第32夜:あらざらむ

2010年 夢日記
第32夜:あらざらむ

 気がつくと中学生に若返っていた。

 自分で言うのもアレだが、肌の張りがちがう。いい意味で、ぷにぷにしてる。
 ちょっとマテ。年号がぶっ飛んでいる。長生きできる年数じゃない。私は若返ったのではなく、一度死んで、生まれ変わったのだ。これが輪廻転生ってやつか。

(私は何歳で、どんな死に方をしたのだろう?)

 人生末期の記憶があいまいなのは、ありがたいことかもしれない。まぁ、終わった人生のことを考えても意味はない。心機一転、新しい人生を楽しむとしよう。

 世の中はだいぶ変わった──。
 かつての携帯電話のように、「今」は電脳が普及している。子どもがGPS付き電脳を実装するのも珍しくない。国家による生活保障も完備されたので、親も子もなく生きていける。
 戸惑うところはあるが、便利な面もある。そのうち慣れるだろう。

 ただ......前世から引き継がれたものもある。
 私はすでに嫁と出会っていた。

 つまり嫁も生まれ変わっていた。顔も名前もちがうが、互いを認識できている。だから嫁は、私と結婚する気マンマンだった。

「だって、旦那さんは旦那さんだもん!」

 時期が来れば結婚するのは当然と決めつけている。
(うーん。どうしたものか......)
 嫁がきらいになったわけじゃないが、嫁と結婚した「私」はすでに死んでいる。どっちが先に逝ったかは知らないが、来世も結婚しなければならない理由はないだろう。てゆーか、死んでも切れない縁ってのは、どうなのよ。

(まぁ、あれだ。お互い、まだ若いんだし、結論を急ぐこともないだろう)
 と言いたいのだが、なかなか言い出せない。
 嫁の反応は予測できるし、時間が解決するかもしれない。急ぐこともないか......と思っていると、あっという間に歳月が流れちゃうんだよね。

「もう300年もいっしょだね♪」と嫁は言う。

 ん? なんの話だ?
 私は前世しか覚えてないが、嫁は前世の前世──あるいはもっと以前──から記憶を引き継いでいるようだ。おいおい、人生ゲームを何周してるんだよ。
 いや、マテ。
 前世で嫁は、さらに前世のことを話題にしなかった。嫁の記憶は不連続じゃないか?

 あるいは......不連続なのは、私の方か?
 私が記憶している前世が、直前のものとはかぎらない。今生までに何個か人生を経験して、私がそれを忘れているのかも。
 いやいや、マテマテ。
 私と嫁が、同じサイクルで生まれ変わっているともかぎらない。つまり嫁が前世で結婚した相手は、私ではなかった可能性もある。だったら嫁は、すでに新しい選択を経験済みじゃないか。

 どうにかして転生履歴を調べることはできないだろうか?

 という夢を見た。
 どっちが先に逝ったか気になるのは、昨夜、NHKスペシャル『無縁社会』の録画を見たせいだろうか?
 タイトルは百人一首から。

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな ──和泉式部 小倉百人一首

来世でまた逢えるなら、今生の別れを惜しむ必要もない。