【ゆっくり文庫】アシモフ「終局的犯罪」黒後家蜘蛛の会より The Ultimate Crime (1976) by Isaac Asimov
2018年 ゆっくり文庫 アシモフ アメリカ文学 ミステリー078 専門的な雑談──
モリアーティ教授が書いた「小惑星の力学」は、どういう内容だったのか? 架空の論文についてオトナたちが徹底議論する。
原作について
アイザック・アシモフ
(1920-1992)
「黒後家蜘蛛の会」シリーズ第2巻の第12話。「会心の笑い」から2年も経ってしまったのか。いやはや。
BSIに加入したアシモフがシャーロキアン論文を書いたところ、いいアイデアだったので「黒後家蜘蛛の会」に転用したのが本作。推理らしい推理もないが、熱くなるヘンリーという珍しいものを見ることができる。
シャーロキアン
原作では、シャーロキアン (Sherlockian) は「シャーロック・ホームズの愛読者」と(ざっくり、好意的に)説明されるが、BSIに入るような連中はマジモンだ。彼らは自分たちを宗教的な秘密結社のように見せかけたり、ホームズを実在の人物であるかのように話して周囲を惑わせたりと、いたずら好きが多い。晩餐会ではホームズを演じた役者を招いたりと、手間もお金もかける。
こうした文化は『スタートレック』愛好家のトレッキー(Trekkie)などに分派していく。シャーロキアンはいわば、元祖オタクというわけだ。
彼らの逸話を知っていたため、私は自分のことをシャーロキアンと認めていない。あんな連中と一緒にしないでほしい。
それから熱心なファンであることと、作品に深い造詣をもつことは必ずしも一致しない。それはそれ、これはこれだ。
FGOは知らんが...
素材集めしてたら、ソーシャルゲーム「Fate/GrandOrder」にジェームズ・モリアーティが出演していることを知った。駆使する宝具は「小惑星の力学」で、その目的は惑星破壊らしい。へええ。私はソシャゲをやらないので、どんな活躍をするのかさっぱりだが、これを機に「ホームズ」や「黒後家蜘蛛の会」を読む人が増えればいいな。
※新宿のアーチャーと名乗っているようだ
翻案について
いつもと同じフォーマットなので、語ることはあまりない。メンバー紹介、食事、遠慮のない、やたら専門的な雑談、ドレイクがむせるのも同じ。
第1パート、推理小説とシャーロキアンの話題はルービンの独壇場。第2パート、「小惑星の力学」の内容推理はドレイクの独壇場。ホルステッド、アヴァロンは割り込めるが、ゴンザロとトランブルは打つ手なし。まんべんなくセリフを割り振りたいが、さすがに無理だった。
※本日はロシア料理
ちゃんと語ると冗長だが、省くと味わいがない。いつものように情報をカード化して、セリフを減らす。このカードはタイムラインを組みながら作ったり、見直している。めちゃくちゃ手間がかかるし、使われなかったカードも多い。
カードが画面を覆っても、役者の演技(表情の調整)はつづいている。これも無駄な作業だが、作らないと完成形が見えてこないから致し方ない。
※ジェームズと言えばドレイクだろJK
ゆっくり文庫ネタ
開陳される情報は推理の手がかりじゃないので、好き勝手に並べ替え、省略し、あるいは追加した。そして【ゆっくり文庫】シリーズのネタを盛り込んだ。いくらでも語れるが、BGMの中で取捨選択した。
※もちろん原作にないルーシーの話題
けっこう勉強になった
動画を作るため、いろいろ勉強した。物理学は、時系列に沿って学ぶとおもしろい。仮説を立て、実験する。あるいは実験できないことを理論的に予言する。少しずつ知の領域が広がっていく。人間はすごい。視聴者はどうだか知らないが、私にとってはタメになる動画制作だった。
※一時停止してカードを読む人もいないだろうが、なにかのきっかけになれば
熱くなるヘンリー
モリアーティが無双した地球破壊のシナリオは、素材探しに苦労した。豪快な映像にしたかったが、このあたりが私の限界。短いし、大したことはしてないが、疲れた。こーゆーのは得意な人に任せたい。
※いつになく長い「ひとこと」
あとがき
アシモフ自身がBSIの会員になって、このネタで論文に書いたことを触れておきたい。アシモフはルービンの友人という設定で、アシモフの分身も「追われてもいないのに」(When No Man Pursueth)に登場するが、本作はその構造を使えない。悩んだすえ、クレジットあとの会話とした。客が帰るまえに片付けするかとか、論文が重複すると問題なのか、といった疑問はスルーしてほしい。
BSI晩餐会の写真で、どこにアシモフが写っているのか特定できなかった。いるにはいたようだから、別枠とした。
※ルービンはアシモフと友達である
雑記
【ゆっくり文庫】で取り上げると決めた「黒後家蜘蛛の会」のエピソード5本のうち、これが5本目。いちおう約束は果たしたが、視聴者は満足してもらえるだろうか? 「もう十分」と言われるのは寂しいが、「もっとやれ」と言われるも困る。はてさて。