第98話:呼び出された悪魔
2011年 ショートショート
「悪魔よ! 去れッ!」
その瞬間、神父のかざした十字架がストロボのように光った。いや、光ってない。十字架が光るわけがない。だけど私の魂は閃光を感じていた。
がくっと息子が崩れ落ち、黒いもやが空中に消えた。悪魔が去ったのだ。
息子を抱きかかえる。弱々しいが、息子が笑ってくれた! おぉ、神さま! 私は何度も何度も神父に頭を下げた。神父はなにも言わず、そっと肩に触れてくれた。本当に申し訳ない。私はひどい仕打ちをしたのに。
「エクソシスト? そりゃ苦労の多いご職業ですな!」
「息子は病気だが、悪魔は関係ない」
「この異常者をつまみ出せ!」
しかし神父が正しかった。
私の息子は悪魔に取り憑かれていた。信じるとか信じないとか、そういう次元の話じゃない。海を見たことがない人に、海の話をしても仕方ない。
「どうか顔を上げてください。
むしろ感謝すべきは、私の方かもしれません」
あらためて見上げると、神父の顔が変わっていた。出会ったときは強烈な精気を放っていたが、険が取れて柔和な老人になっている。一世一代の仕事を成し遂げ、燃え尽きたのかもしれない。
神父は目を伏せ、語りはじめた。
「告白します。
悪魔の存在に気づいたとき、私は喜んだのです」
「え?」
「私たちエクソシストは、教会の暗部です。
千年以上も知識を伝承してきましたが、悪魔と対峙した者は数えるほどしかいません。
(悪魔は本当にいるのか? 無駄なことに人生を費やしているのではないか?)
私の師も悩みながら死にました。
だから悪魔の存在に気づいたとき、私は喜んだのです」
ほろりと、神父の頬に涙が伝う。
そしてダムが決壊するように、神父は手で顔を覆って泣き崩れた。
「私は......怖かった。
悪魔に出会わず死にたくなかった!
師が正しかったことを示したかった!
私は願っていた。悪魔と出会うことを。だから私は......」
「神父さん。もういいんです。もう......」
かける言葉はなかった。
◎
神父を見送って、私は書斎にもどった。
息子のことで頭がいっぱいだったが、長官としてやるべき仕事が山積している。国境の緊張が高まっているので、指針を示さないと。
ふいに、自分と神父が重なった。
私も同じだ。ずっと抜かない刀を磨いている。役立たずだの、暴力装置だのと蔑まれながら、鍛練を重ねている。私だって示したい。私たちに国を守る力があることを。
たとえ、みずから悪魔を呼び出すことになっても......。
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