたら、弱点はなくなって安泰だ。
コロンボの攻略
- フレミングはわざと自分を挑発している。
- ジョアンを追求し、自殺に追い込むことが狙いだ。
- フレミングはジョアンを愛していない。
- その事実をジョアンに見せれば、供述を取れる。
※追い詰められるジョアン
※コロンボらしくない追求だが、これもトリック
本作にはフレミングがお酒を飲むシーンが4回ある(殺害直後、ジョアンが手袋をもってきたとき、ジョアンの電話を受けたとき、コロンボとの会話)が、ジョアンは一度も飲めてない。フレミングにとってジョアンは、いっしょにお酒を飲む相手じゃなかったのだ。
探偵と犯人の分析
本作の見どころは、探偵と犯人が酒を飲みながら互いを分析するシーンだろう。双方、余計なことを言っているように見えるが、さにあらず。コロンボは自分を「敗北しつつある、古いタイプの刑事」と示すことで、油断を誘っている。フレミングはコロンボの知性を称賛しつつ、自分はその上であると挑発する。化かしあいだ。
※オリジナルの会話シーン
※ゆっくり文庫:コロンボが不利なので、暗くなっている
コロンボは《架空の犯人》について、1回しかコロシを経験してないシロートと断じる。かたや警察官の修練は大したものと自尊する。フレミングは取り合わなかったが、あんがい正鵠を射ていると思う。
警察官にとってコロシは仕事である。警察とは犯人を見つけ、駆り立て、仕留めることに精通したプロ集団なのだ。個々人の知能はフレミングに及ばないが、経験に裏付けられたノウハウがあり、圧力を無視する上司、いい男のシルバー刑事、コロンボの指示に従う同僚たちのチームワークによって勝利を掴んでいる。
経験が知性に勝るのではない。経験によって知性を強化しているのだ。
最終決戦
ジョアンは診療所に姿を見せず、電話しても警察が出て要領を得ない。彼女の家に駆けつけたフレミングは、プールから引き上げられるジョアンの死体を目撃する。フレミングは怒り、コロンボの責任を追求する。コロンボは感情を爆発させ、情に訴えてくる。コロンボが万策尽きたことに満足したフレミングは、つい本音を漏らしてしまう。
不確実な作戦である。しかし「替え玉に替え玉を返す」プロットはおもしろい。自信家のフレミングが口を滑らせる可能性は十分あった。また失敗しても、フレミングはジョアンを殺せなくなる(ジョアンを守れる)から、仕掛ける価値はある。
※プールを挟んだ向こう側の死体
※ゆっくり文庫は死体を手前に
オリジナルのジョアンは、大部屋女優には不似合いなプール付き豪邸(ロケ地:スタール邸)に住んでいる。死体はプールを挟んだ反対側にあり、フレミングは駆け寄ることができない。ロケ地をうまく活かした構図だ。
【ゆっくり文庫】はジョアンを小さめのアパートに住まわせ、服を着せた。でないと替え玉にならない。「玄関前」で撮影したかったが、背景素材が見つからなかった。ジョアンの死体は車で搬送されるため、キャロルのように生きていたとしても、近くにいないことがフレミングを油断させる。
※きめぇ丸=シルバー刑事=いい男
語ってみる
オリジナルのラストに、言葉はない。説明されずともフレミングは理解し、タバコを一服する。余韻があるが、ひょっとしたら状況がわからない視聴者がいるかもしれない。多くを語るのは無粋だが、語らねば通じないのも事実。そこで【ゆっくり文庫】版は会話シーンを追加した。
※無言のラスト。背後でコロンボが供述を聞いている。
フレミングは弱点(ジョアン)を示し、わざと狙わせた。コロンボは共犯者であるジョアンの身を案じ、攻略法を変えた。フレミングは患者(ジョアン)を見下し、自在にコントロールできると思いこんでいた。ジョアンはフレミングに依存していただけで、愛していなかった。
語りたいことは山ほどあるが、最小限に留めた。盛り込めなかった分は、ここに書き出したとおりである。
自分の感想
初号を鑑賞して、我ながらオリジナルとの乖離に驚く。単独行動がモットーのコロンボが、チームワークで勝利している。ロス市警がたのもしく見える。おいおい。
私は原作に忠実であることを目指してはいないが、どの作品にも通底する「私らしい翻案」があるようだ。たとえばホームズ「最後の事件」や、マープル「ポケットにライ麦を」は頭脳戦でありながら、それまでに築いた人間関係が勝利の鍵になっている。
コロンボが素晴らしい作戦を思いついても、コロンボへの信頼がなければ実行できない。現在の選択は、過去の行動によって決まる。
ランスロット(ポケットにライ麦を)、ダヴィッド(運命の道)に続き、フレミング(殺人処方箋)にも、「冒険してこそ勝利を掴める」と言わせてみた。お気づきのように私は、冒険という言葉を悪い意味で使っている。冒険せざるをえない時点でほぼ負けが決まっているし、よしんば勝ったとしても悪しき成功体験となり、日々の行動を阻害するからだ。
もちろん「ヘンゼルとグレーテル」が示すように、危機的状況における救済は外の世界にあり、冒険してこそ勝利を掴める。しかしヘンゼルとグレーテルが魔女にならなかったのは、兄妹の絆が強かったからだ。あやふやなカップルがお菓子の家に迷い込んでも、たぶん帰ってこられないだろう。
どの作品にも通じる傾向を、「作家性」と言うのだろうか? 私は自分の作品を並べて鑑賞するまで、そうした傾向があることに気づかなかった。奇妙なものだ。
雑記
「名人伝」を作っている途中であったが、まだ時間がかかるし、空白期間が長くなったため、先に本作を公開した。ミステリーが連続してしまうが、ご容赦されたし。
本作は3話構成として制作していたが、中編と後編をセットしてにも20分を越えなかったので、前後編とした。物語を均等に、盛り上げつつ分割するのは難しい。そのノウハウに習熟するくらいなら、YouTubeに引っ越すほうが得策かもしれない。
本作は音楽のチョイスに苦労した。「Fly Me To The Moon」から始まったので、全編Jazzを使おうと思ったが、雰囲気にあうナンバーを揃えきれなかった。動画制作より音楽を探すことに時間をかけていたような気がする。
それと背景をぼかしてみた。背景写真は探すのが大変だが、背景を見せたいわけじゃない。キャラクターやオブジェクトの視認性を高めるため、グレースケール/やや暗く/上下に黒い帯を配置してきたが、ぼかしも効果的だった。
※背景をぼかす
仕事が先方のチェックにまわったので、そのスキに本作を仕上げた。しかし忙しい日々はまだつづく。家事もあるから、ほんとに時間がない。日付だけ過ぎていく。困ったものだ。
最後にこれだけは言っておかねばならない。
【ゆっくり文庫】のコロンボに、シリーズ化の予定はありません。